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#0_赤富士を手に泣き崩れた友人への取材

私が聴きたいこと。私だから聴けること。

漫画の仕事に行き詰まると、空気を変えるためによくこのカフェに来る。
今日はここで、とある講座の課題に取り組もうと思う。
開店と同時に入り、いつもの席を確保した。


オフィスビルと高層マンションとが混在する街にあるその店は、コンクリートむき出しのおしゃれな内装が心地よい。通りに面して開放的な窓があり、そこにカウンター席がある。(行き交う人を眺めながら漫画のネームを描くと、調子よく進むのだ!)平日のランチ時、店はあっという間に満席になった。なんと全員が女性客。近隣オフィスの仕事仲間らしき5 人組。それぞれにベビーカーを横付けしているママ友仲間達。他は私のような1人客か、赤ちゃん連れのママ。就活生らしき若い女性もいる。様々な境遇の女性たちが一堂に介しており、一気に人間観察ができるの
も、この場所が気に入っている理由の一つだ。



今年の初め、念願の漫画連載が決まった。更年期をテーマに「女性達」を取材し、それを漫画にするという企画。人から話を聞いて漫画にするという事を、一応得意としてやっている。が、ここの所どうもペンの進みが悪い。取材から物語を作る事は、完全に独学でやってきた。人から本音を聞き出す事も、割と得意だと自負していたのだが、「更年期」というセンシティブなテーマ、そして、まだ自分自身が未経験であるという難しさもあり、通常の仕事では考えられないくらいの赤字を、担当編集さんからもらう毎日…。完全に自信をなくしていた。(スランプ!だとは思いたくなかったけど多分、そう。)そんな時、中村淳彦先生の『悪魔の傾聴』という本に出会った。そこには、私の学びたい事が詰まっていた。その先生が「傾聴して文章にする」という講座を開いたのだ。私は緊張しながらその講座に申し込んだ。


講座での課題テーマに選んだのは「不妊治療」。今日はここで、最初の取材をお願いしたい友人・さきへの依頼メールを書き、送信まですると決めた。彼女は長年の不妊治療を経験後、2年前に3歳の男児を里子として家族に迎え入れていた。私がこのテーマを選んだのは、さきの話を物語にしたい!という思いが8 割くらいを占めている。私自身、3年半の妊活の末にひとり娘を授かった。陣痛の時には「赤富士」を描いて、さきともう1 人、共通の友人に送った。(妊婦が陣痛中に赤富士を絵に描いて渡すと、もらった人は妊娠すると言われている縁起物だ。)私も幼なじみが描いた赤富士をお守りにしていた。こういうものが本当に心の支えになる。不妊治療中の精神というのは、そういうものだ。



私が赤富士を渡した2人は共に高校の同級生で、片方の友人は、一度の流産を経験しながらも男の子を授かったが、さきの所へは赤ちゃんはやってこなかった。「授かる」か「授からない」かはくじ引きに似ている。“たまたま”授かった私もその友人も、自分の卵子と夫の精子との巡り合わせが“たまたま”タイミングよくうまく行っただけの話だと感じている。高度生殖医療に進む事を決意した私たちにとって、ママになるかならないかは「運」だ。



私が「赤富士」を送った時、さきはそのハガキを手に玄関で泣き崩れたとメールをくれた。治療の事をあまり周りに言っていなかった彼女は、その頃ちょうど行き詰まっていて、素直に誰かに応援してもらえる事に喜び、涙が出たのだという。諦めずにもう少し頑張ってみる、とその時は言っていた。あれからどんな思いを経て、今一児の里親となったのか。さきの心の動きを、できることなら物語にさせてもらいたい。


とはいえ、たまたま「出産」が割り振られた側の私が、彼女の話を聞けるだろうか。迷いがあった。この手の話題は、相手から話が出ない限り聞き辛い。出産後少し疎遠になっていた私は、彼女が不妊治療を辞めた経緯も聞けていない。もしかしたら、気持ちの変化を改めて聞く事は、さきにとって辛い事かもしれない。依頼のメールを作るのにもかなり時間を要した。


店内の、様々な女性たちを眺めながら一呼吸。
腹をくくって、私は送信ボタンを押した。


腫れ物だらけの不妊治療


ここで、不妊治療について簡単に触れておきたいと思う。

不妊治療とは、妊娠を望んでいるにも関わらず、一定の期間妊娠の兆候がないカップルに対して行われる治療のことで、最も妊娠しやすいタイミングを予想して性交渉を行う「タイミング法」と、女性の排卵時期に合わせて、精液を子宮内へ注入するという「人工授精」のことを『一般不妊治療』といい、卵子と精子とを体外に取り出し、それらを培養液の中で受精させた上で子宮内に戻す「体外受精」・「顕微授精」のことを『特定不妊治療』という。


不妊検査の後、状況に合わせてどこから治療を始めるかを決めるのだが、比較的負担が少ない『一般不妊治療』から始め、順を追って『特定不妊治療』へとステップアップしていく事が多い。私も、これら全ての工程を経て、最終的に顕微授精にて子どもを授かることができた。


不妊治療は、精神的にも身体的にも、そして金銭的にもかなり負担がかかる作業だ。(特に女性には……!)妊娠しやすい身体づくりのため、仕事をセーブしながら規則正しい生活を心がける。お酒やタバコの節制、ヨガに鍼灸、手作り弁当などなど、自分自身、あれ程健康に対して全力を尽くしたのは、後にも先にもあの時だけだ。にも関わらず、努力と結果が必ずしもリンクしない……。どんなに母体の私が努力を重ねても、質のいい卵子が採卵できるという保証はないし、奇跡的によい卵子が取れても、きちんと受精し、ちゃんと分裂してくれるとも限らない。無事に受精卵が育ち、子宮に戻せたとしても、着床するかもわからない。とにかく、出産までは気が遠くなるほどの工程をクリアしていかねばならない。上手く行かなければ、その都度何十万というお金が消えていく。(※) なかなかなバクチ行為
だと思いながらも、やればやるほど「ここまで頑張ったんだから…」と、引くに引けない。そんな精神状態に陥りやすい。
(※私が不妊治療を行っていたのは、不妊治療の保険適用がなされる前の2011 年〜2015 年)


しかも、女性として、自分が妊娠に至らないことに、ひたすら落ち込む日々が続く。自然に子を授かっていく知人や友人への妬みや羨みの感情が抑えられず、「こんな嫌な自分がいたんだ」と思い知らされる。決して勝ち負けじゃないとは分かっているのに、同時期にどんどん妊娠していく女性たちに対して感じる敗北感……。もちろん人によって心持ちは様々だとは思うが、私自身がそうであったし、周りの不妊治療仲間からもそういう声をたくさん聞いた。また、周りに気を遣わせるのがいやだ、とか、めちゃくちゃ子どもが欲しかったのに、授かれなかった気の毒な人、と思われたくないから、などの理由で、治療をしている事自体隠す人も多い。とにかく、そんな腫れ物だらけの不妊治療なので、この話題は相手から話が出ない限り聞き辛いのだ。



私自身、生理が来るたびに、生命体としてのポンコツ印を押されるような、そんな情けない思いを絶えずしていたが、なぜ私たちは、そんな思いまでして子どもが欲しいのだろうか? そもそも本当に欲しいのか? 多くの不妊治療にトライする女性が、自問自答を重ねる。欲しい理由は人によって違うと思うが、大きく分けて2 タイプあるように思う。


「遺伝子的な意味で、自分(もしくは自分と相手)の子孫を残したい」と思う人。「子どもがいるという家族を作りたい。子育てをしたい」と思う人。私は完全に前者だったので、自分の卵子を使っての妊娠ができなかったら、出産は諦め夫と2人で生きていく道を選ぶつもりでいた。なので、特別養子縁組や里子制度を使って家族を作る、という選択肢は自分には全くなかった。もっとぶっちゃけて言ってしまうと、自分の子じゃないのに、そこまで愛情を注げるとは思えない。なので、さきが里子を迎え入れたと聞いた時は、正直驚いた。さきは、後者だったのだろうか? その辺りもぜひ聞いてみたい部分である。



不妊治療に対して、複雑な心の動きを体験した身として、さきへの取材依頼は、言葉選びに細心の注意を払ったつもりだ。既に治療から何年も経っているので、きっと俯瞰して当時の思いを話してくれるだろうとは思いつつ……私は緊張しながら、さきからの返信を待った。

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