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気づいたこと日記

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日々の気付きを日記にして残していきます
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2021年5月の記事一覧

私はわたしを幸せにすることにした

長いこと私は、幸せとは自然にやってくるものだと思っていた。 まじめに働いていたら幸せになれる。まじめに生きていたら恋人ができる。欲深くならずほどほどに、でも人から感謝されるように生きてさえいれば、自然と幸せがやってくる。そんなふうに思っていた。 もちろん、そうやって生きていても幸せだった。仕事はやりがいがあって仲間も好きだし、そこそこ好きな恋人もできた。趣味の旅行に行けるくらいにはお金があるし、充分な生活だと心から思っていた。 でも、それはどうやら違うらしい、幸せとは待

たくさんの後悔がある私が、もし人生をやり直したら

みなさんは、じぶんの人生のなかで後悔をした選択はありますか? 私は、あります。例えば家族との関わりかたとか、大学時代の時間の過ごしかたとか、社会人になってからの仕事との向き合いかたとか。もちろん恋愛面もたくさん。 数えたらキリがないほどあって、ふいに記憶が浮かんできては後悔にさいなまれる瞬間があります。 これは私の自己肯定感の低さとも関連しているように思っていて、今でこそ少し減ってきたのですが、少し前まではよくあることでした。 ◆自己肯定感との向き合いかたについてはこ

ひとの価値は、既婚かどうかで決まらない

会社の同僚や高校の同級生、芸能人に親戚とか、ある程度の年齢を超えると「それであの子、結婚してたっけ?」という話になる。 「結婚をしているかどうか」はすごくプライベートな話のひとつだと思う。なのにいつから当たり前に「評価の対象」になったのだろう。 例えば血液型とかも、ものすごくプライベートな話だと思う。なのになんで、初対面のひとにも答えないといけないのだろう。 なぜ、結婚や血液型のようなプライベートな項目で、勝手に評価をされないといけないのだろう。 なぜ結婚が評価の軸に

外面人間から脱すること

大学生の頃、私は外面人間だった。 中高をスクールカーストの強い学校で過ごした結果、うまく立ち振るまうひとはみんな外面で生きているんだと思っていた。 影響力の大きなひとの前では好かれるように振るまうし、そんなに重要でないひとの前ではそれなりに振るまう。 カーストの下のほうにいた私は、約束だと思っていたことが約束ではなかった出来事に何度も出くわしたし、外面とうわべで感じよく振るまう力も必要なのだと勘違いをしていた。 結果、大学生の頃には中身の努力というよりも「いかに外面を

評価をもらうためではなく、じぶんのために努力をすること

私はずっと、誰かに評価をされたくて努力をしてきた。逆にいうと、評価されづらいことは努力の対象から外してきた。 会社で評価されるから。お客さんに喜んでもらえるから。子どもの頃だったら、先生に褒めてもらえるから、親が喜んでくれるから。 私の行動の軸は、「他者の評価」だった。 中学生の頃の友人の話 中学2年生のとき、ある女の子と友人になった。 素朴で明るくて軸があって、人気のある女の子。何も取り柄がなく、基本的に他人軸だった私は、その子と行動をともにできるだけでとても嬉しか

好きなものは、アピールしたもの勝ち

自己肯定感の低い私は、いままでじぶんが好きなものを堂々と口にできずにいた。 好きだと言ったとしても、「ミーハーなので深く知ってるわけではないんだけど」とか「そんなにできるわけではないのだけど」とか、必ず謙遜をする。 謙遜を添えてしか、じぶんが好きなことを打ち明けられずにいた。 ”好き”という感情の強さを知る そんな私が年始からBTSにハマった。いままでアイドルにハマった経験はなかったけど、彼らを好きになったことがきっかけで、じぶんの価値観がどんどん明らかになった。

私の幸せは、知らない誰かの不幸の上に成り立っている、かもしれない

私はひとより共感性が高いようで、日本はもちろん、海外で起きた悲惨なできごとをいつも他人事に思えない。 いつ同じようなことが自分の身に降りかかるかわからない。そう思うようになったのは、私の出身地が太平洋側で、常に地震の怖さを学んできたからかもしれない。 今の私は幸せ、でも数日先はわからない 例えば事故や地震とか、いつ自分の身に起きるかわからない。テレビで報道される災害に、私も明日遭うかもしれない。 だからじぶんのしたいことは常に叶えていたい。と、同時に、難しい環境下にいる

年間読書0冊の私が、2週間で1冊を読むようになった理由

小学生の頃、私は読書が好きだった。でもそれは、読書自体が好きというよりも、aimiちゃんすごい!と言われたくてやっていた読書だった。 そんな動機なので、大人になるとまったく本を読まなくなった。読むとしても、たいていが義務感で読んでいた。 でも今年になって、初めて『楽しく読む』感覚がわかった。年間読書0冊だった私が、なぜ読書ができるようになったのかを書いていく。 読書とは、『一言一句逃さず読むこと』では無い 私はずっと、読書とは筆者が書いていることをすべて理解するように努