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お弟子さん制度が私に与えたインパクトについて。

こんにちは。
ライフストーリー インタビュアー/心理カウンセラーの 真中愛です。


根本裕幸師匠のお弟子さん制度、6期の募集が始まりました。


私は5期生で、今年(2022年)3月にすべてのカリキュラムを修了しました。

参加を考え始めたのがたぶん前年6月ごろ。
その時点ではまだ5期の要項が出ておらず、私は実質4期の募集ページを読み込んだ末に応募を決めました。

私にとって申し込みの決定打的部分だったのがこの一節です。

結果的にお弟子さん制度というのは「カウンセラーの育成」という形を借りた「ライフワークセミナー」であることに気付いてきました。
私にとってライフワークとは「自分らしい幸せな生き方」を実践することです。
(4期の募集ページより)


私は幼少期からの生きづらさに加えて心の世界に強く興味を惹かれていたのも相まって、今までの20年間にさまざまなジャンルのカウンセリングを受けてきました。

根本さんのブログと出会って半年後にはお弟子入りを決めたものの(毎度ながら完全に直感と勢い)、期待と不安の両方とも極力持ちすぎないようにしよう、と自分に言い聞かせていました。
なんせ長いことずーっと自分と向き合ってきて、手を変え品を変え状態でいろいろ取り組んできたけれど、どうしても抜けられた!というところまで至ることがなかったのですから。

半年間、心の世界にどっぷり浸かってがっつり勉強できることにはこのうえない喜びを感じていましたが、カウンセリングは「受け専門」であるダメ人間の私がカウンセラーになれるともあまり思っていませんでした。


そんな私が根本師匠のいうところの「ライフワークセミナー」であるお弟子さん制度を受けて、果たしてどうなったのか?
講座に参加した半年間、そして終了から今日までの4ヵ月を含め、応募を決めてからほぼ1年。
今の私について書いてみようと思います。


私には物ごころついた頃から一貫して「分からない」ことに対する強い好奇心がありました。

もしかしたらそこには、好奇心を通り越した焦りや怒りやフラストレーションみたいなものも抱えていたんじゃないかという気がします。
特に自分が苦しみを持って対峙するもの、焦燥感を伴うほどに心惹かれることほど「ほんとうのことを知りたい」という願望を持ってきました。
 
自分のほんとうのことを知りたい。
相手のほんとうのことを知りたい。
親子や血縁のほんとうのことを知りたい。
恋愛のほんとうのことを知りたい。
セックスのほんとうのことを知りたい。
社会のほんとうのことを知りたい。
宗教のほんとうのことを知りたい。
心の世界のほんとうのことを知りたい。
この世のしくみのほんとうのことを知りたい。


今思い返してみると、自分なりのさまざまな方法で「知る」を広げてゆくことの苦しみや喜びをたくさん味わうことのできた、本当にありがたい人生でした。
一方で、「ほんとうを知る」なんていうことは一生をかけても叶うものではない、ということは分かっていて、だからこそ私は潜在的に無価値観を持たざるを得なかったんだと思います。
 
私にこの「知りたい」がある以上、無価値感やら生きづらさやらを抱えることはもはや仕方のないことで、宿命なんだ、くらいにどこかでずっと思っていたのだと思います。
それが長年にわたり生きづらさを「手放せない」状態を作ってきた大きな理由のひとつとも言えるのかもしれません。


ところがですよ!
 
お弟子講座を通してみっちり自他と向き合う中、私はこの「知りたい」の根源と出会うことになりました。
 
「知りたい」のルーツ。
それは、母親の言うこと(価値観)がさっぱり分からずに、無条件に従いながらもその意味を分かりたい、分かってあげたい、という幼い私の強い思いでした。
ところがどれだけがんばっても母親の言うことは一向に分からないままでした(今でもちょいちょい分かりません。笑)。
これこそが「私には分からないんだ」という無価値感や自責の念、「従いつつも分かっていない」ことへの罪悪感をたんまり持つに至った理由でした。

そう考えると、私にとっての「知りたい」は「愛したい」ということなんじゃないだろうか?
 
自分のほんとうを愛したい。
相手のほんとうを愛したい。
親子や血縁のほんとうを愛したい。
恋愛のほんとうを愛したい。
セックスのほんとうを愛したい。
社会のほんとうを愛したい。
宗教のほんとうを愛したい。
心の世界のほんとうを愛したい。
この世のしくみのほんとうを愛したい。
 
書き変えてみたら、そのひとつひとつがものすごくしっくりくるものばかりでした(文法的には若干おかしいんですが)。


私の「知りたい」は「愛したい」だった。
ということは、あらゆるものごとをひたすらに知ろうとしてきた私は、あらゆるものごとをひたすらに愛してきたんだ。
「知りたい」なんてものすごく自分本位で傲慢な欲求だ、そんなふうに新たな罪悪感の上塗りをしなくてもよかった。
そして無価値感を抱え続けることで、「もっと知ろう」つまり「もっと愛そう」としてきたんだ。
 
一方で、罪悪感から逃れたくて自分の正しさにこだわったり、無価値感を埋めたくて外から価値を見てもらおうとして依存的になったり、人と比べることで自分の価値を見出そうとする競争につながっていたんだ、ということも分かってきました。

私が「生きづらさ」と捉えていたものの本当の正体はそれらであり、「知りたい」を追う過程で生まれる葛藤とは、まったく別ものだったんだ。
その、自らの内面に起こっていたカラクリにはじめて気づくことができました。


変化や気づきはほかにもたくさんあるのですが、このことが私自身がいちばんインパクトを受けたことだと思います。
そして変化は私自身にとどまらず、夫と子どもにまで。
私のお弟子講座受講は、終わってみれば一家もろとも盛大なインパクトを受ける結果となりました。笑

ーお弟子期間中に始まった、子どもとの対話について。


私が変われば周りが変わる、その教えをまさに身をもって体験することになったのです。
そのことについてはまたの機会に。


根本師匠を信頼し、師匠のもとに集まるみんなを信頼し、自分自身を信頼し、プロセスを信頼することで、思いもよらなかった「今ここ」にいます。

安心して、信頼して、思い切って委ねることができる場所です。


もし私の言葉の中に、ピンときたりぱっと目の前が開けるようなものがあったなら嬉しいです。



■真中 愛【ライフストーリー インタビュー/カウンセリング】

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