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#01_3歳の男の子を里子に迎えた、「さき」の話

私の緊張とは裏腹に、さきからはサクッとすぐに返事があった。 

「私でよければいくらでも話します。ドラマティックでもないし、ウダウダした話な気もするので、とりあえず聞いてもらって採用するかどうか判断してもらえれば!」

よかった。早速翌月、2人で会う約束をした。

7月のとある水曜日、ランチ時間を避けての11時。
さきの住む街の最寄り駅で彼女を待った。

実は初めて降りた「赤羽駅」…が予想外に大きな駅で驚いた。埼玉県から、東京への入り口となるのが赤羽駅なのだが、勝手にもっと素朴な駅というイメージを持っていた。初めての駅は、少し緊張する。指定された北改札口で待つ私の前を、先程からなぜか頻繁に杖の人が行き交う。(白杖のカップルとか、白杖のおじいさんと奥様らしき二人組とか。杖をついた足の不自由なお兄さんも。)そんな人々を、ぼーっと眺めていたら、遠くからさきらしき人が手を振って近づいてきた。


さきは私と同じ46歳。黒い髪を潔くさっぱりと後ろで一つに結び、大きなリュックを背負って、アウトドアな雰囲気の服装で現れた。彼女は自然や動物を相手に仕事をしている、とある団体の職員で、いつでも動きやすさ重視の服装をしている。高校の同級生仲間で集まる時も、いつも山から降りてきたかのように現れる。いくら気心しれた女同士の集まりとは言え、みんなそこそこに着飾って現れる中、その潔い空気にいつもかっこよさを感じている。

2人だけで会うのは初めてなので、少し照れくさい。高校時代、さきはバスケットボール部に所属していて、友達の友達だった。大人になってからは、友達の友達が何組か混ざりあって出来た女子8人組のグループにさきも私も入っているのだけど、私はだいたいいつも、イラストや漫画の締め切りを抱えていることが多く、誘われてもあまり現れないダメなレアキャラなので、さきとしっかりと話すのは4年ぶりくらいかもしれない。里親になったさきに会うのは、今日が初だ。


駅近くのファミレスに入った。
雑談したい気持ちをぐっと抑えて、早速本題に触れる。

「あれから、色々思い出してたんだけど、なんか不妊治療の時の気持ちはもう若干曖昧でさぁ……」

そう言いながら、年表のようにメモをしたノートを出してくれた。

「今ここで思い出しながら話してくれればいいよ。」

そう伝えて、インタビューを開始した。


毎回自分の身体を試されて、
ダメの烙印を押され続ける妊活時代


さきが、自分の年表メモを見ながら話し始める。

「結婚したのは30歳。もう16年かぁ。」

さきの旦那さんには、私も何度か会ったことがある。確か10歳くらい歳上で、2度目の結婚だったはずだ。10も上には見えないシュッとした体型で、物腰やわらな、いかにも優しそうな旦那さんである。

「どんな風に結婚に至ったの?そう言えばちゃんと聞いたことがなかったかも。」

「白田さん(さきは旦那さんのことを苗字にさん付けで呼ぶ)は、職場の先輩でね。やっぱり自然や生き物、環境に対する価値観が似ている事が一番大きかったかな。それってなんというか、暮らし方とか生き方にも関わってくるって思ってたから。」

そうそう、白田さんも山から降りてきたような雰囲気をまとった人だ。

「デートとかも、横浜にドライブ!とかではなく、雪山にカップラーメンを食べに行くとか、カヌーとか、偉人の墓地巡りとか(笑)面白かったんだよね。」

すごく、二人らしいデートだ。

「なんというか、日常のお散歩とか、ささやかなことを楽しんで過ごせる人だったから、いろんな事があっても乗り越えられそうだなぁって思ったんだよね。3年くらい付き合って、一人暮らしの部屋の更新が近づいてきた時に、一緒に住むかってなって。職場が同じだから、まあ住むなら結婚するか。って!」

さきと白田さんは、犬1匹と、猫2匹と暮らしている。動物に囲まれたリビングで大笑いしながら撮った写真の年賀状が思い出され、改めて、なるほどお似合いの夫婦だなと思った。

「結婚してすぐに、子どもはいつでも、と思っていたのだけど、2年くらい普通に過ごしていても出来なかったから、クリニックに行ってみることにしたんだよね。当時勤務してた駅の近くで、タイミング指導と人工授精もやったかな。でも、1年半くらい通ってもできなくて。体外受精に進もうか、となった時に、有名な◯◯クリニックの門をたたいたんだよね。」

『特定不妊治療』を受けると決めると、実績ある有名なクリニックに転院するケースが多い。私もそのパターンだった。

不妊治療の同志の中では、「◯◯クリニックは厳しいけど絶対授けてくれるらしい」とか、「〇〇クリニックが最後の砦だ」とか、話題に上がる病院が数か所あり、さきもその中のひとつに通っていた。

「転院してすぐに体外受精をすることになったんだけど、私さ、採卵はできてもなかなか次に進まなくて。結局2年半通っても、1回も“妊娠”してない。そう、最終的に一度も“妊娠”しなかったんだよね、私。受精して子宮に戻しても、着床しないの。」

私は一度の流産を経験し、その後妊娠、出産に至った。何度か着床はするけれど、出産にまで至らなかったという人も多い。が、さきは、長い不妊治療の間、結局一度も私は“着床”しなかったんだ、と自分の不妊治療について、そう総括したのが印象的だった。

「そのクリニックは、子宮外妊娠をしてしまった時にやる摘出手術を“無麻酔でやる”っていうのを聞いて、なんか怖くなって!なかなか結果が出なかったこともあったし、なんか、もうちょっと優しいところがいいなぁって思って、まゆみが通ってた所の先生が、すっごい面白い先生だよって聞いて、そこに転院したの。36歳の時。」

「え、まゆみも不妊治療してたんだっけ?」

まゆみは、高校の同級生グループの中の一人で、今は二児の母。結構赤裸々になんでも話すグループだけど、やはり、こと不妊治療に関しては、それぞれ知らないことが多いのだ、とここでも驚いた。

「まゆみは割とすぐに出来たから、みんなあまり知らないんじゃないかな?」

そう、すぐにできる人は、本当にすぐできるのだ!最初の体外受精で一発で妊娠し、通院は終わりという友人も結構いる。

「そこが私が最後に通ってたクリニックになるんだけどね、すっごい明るい先生で!(笑) もう、ここにしよう!って即決。家からかなり遠かったから、通うの大変だったんだけどね。で、当時の東京都の助成金が、体外受精1回・35〜40万くらいかかったうちの、20万くらいが返ってくるっていうのだったんだけど、その上限がたしか5回で……。」

そうそう、1回でうん十万と消えていくあの感覚が蘇る。

「だから、5回はやろうと決めて通い始めたの。」

そう、最初から回数や、限度額を決めておくのも、大事。諦めるための「踏ん切りライン」だ。

「結局そこでは、5回 プラス、1,2回はやったんだけどね。」

決めていても、諦められないのが、不妊治療(笑)

「このクリニックに転院した時に、ちょうど仕事でも転機があってね。大きなプロジェクトを任された直後に上司がいなくなり、たった一人の責任者になって、ある事業を開業させなくちゃいけなくなって…。あまりにそちらが忙しかったから、不妊治療も1年に数回かしかトライできないまま、3年くらい経っちゃって。」

私もさきがこの事業に奔走している姿は知っている。開業後はとあるテレビ番組に取材を受けて、責任者としてかっこよく語っているのも見た。4Kテレビを通して見ても、肌がきれいなさきは決して見劣りしないなと感心したのを思い出した。

「そんな状態だったから、不妊治療に集中していたというよりは、やったりやらなかったりって感じで。だから、ちょっとこの頃の心情も記憶が曖昧なんだよね。でも、やめた時は、ここまでやってきっぱりと諦める!ってやめたわけではないと思う。」

「ほら、結局何度やっても着床しないから。やっぱり無理かなぁ、でもやっぱりほしいなぁを繰り返しながら、40歳が近づいてきて、なんとなくじわじわと気持ちが萎えて行って、やめたような感じだったかなぁ。」

夫婦で話し合って、涙ながらにやめることを決断したとか、そういう類のエピソードではなかったらしい。

「なんかねぇ、これ以上やると夫婦仲がダメになるような気もしてさ。」

「それは、どういう意味で?白田さんはどんな様子だったの?」

「いや、白田さんは普通にずっと協力的。でもさ、やっぱり不妊治療始めると、布団に入ってイチャイチャみたいなのじゃなくなるじゃん?体外受精になると特に。」

「わかる。はい、今回もここ(ケース)に、元気な精子を、よろしくお願いします!ってなる(笑) うちはそうだった。」

「そうそう。そもそもそんな風になっている上に、今回のタイミングでは体外受精しないからってなると、もう、する必要もないよねってなっちゃうじゃない。なんか、ずっとそういうままなのもどうかなって思ってね。」

「そうかぁ。なるほどね。白田さんは、子どもに関してはどういう意見だったの?絶対に授かってほしいから頑張ってくれってタイプ?」

「いや、そもそも結婚も2度目で、10歳上でしょ。子どもはいない状態で離婚してるから、なんというか、本人もご家族的にも一度そこでもう諦めてるという雰囲気で。だから、プレッシャーはなかったし、基本私の意向に任せるよってスタンスだったかな。頑張りたいなら一緒に頑張るし、もしやりたくないのなら、やめていいよって感じ。」

「ちなみにさきはさ、周りに治療してたことあまり言ってなかったよね。それはどういう心情だったの?」

「今思えばさ、もっと周りに弱音吐いたりすればよかったのにって思うよ。でもね、一番体外受精を頑張っていた時は、本当に辛くって。毎回自分の身体を試されては、ダメの烙印を押され続けるっていう。だから、あの頃は妊活について話すとすぐ泣いちゃうって感じだったから、人には話せなかったのかなぁ。」

私の持つさきの印象は、いつも何事にもさっぱりとしていて、凛としている感じだったので、話せなかった理由は意外だった。私の赤富士を手に、玄関先で泣き崩れたと教えてくれたさきとつながった。

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