マガジンのカバー画像

2か国に暮らすわたしの日常|ドイツと日本でフリーランス

73
ドイツを拠点として暮らしています。10歳のころに憧れた国、ドイツ。大人になった私は、会社員を辞めて、フリーランスになってドイツに移ることにしました。ドイツに拠点を持つことに成功し…
運営しているクリエイター

2024年1月の記事一覧

一時帰国の最後に家族とハグができなかったこと

今日までが実家の滞在だった。その後の乗り継ぎの都合で飛行機の出発時間は早かったけれど、実家は空港から近いから、たかをくくって準備をしていた今朝だった。 私が頻繁に地元の空港を使っていた頃、飛行機が出る時間の1時間前に家を出たら、出発までの時間は余裕だった。そんな記憶があたまにあって、なおさら私はたかをくくっていた。 私は一時帰国の最後に、家族とちゃんと別れをしたかったはずなのに。どうしてその時間を考えなかったのかと、いまになって悲しくなる。 私たちの家族が大切にしている

夢を叶えるか「女性としての幸せ」か

最近ある方に質問をもらいました。それが、「夢を叶えるか「女性としての幸せ」か」ということです。(言葉尻はあえて少し変えさせてもらっています🙇🏻) 今となってはこういうことを考えなくなったけれど、そういえばこれって私たちの時間軸でいえば相反するものであることが多いんだよな、とふと思いました。特に私の場合の夢は「海外に住む」ことだったので、日本を離れてしまうとなると、人生計画って大きく修正が必要になるんだよなと。 じゃあ私の場合はどう考えて行動したか?ということを話してみたの

新しいコーチとのセッションと愛と人魚

1月から新しくコーチングセッションを受け始めました。 私はいまドイツから一時帰国をして実家にいるのですが、コロナにかかったり、祖母の誕生日があったり、同じ日に大叔父が亡くなったりという出来事がありながら、また愛というものを学んでいます。 私の人生は29歳だった3年前から物語が新しく始まり、大きなテーマは「愛」なのだと受けとっています。その愛の物語はいま3章目まで進んでいて、これがいつ終わり4章に移るのかはわかりませんが、この物語での私は「人魚」なのだと気づいた今回のセッシ

祖母が86歳で生きていることと大叔父が亡くなったことと

祖母が今日、86歳になった。祖母が86歳になるということは、実は私たちにとってすごく重要なことで、私はこの日を待っていた。 私たち兄弟が幼い頃から、時には両親以上に私たちの世話をしてくれた祖母。いまは遠くに住んでいて頻繁には会えないけれど、祖母の存在はいつも大切に思っている。 彼女が86歳になって、私はホッとしている。そんな日の朝、目が覚めたら祖母の兄が亡くなった知らせが届いていた。こんなこともあるのだな、大叔父が祖母を守ってくれたのだろうかと思いながら、このnoteを書

欲のないことをやるのはつらい

コロナになって3日目、昨日から食欲がない。ほのかな吐き気から始まった2日目は、吐いたり下したりをくり返して、出てくるものは胃液しかないのに出る、みたいな状態だった。3日目の今日は食欲が戻ったと思ったのは気のせいだったようで、夜になったいまも特に何も食べたくない。 遅めの朝ごはんに焼きそば、遅めの昼ごはんにはうどんとごはんを少しずつ食べた。「鉄板焼きそばは美味しい」「冷凍うどんは美味しい」という記憶が私の頭にあるから食べれるだけで、「食べたい」という気持ちがわかない。 いま

一時帰国中の新年早々コロナにかかったことの記録

一時帰国をして実家で過ごしているこの1月、しかも休みの日という病院がぜんぜん空いていない期間にコロナになりました。みなさん、お元気ですか。 この記事は時間をおいて投稿するつもりで書いているので、公開時には多少違和感があるかもしれませんが、今の記録として書いておこうと思います。 さて、私が前回コロナにかかったのは、韓国留学中の2022年3月。韓国語はまだまだ全然できない頃、2月にあちこちに電話してなんとかワクチンを打ったのに、3月にコロナにかかりました。 韓国では当時1日

3期 #カナエルバ 募集開始、あなたがあなたに何を体験させたいか

去年の5月から始めたカナエルバ、3期の募集を始める運びとなりました。 個人のサービスに集ってくださる方がいること、本当にありがたい限りです。みなさんのおかげで、この場も3期の方を募集できることになりました。 カナエルバでは、実はその期ごとのテーマを設けています。3期のテーマはこう決めました。 この記事では、私の簡単な自己紹介と、3期カナエルバでご一緒したい方、相談会のご案内をしたいと思います。この場に呼ばれてくださる方がいたら、ご一緒できると嬉しいです。 aimiの略

田舎に帰ることの豊かさ

数日前、祖父母の家に寄った。祖父母の家といっても、それはもうしばらく前の話で、いまは祖父は亡くなっているし、祖母はうちの両親と暮らしている。 子どもの頃は、こんな田舎に育つことを不自由に思った。車がないと何もできないからだ。祖父母の家から当時の自分の家まで、歩くことができないとも言えないけれど、とても歩くような距離ではない。実際、歩いたことは一度もない。 当時住んでいた家から最寄りのJRの駅までも遠くて、車でも20分はかかるような場所だった。こんな場所で育つことは、子ども