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「叶わない」ことの焦ったさが好き

「片想い」をしていたのは、大学一年生から三年生までの約二年間。
私が学生の頃、一番恋をした人は、恋人ではありませんでした。
本気で「恋」をしていたけれど、彼とのゴールを「恋人」として求めていたわけではなく「女性の一人」として認めてもらうことに、とにかく必死。「顔がタイプ」、「年上の尊敬できる人」、「おしゃれ」「エリート」。そんなところも好きな要素ではあったけど、何よりも、「一生叶わない」と知っていたからこそ、のめり込んでしまったのだと思います。

その方は既婚者でもなければ、彼女はいませんでした。私たちは、「ただデートをするだけ」の関係。一緒にレストランでお酒を飲んだり、ドライブをしたり。性格的にはウマが合わず、一緒にいる時間に会話が弾むことは一度もない。時々、「かわいい」「綺麗」などの褒め言葉を言ってくれる人だった。

会うたびに、気だるそうにタバコを吸って、私のことを「知識がない」、「恋愛経験に乏しい」、「人を愛したことのない人間」だと否定をされました。

「一体この人の求める女性像ってどんな人なのだろう。」と何度も頭を悩ませては、苦しんだ。決して、それは私には程遠くて、正反対なのだろうということだけはわかっていた。

彼氏ができても、悲しいことに「その人以上」の男性は現れませんでした。

夢中にさせた、その魔性の魅力は、私の中の何かを止めて、何かを終わらせた。「彼氏が欲しい」と願う純粋な気持ち、タバコの匂いが嫌いだったこと、自尊心、心から美しいと思っていたもの、好きだったこと、好きだった人、付けていた口紅の色。ひたすらに自分を諦め、自分を失くした。その人が「好きなもの」を追い求め、「美しい」と思うものを自分の中に取り入れ、「求められた知識」を身につけようと努めたのです。

自分が、好きな人の求めているものに、どんなに化けたとしても、認められなかったし、「叶わない」という事実は変わらない。届かないことの苦しさに涙を流したこともあったけれど、なぜかその焦ったさが好きだった。

恋愛は、「結局、自分に恋をしているだけ」というけれど、それは正解で、「その人を好きな私」を愛していたのかもしれません。

今思えば、その時代は素敵だった。片想いしている人とデートする前は、完璧な自分へ仕上げるため、必死に身支度をしていたり。例えば、体をちょっと引き締めるためにジョギングをして、シャワーを浴び(走っても走らなくても必ず浴びていた)好きな香水をつけて、おしゃれな服を着て、メイクをして。
普段よりもワンランク上の自分に仕上げるのが楽しかったのだと思う。

今、「片想い」している人はとても辛いはず。でも、「自分のために楽しむ時間」、だと思えばいい。以前と比べて、レベルアップされた「自分」と出会えるはずだから。人それぞれ違うかもしれないけれど、ダイエットをしたり、メイクを変えたり、自分が普段選ばない服を着てみたり。

恋している女性は皆、美しい。誰かのために涙を流したり、胸キュンして笑顔になったり、ひたすらに無邪気。「叶わない」ことの焦ったさに苦しむけれどヤメられない。苦しいけれど、そんな感情が嫌いではないから。

振り返れば、なぜ彼に恋をしていたのか分からない。でも恋をしていた時は楽しかったと思うことができる。いつか「恋をしていたこと」自体も忘れてしまうのだろう。
だからこそ、忘れないうちに、その気持ち、時代を楽しんでみてほしい。振り返った時に「片想い」している時代のあなたが一番美しい。片想いも終わる頃には、「あなたを愛してくれる人」に出会えるはず。そんな人に出会えるまで、その気持ちを諦めなくても大丈夫。必ず終わりが来るし、そんなゴールが見える頃、あなたは、自分の愛する人に、愛されて幸せなのだから。

片想いが終わり、数年経った今、私はとても幸せです。愛している人に愛されていて。そんなゴールのために、あの片想い時代は自分自身に対して「投資」をしていた時間なのかもしれません。

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