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短歌と和歌

Twitterで書を投稿していたら、短歌や英語のhaikuと出会いました。
三十一文字や自由律、haikuやsenryuなど、たくさんの人が優しい言葉、はっとする言葉をつぶやいています。
私も五七調で書きたくなり、和歌の勉強に、折口信夫の「口語訳万葉集」を読みはじめました。
折口が教え子を思い訳した万葉集は、とても読みやすく、時折り「佳作」や「傑作」など彼の評価や解説もついています。
雄略天皇の御製から始まり、大和の国、讃岐、伊予、紀伊、伊勢、吉野を旅した歌、各地で出会った人との別れの歌、離れた人を恋しく思う歌、死別の悲しみ、恋の駆け引き、貴族から田舎娘、防人、歌人、老若男女の言葉のやりとりが続きます。

Twitterで流れてくる色んな人の短歌やhaikuや詩を読んでいると、花のうつくしさを、別れの悲しみを、旅の楽しさを、人恋しさを歌う言葉に、今も昔も人の心はあまり変わらないのだと感じます。

和歌と短歌の違いは、短歌は「私」の心を表現するのに対し、和歌は自らの心情を自然の移ろいに重ねて表現することだと、披講で習いました。
古の人の和歌にも、愛別離苦を読んだものが多いのは、歌を詠み、書いて、伝えることが、心を癒やしてくれるから。
自然という摂理に人の心の虚いを重ねることは、ミクロの心の内側を、マクロの自然や宇宙に委ねること。
和歌は、人もまた自然そのものあることを思い出させてくれるからかもしれません。


古の事は知らぬを
我見ても久しくなりぬ
天香具山
(天地は悠遠である。
語部の物語や、歴史の書物は
ほんの一部しか教えない)
万葉集1096

和歌を書くことのマインドフルネス

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