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ここぞの転機は降って湧く(インドと私①)

こんにちは。
ライフストーリー インタビュアー/心理カウンセラーの 真中愛です。


私について語るうえで外せないワード、それは「インド」。
ということで、インドと私の間で一体なにがあったのか?
これからすこしずつお話してゆきます。


2008年から2014年までの6年間、インド北部のグルガーオンというデリー郊外の商業都市に、家族(夫と息子)で住んでいました。
その期間とロケーションはいかにも駐在なんですが、実際、ほぼほぼ駐在員家族のような生活ではあったんですが、私たち一家がインドに渡るいきさつと現地生活のスタートはかなり特異なものでした。


そもそも私たち夫婦についての話を少ししますと。
出会いは2002年。ひとり旅のバックパッカー同士として、ラオスのメコン川沿いのレストランで一緒になったのが最初でした。
ちょうど水かけ祭りの時期で、数日間はほかの仲間と一緒に祭りではしゃいだり、周辺の観光スポットを周るツアーに参加したりしましたが、旅程が違ったためそのまま別れました。
その後タイでまた数日一緒になったりしつつ、私が先に入っていたインドでみたびの再会をしました。
そして観光ビザ6ヵ月をフル活用するうちの、3ヵ月くらいはふたりで一緒に旅して周ることになりました(途中スリランカに行ってインドビザを更新したので、もうちょっと長かったのかな)。

とにかく私と夫は夢中になってインドを旅しました。
(※文脈があいまいですが夢中になったのはインドです)
毎日汗と埃にまみれてあほみたいにあちこち歩き回り、インド人にちょっかいを出したり出されたり、朝は手洗いで洗濯をし、昼は手づかみでカレーを食べ、夜になると裸電球のぶら下がったバラックでお酒を飲んで。
少しずつ場所を変えながら、同じような毎日を飽きることなく繰り返していました。
たまには贅沢して肉の塊を食べたり体調を崩したりふたりの間にイヤな空気が流れたりしながらも、ふたりが同じような感覚でインドをとても好きで、そのことがまたお互いにとても嬉しかったのです。

その後の行き先が別だったためインドでいったん別れ、2003年3月、私はバンコクから、夫はカイロからそれぞれの旅に決着をつけて帰国し、お互い無職、無一文で結婚。
私は妙齢(28歳)のうえに帰国後の将来設計はノープランだったのでまさに渡りに船、夫はそもそも今回の旅を「大陸横断嫁探しの旅」と銘打っていたので、見事その大義を果たし、夫ゆかりの地である福岡での結婚生活をスタートさせました。
(余談ながら、よく無職同士の新婚カップルという最強の条件で部屋が借りられたものです・・時代や地域性もあるのかな。なにより当時ご協力くださったたくさんの方々のおかげです)


降って湧いた話が持ち掛けられたのは、それからおよそ5年後。
降って湧いた(わけではない)息子が1歳を迎えるころ、インドで出会ったご恩ある知人から、一家でインドへ行かないかという打診がありました。
その方がとある中小企業の社長さんのインド進出をサポートされていて、現地に駐在できる人を探している、仕事上の専門的な知識よりもとにかくインドで生活できることが第一条件だということで、私たち夫婦に白羽の矢が立ったのです。

当時夫は独立起業して間もない事業が全く軌道に乗らず、そのことが大きな原因のひとつとなって私たちは第一次離婚の危機を迎えていました。
なので図らずともその知人には、インド行きの話とともに夫婦関係修復の仲介役も果たしてもらう形になりました。

話をもらった最初の時点では、私と夫双方とも、インド行きにぜんぜん乗り気ではなかったのです。
あれだけ好きだったインドで生活ができる、ということに楽しみを見いだせず、その話自体がなんだか絵空事のようで、リアリティをもって受け取れませんでした。
なによりもそれは、ふたりの心がすっかり離れてしまっていたから。

そんな状況の中で、夫婦関係修復とインド行きとが並行して話し合われました。
物理的にも距離を置いたり知人を交えて話をしたりして、お互いがお互いの腹を探り合いながらじりじり向き合っていたら、あるとき、ふたりの心が同じタイミングでインドのほうを向いたのです。
もちろん夫はどうだったか本当のところは分かりませんが、少なくとも私には、夫婦関係がどうのこうのというよりも、あ、もしかして今できるのはインドに行くことなんじゃ?という、そっちの方向性のほうが先にばちっと合った、という感触がありました。

そこからは早かった。
もうあんまり覚えていないけれど、あっという間に話がどんどん進み、あれやこれやの手はずを整えて、そうこうしているうちにふたりの結束もいやが応にも強まっていって、半年後にはインドに渡る日を迎えました。


当時のことを振り返ってみると、もしあのとき夫の事業や夫婦仲が順風満帆だったら、私たちははたしてインドに行っていただろうか?と思うのです。
もしくは、離婚の危機にあったからこそ、インド行きの話が来たのかもしれない、とも思うのです。
なんにせよ、ここぞの転機は一見するとただの偶然がいくつも重なって、降って湧いたようにやってくる。
でも後になってみると、もうそれ以外では成り立たない、ありえない、という完璧なシチュエーションとタイミングでやってきていて、その機を逃さなかったからこそ、すごい勢い(でもとても自然な流れ)でものごとがどんどん展開していったんだ、ということに、ちょっと愕然とするくらいに気づくのです。


そんなこんなでスタートした家族3人でのインド生活。
楽しいことも、大変なことも、ちょっとありえないことも、とてもありえないこともいっぱいありましたが、初期は住環境がわりと過酷だったことと、なにより会社が正式にインドで事業を稼働させるために必要な各種手続きやら諸手配やらがうまくいかず、先行きにかなりの暗雲が立ち込めており、特に夫は精神的になかなか大変な状況でした。

そしてインドに渡ってわずか3か月ほどで、会社はインドへの進出をいったん保留にしてしまいました。

そこで夫には「帰国して、日本にある本社で働く」という提案がされたわけですが、そもそもインド駐在ありきの転職であり、その会社は夫の専門とは全く関係のない職種でした。
なにより、もうすっかりインドで生活してゆく気満々になっていた私たち夫婦は、インドに留まり、夫はインドで就職活動をするという選択に踏み切ったのです。

②へ続く



△▽△▽△ 本日の 真中 愛 △▽△▽△

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今日の香りはネロリ(インドの練り香水)。


■真中 愛【ライフストーリー インタビュー/カウンセリング】

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