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親孝行サポートサービスを始めるほど、親孝行にこだわる理由〜会社設立のご報告【後編】

こんにちは!あいみんこと角田藍美です。
このNOTEは会社設立のご報告の後編です。

私にとって「親孝行(親への恩返し)」は、
起業のテーマである前に「人生のテーマ」です。


背景にあるのは、一言で表すと【家族への感謝と後悔】。

親は「親孝行なんていらないよ」なんて言ってくれますが、
何もしなかったら、私は絶対に後悔するはず。

でも、この思いを解決してくれるサービスは
この世の中にはありません。

だから私は起業のテーマに選んだのです。

後編では、会社設立の背景にある、
親への感謝と後悔エピソードをご紹介しようと思います。

そして、会社設立にあたる決意表明を書きます。

ぜひ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

3つのターニングポイント

私が起業のテーマに選ぶほど、
親に恩返ししたいと考えるようになった
ターニングポイントは3つあります。

【1】大学受験(感謝)
【2】父の単身赴任(感謝)                   
【3】祖父母のお葬式に行かなかった後悔 〜命のタイムリミット

大人になったからこそ、
親が自分にしてきてくれたことの
重みを理解するようになりました。

学生時代は親の苦労を深く理解しないまま、
自由に、そしてのびのびと学校生活を送りました。

母が毎日作ってくれる美味しいごはんを食べ、
お金の心配をすることなく、
学び、部活やサークル活動、
友達との遊びを思いっきり楽しみました。

それは、親の支えという土台があってこそでした。

ターニングポイント【1】大学受験(感謝) 

大学の合格発表の日のことは、今も鮮明に覚えています。
雪が降る中、吐きそうになりながら
母と一緒に大学に向かいました。

絶対落ちたと思ってました。
(試験後に英語の簡単な問題を1問まるっと
解き忘れたと気づき、絶望的な気持ちだったので…)

でも、合格していました。

私も嬉しかったけれど、母は私以上に号泣してました。

単身赴任の父にもすぐに電話。
普段あまり感情を出さない父が号泣し、
その声を聞いて、私も更に泣きました。

父と母の涙の理由を、のちに私は知ることになります。

大学に合格できたのは、
親の経済的な支えと、精神的な支えの両方があったからこそなのです。

【1-2】 私の大学受験の裏側で、角田家は大変な状況にあった

私の大学受験の裏で、
角田家は家族にまつわる大変な状況にあったことを
合格後に知りました。

センシティブな事情のため詳細は伏せますが、
私が受験勉強に集中できるよう、
両親と姉、3人で私に事実を隠し、
家族総出で支えてくれていたのです。

事の重大さを、大人になって改めて痛感します。
あの時、父も母も本当に大変だったと思います。

それにも関わらず、
両親は私の塾代や教材費に制限をかけることはありませんでした。

不自由なく勉強させてもらったおかげで
大学に無事合格し、
充実した大学生活を送ることができました。

両親が全力で家族を守り抜いてくれたことへの
感謝が尽きません…。

【1-3】母の精神的サポート

私は高校1年生まではそこそこ勉強が得意でした。

が、高校2年生で学校をサボるようになったことで
成績はガタ落ち…。

何のために勉強するのか分からない。
自分がやりたいことが分からない。

高2の時、そんなフラストレーションから
学校に行かなかったり、
保健室で過ごすことが増えていました。

学校から家に電話が行くこともあり、
母には随分迷惑をかけてしまいました。

それでも母は、
私を責め立てることは一度もありませんでした。

じっくり私の話を聞くことで
私の思考の整理を手伝ってくれたのは、とてもありがたかったです。

また、「藍美が大学受験に合格できますように」と、
寒い季節でも近所の神社に歩いて
お参りに行っていたこともありました。

母のサポートがなければ、
大学受験と向き合えていなかったかもしれないし、
そうなれば今の私はいなかったと思います。

ターニングポイント【2】父の単身赴任(感謝)

私の過去の話には母の話題が多めです。

この背景には、父は私が中2のときから
9年間単身赴任していたという事情があります。

単身赴任が決まったのは、
札幌にマイホームを建てた後のこと。
(当時14歳の私は、父と離れるのが寂しくて、
一人でいるときはこそっと泣いてました)

せっかく建てたマイホームに、
自分がほとんど住めないのは歯痒かったでしょう。
家族が大好きな父のことだから、
家から離れるのも辛かったに違いありません。

それでも、一家の大黒柱として家庭を支えるために、
そして自分が住めない家のローンを払うために、
東京に単身赴任してくれました。

お父さん、家族の生活を守ってくれてありがとう。

【2-1】父が単身赴任中の母のこと

女手一人で思春期の娘2人を育てた母も、
すごく大変だったと思います。
(私は育児を経験したことないけれど、
きっとマネジメントと一緒で、これという正解がないんだろうな…)

割と最近、親孝行ビジネスの参考に
母の昔話を聞いていた時。

母は初めて「学費のためにパートしてたんだよ」と
ぽろっと言いました。

本当にぽろっと。

私は学生時代、
金銭的な心配をせずに過ごしてきたけれど。

それは家に余裕があったからではなく、
親が私に気を遣わせないよう
隠し支えてくれたからなのだと、
この時に初めて気づきました。

ターニングポイント【3】祖父母のお葬式に参列しなかった後悔 〜命のリミットが近づいている

親孝行を起業のテーマに選んだターニングポイントの3つ目。
それは大切な人を、大切にできなかった後悔です。

【3-1】母方の祖父母が立て続けに亡くなった時、私は…

2019年2月。北海道に住む母方の祖母が亡くなりました。
身近な人が亡くなったのは初めてでした。

でも、お葬式には参列しませんでした。

なぜかと言うと、
お葬式の日は転職先の入社日当日。
そんな私の状況に配慮してくれた母は、
私がどんなに急いでもお葬式に行けないタイミングで
「おばあちゃんが亡くなり、今夜がお通夜です」と連絡をくれました。
私の新しいスタートを邪魔しないように。。

その半年後に、後を追うように祖父も亡くなりました。
ちょうど私が北海道に帰省し、
東京に戻る飛行機に乗ったその日のことでした。
この時もお葬式に参列しませんでした。

【3-2】当時の私は「仕事が一番大切」だった

酷く後悔しています。

お葬式に行かなかったこと。

お葬式に行かずに済んでホッとしてしまったこと。

何より、大切なひとより仕事を優先してしまったこと…。

親が「おじいちゃんおばあちゃんの
お葬式にきてほしい」と言うのを躊躇うほど、
当時の私は鬼気迫るものがあったのかもしれません。
(今の私だったら、親は私の仕事の状況を
気にせずに声をかけていたはず)

亡くなった祖父母は、
私が小さい頃から、一緒にドンジャラをしてくれたり、
私が遊びにいくと喜んでアイスを用意してくれたり、
毎月楽しみにしているマンガの読み物を買ってくれた
私に沢山の愛情を注いでくれた
おじいちゃんとおばあちゃんだったのに…。。

当時は仕事モードになりすぎて完全に麻痺していたけど。

自分を大事にしてくれた人の、
大事な瞬間に立ち会えないほど、
優先しなければならないことなんてあったのだろうか?

私の生きる目的は何なのか?

本来、仕事は幸せに生きるための「手段」なのに、
「目的」と化してしまったら本末転倒ではないか?

当然ながら、立て続けに祖父母を見送った母は
しばらく落ち込んでいたようです。
母の最も辛い時期に、十分に寄り添ってあげられなかった…。

大事なひとを大事にしなかった、猛烈な後悔。

後悔の分だけ、親を大事にしたいという気持ちが強くなりました。

【3-3】祖父母が亡くなった時の年齢や姿に、親がだんだん近づいてる 〜親と過ごせる時間のタイムリミットを感じる

祖父母が他界した年齢に、親が近づいています。

帰省するたびに、親に白髪やしわが増え、
老いが確実に進んでいることを突きつけられます。

町なかで高齢のおじいちゃんおばあちゃんを見かけると、
ドキッとするようになりました。

自分の両親が「高齢者」に近づいていると感じるのと、
亡くなった祖父母に
「なんでお葬式に来てくれなかったの?」と
言われてしまう気持ちになってしまうから…。

命のタイムリミットは、確実に近づいています。

限りがある時間のなかで、
私はもうこれ以上、優先順位を間違えたくありません。

自分の大切な人より、優先すべきものなんてないのだから。

決意表明 〜今の会社で成し遂げること

私は親孝行にまつわる「自分の課題」に向き合う。

そして、自分のように親や家族に対する
後悔の涙を流す人を減らしたいし、力になりたい。

世の中に、私が感じる課題を解決する
親孝行のサービスは存在しません。

だから、私自身がサービスを作っていき、
世の中の親孝行の悩みを解決していきます。
(その第一歩としてリリースしたのが
親孝行ギフトAIアドバイザー」です)

他にも頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。

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(親孝行にまつわる課題やお悩み、
コメントやDMで教えていただけると泣いて喜びます!)

最後までお読みいただきありがとうございました。

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