変わり続ける世界で生きる
テレワーク中、子どものオンライン授業なんかが落ち着いて仕事もひと段落すると本を読む時間ができた。
縁があったので「須恵村」(著:ジョン・F・エンブリー John F. Embree)を訳した人の本「忘れられた人類学者(ジャパノロジスト)」(田中 一彦)を読んだ。「須恵村」については読み通す自信がなくてまだ読んでおらず、図書館の貸し出し予約をしている段階です。英語版はオンラインで無料公開されているが、電子機器での読み物はまだ慣れないので躊躇しているところ。
私もコロナ過で生活がガラッと変わってしまった人たちのひとり。「あたりまえ」に動く社会は尊かったんだなーと思っていたので、1939年に出版された日本の農村の様々なことが記録してある「須恵村」を分析するこの本からは非常事態だからこそ受け取れるメッセージがあったと思う。
1935年から36年にかけてジョン・エンブリーは日本語の堪能な妻のエラと共に熊本県の須恵村に滞在した。彼らは農民と暮らし、そのありのままを記録に残した。農業、何人もの子供の育児、家電などない時代の家事、夫や村民との関り、須恵村での女性の生活を見つめ続けたエラによる記録「須恵村の女たち」についての記述もとても興味深い。
須恵村の人々の世界と言えば村と近くの免田がすべてで、人吉は都会。熊本や東京なんていうところは外国みたいな感覚だったに違いない。
現代の須恵村の人と交流があるわけではないが、それに近い農家さんなら繋がりがある。彼らと「須恵村」の人々を比べてみても、100年も経っていないのにその暮らしぶりの変化たるや。人の暮らし方でみれば変わっていないことなんてあるのかと思うほど。
1936年ごろの須恵村の人々の暮らしを読みながら、コロナ過でも、テレワークで仕事がなくても、少しのお給料をもらいながら、子供と過ごせる貴重な時間をかみしめた。
私はこの時代でしたたかに生きてゆくのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?