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黄金のアデーレ

黄金のアデーレ~名画の帰還
Woman in gold (2015)

クリムトの「黄金のアデーレ」
1998年当時、ベルヴェデーレ美術館に収蔵され、オーストリアのモナ・リザと呼ばれていた。
モデルになったアデーレ・ブロッホ=バウワーは、オーストリアの裕福なユダヤ人実業家フェルディナンドの妻だった。
「夫の死後、美術品をベルヴェデーレ美術館へ寄贈する」という遺言を残して、1925年アデーレは病死。
絵をクリムトに依頼した夫フェルディナンドはナチス進行直後オーストリアを離れ、1945年に死去。
「黄金のアデーレ」は、1941年ナチスに収奪されベルヴェデーレ美術館へ収められていた。

アデーレと一緒に住んでいた姪のルイーゼとマリアは、実の子供のようにかわいがられていた。フェルディナンドはすべての遺産を二人に残すという遺言を残していた。
1998年ルイーゼが亡くなり、ロサンゼルスに住むマリア・アルトマンは、姉の遺品の中に手紙を見つけ、この絵の返還要求ができないか、弁護士になりたての友人の息子ランディに相談する。

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個人の所有品を返してもらう。
当たり前のことのようだけど、それが美術品で、誰もが知るような名画で、美術館に収められて、国相手の裁判になるとわかっていたら、最初のランディのように、無理だろと諦めてしまうと思う。
両親も夫も姉も亡くなり80歳を超えたマリアは、絵の所有権が自分にあるのかどうか知りたいとランディをたきつける。何十年ぶりに祖国オーストリアに帰り、楽しいことも封印した恐ろしい出来事も一つ一つ身を切るように思い出す。初めは取り戻すまで戦う気だったけれど、頑なな態度の評議員や陰口に疲弊してしまう。
一方他人ごとだったランディは、祖父の名の残る国で、彼の中にあった何かが目覚める。

1億ドルする名画だからとか、国家同士の利権とか、最高裁裁判と、話はどんどんおおきくなっていく。
根底にあるのは個人的な大切な思い出。美しい叔母との時間、絵と同じ首飾りを結婚式の日に叔父に着けてもらったこと。家財を奪われ、命の危険と引き換えにアメリカまで逃げてきたこと。

個人に対して、国家や権力は非情で理不尽で容赦ない。
ロサンゼルスで平和な生活を手に入れたはずなのに、絵画を巡り、再び国家や権力と対峙することで味あわされる屈辱。
権威主義や全体主義に従った方が楽と感じ、卑劣な行為を正当化する、そんな人間の残酷な歴史は今も続いている。

「黄金のアデーレ」が描かれたのは1907年。
グスタフ・クリムトは1918年に死去している。
劇中にアデーレが長生きしていたら、美術館に寄贈するという遺言を残したかわからない。という言葉がある。
彼が描いた多くの当時上流階級だった夫人の何人かはホロコーストでなくなり、ナチスに没収され焼失した作品もある。
ユダヤ人としてアメリカで生きてきたマリアが戦っていたのは、国家や権力や大きな威を借りて横行する不遜や、不敬な人間の弱さであり、それは彼女の中の両親を置いてオーストリアを脱出した呵責でもあるのかもしれない。

裁判に勝つためだけなら、アメリカの有力なギャラリーと手を組み最高裁に強い弁護士に替えればよい。けれどマリアは経験浅くても同じオーストリア人の血を引くランディと共に戦うことを選ぶ。

『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』 - (1907年、個人蔵。2006年、絵画として当時の最高値の156億円で売却。ノイエ・ギャラリー(ニューヨーク)に展示されている)とだけ読むのと、この映画を見てこの作品を観るのとでは感じ方が変わるだろう。
本物をニューヨークに見に行きたいと思った。


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