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タイタン号事故から見るAIによる日本語の変化

昨今AI技術の発達は目覚ましく、自動運転や物流、はたまた絵や物語などの創作に至るまで様々な分野で活用されようとしている。
その中で、AI(人口知能)が我々人類のコミュニケーションツールである言語に影響を与えつつある可能性があるとしたら、あなた方はどう思うだろうか?

2023年6月18日頃、カナダ沖合で潜水艇タイタン号が潜水中に水圧によって圧壊、沈没するという事故が起きた。水深3800mに沈んでいるタイタニック号を見に行く観光ツアーの途中だったこの艇にはパイロットとガイド、3人の乗客が乗っており、いずれも死亡したとされている。

後の調査によって、実はタイタン号は、居場所が分からなくなり軍やメディアが騒ぎ出した頃には、既に深海の高圧によって一瞬にして艇はおろか乗組員も潰されていたことが分かった。
ここではこの「深海の高水圧によって潜水艇内の空間が勢いよく圧縮され崩壊する現象」を説明するために使われた単語「爆縮」(implosion)について言及し、その用法の妥当性と使われた経緯、そこから見る日本語の変化について考察する。

「爆縮」とは

爆縮(ばくしゅく、: implosion)とは、全周囲からの圧力で押しつぶされる破壊現象のこと。
爆縮は爆発の圧力を外部に解放するのではなく、内部圧力の上昇へと向かわせこれによって通常では得難い物理現象を発生させるのに利用される。主として工学的な意味に用いられている。

Wikipediaより

文字通り、「爆発的」に「圧縮」するのが「爆縮」である。有名な例が原子爆弾の起爆方法だ。
爆縮型(Implosion-type)と呼ばれる方式の原子爆弾は、爆薬の爆発によって発生した衝撃波を中心部のコアに集め、中にあるプルトニウムやウランを一気に圧縮することで核分裂反応を起こす。長崎に落とされたファットマンもこの方式だ。

爆縮型原子爆弾

筆者は専門家ではないが、「爆縮」という言葉はこの原子爆弾のような、瞬間的な外力を用いた内部の圧縮、という意味でしか聞いたことがなかった。水圧(圧力)による崩壊という文脈では「圧壊」が用いられるのが通常だ。(この動画でも元海自潜水艦隊司令官の方が言及している。)

ではなぜこの事件で「爆縮」という言葉が用いられたのか。

ここで報道をさかのぼってみる

これは日本時間2023年6月23日午前4時頃(現地時間22日午後3時頃)、アメリカの沿岸警備隊による、タイタン号の破片が見つかり乗組員の生存が絶望的になったことを公式に発表した会見である。

問題の単語が出現したのはこの動画の6:10から
「乗組員の遺体を回収できる可能性は?」という記者の質問に対して、

"This is incredibly unforgiving enviroment down there on the sea floor, and this debris is consistent with a catastrophic implosion of the vessel. And so we continue to work and continue to search….."
「海底は信じられないほど過酷な環境であり、見つかった破片は壊滅的な船体(耐圧室?)のimplosionと一致している。我々は引き続き調査を…」

米国沿岸警備隊による会見より(筆者訳)

おそらくこれが、imposionという単語が公式に発せられた最初である。この会見を受けて欧米メディアは英語で記事を出す。日本人がこのニュースを目にするのはもう少し後である。

日本での第一報、implosionが爆縮へ

会見の直後に出た欧米メディアの速報。それらはネット民によっていち早く日本語に訳され、初めて日本人の目に入ることになる。

おそらくこれが日本人が日本語で目にする最初の問題部分だ。
5chに建てられたスレッド。時刻は日本時間の6月23日4時28分、会見が終了した約10分後。CNNが出した速報を日本語訳している。
問題の部分を詳しく見ていく。

“This is an incredibly unforgiving environment down there on the sea floor and the debris is consistent with a catastrophic implosion of the vessel,” Mauger, the First Coast Guard District commander, told reporters.
「海底は信じられないほど過酷な環境で、破片は船舶の壊滅的な爆縮と一致する」と第一沿岸警備隊管区司令官モーガー氏は記者団に語った。

5ch過去ログより

"implosion"が「爆縮」に訳された瞬間である。
この翻訳が誰によってどのように行われたのか。筆者は会見終了から日本語訳が出るまでの速さから機械翻訳を疑い、実際に複数の翻訳サイトを用いて検証した。

Google翻訳やんけ!!

Google翻訳結果

筆者がGoogle翻訳にCNNの速報記事を入れてみると、日本語訳が完全に一致することが分かった。記事内容の他の部分も一言一句同じ文言が出力されていることから、Google翻訳によって翻訳されたとみて間違いないと思われる。
これにより、"implosion"が「爆縮」として世の中に広まっていく。

日本のマスメディアは

日本のマスメディアの報道は、当初、会見の冒頭部分から
(The debris is consistent with the catastrophic loss of the pressure chamber.
深海の水圧に耐えられず水中で大破した。(毎日新聞)
水圧で「壊滅的に押しつぶされ」(読売新聞)

このように伝えられた。
しかし、数時間が経ち、夜のニュースになると

問題の部分が引用され、複数のマスメディアが「爆縮」によって沈んだと報じた。
先述の通り「爆縮」という表現はこの事件に関して的確な言葉ではない。各マスメディアは報道内容に関して的確な日本語を使用すべきであるし、当然その点には十分注意して原稿などをチェックしているはずである。ではなぜこのようなことが起きたのだろうか。

「専門家」によると…

マスメディア側が報道の正確さを守ろうとしているならば、それを担保するために内容を専門家に確認しているだろう。
そこで「爆縮」という表現をしているマスメディアに専門家として出演し、コメントしている方を調べてみた。ここでは固有名詞を出すことは避けるが、とある大学の海洋系学部の教授であるらしい。
所属する大学や研究室のホームページから経歴を調べてみると、彼の持つ学位は経済博士。専門は経済学、海洋安全保障、海洋政策であるようだ。
彼は専門家として出演した映像の中で明確に「爆縮」という言葉を使ってこの事故を説明しているし、金属疲労による可能性にまで言及している、がしかし彼は海洋「経済」の専門家であって、技術者ではなかったのだ。

あくまでこれは僕の想像ですが…

ニュースが作られる過程で、何が起きているのか。
各報道を見ると、「~によりますと」という文言が随所に見られ、CNNやWSJなど欧米メディアの報道を引用しているようである。
英語の報道を、まず専門知識のないメディアの中の人が翻訳する。その際に、邪推をすればGoogle翻訳を使って原稿を書いたのかもしれない。"implosion"を「爆縮」と訳すのは、ネット上で筆者が調べてみたところ、Google翻訳しかないからである。他の多くの辞書では「内破」(これもあまりよくわからない日本語ではあるが)と言う訳が一番先に出てくるからである。
機械翻訳を使った、かどうかはわからない、がネット上ではすでにAIによって翻訳された「爆縮」が広まっていて、それを前例としてニュース原稿や記事を書いた可能性はあるのではないか。そしてその言葉を修正するはずの専門家が実はその分野の専門家ではなかった。
これによって、AIに翻訳された「爆縮」という表現がマスメディアの権威性によって力をつけてしまったのである。

「世間の反応」への影響

報道の際に出てくる専門用語をどう扱うか。分野の本当の専門家に内容の確認を依頼しなかったメディア、あたかも自分の専門であるかのように専門外の分野にコメントする大学教授にも思うことはあるが、主旨から外れるのでここでは詳しく述べない。

が、「爆縮」という言葉はその字面、報道で説明のために流された金属の大きな円筒が圧力差によって潰れる様子の映像、のインパクトから、瞬く間にバズワードとして世間に広まった。

また、Youtubeではこのバズワードに乗ったコンテンツが作られ、

教育系Youtuberもこの用語を用いて動画を作っている。
この動画を見た若い世代の人々が、潜水艦が深海で水圧によって潰れることを爆縮と言うのだ、と学習したであろうことも想像に難くない。

今まさに、単語の持つ意味、言葉の中にある日本語話者達が持つ共通認識が、AIによって変化させられ、メディアによって固定化されようとしているのである。

まとめ

ここまでの流れをまとめてみた。

implosionが爆縮になるまで

AI翻訳はまだどの分野、どの文脈でどんな言葉が使われるかを考慮して翻訳するまでには至っていない。しかし便利さがゆえに気軽に使い、このような齟齬を生み出しているのも事実だ。膨大な文章から値だけを抽出し生成されてゆく翻訳。これが続くと語彙が簡略化されどんどんシンプルになり、単語の量自体が少なくなってゆく可能性がある。
まだまだ未成熟の技術、それを大衆が使うことで洗練されていくのもこの技術。その間に我々人類側に及ぼす影響は少なくないだろう。そしてそれは翻訳AIだけでなくすべてのテクノロジーに言えることなのだと思う。

言葉はいつだって変化している

言語は世代を経るごとに変化し、その時代にはその時代の言葉遣いが生まれ、そして消えてゆく。その変化は異文化との交わりや技術革新、流行によって起きる普遍的な営みである。インターネット、スマートフォンの普及によって我々の文化は急速な発展を見せ、それに伴って日本語も変化していることは言うまでもない。
この件はAIによる翻訳から生じた事件であるが、筆者の他にも沢山の人々が翻訳の違和感に気づき指摘されていた。筆者も素人ながら気づくことができこの記事を書いている。
だがもし、AIによって表現された言葉がネットを通して我々の共通認識を形作るようになれば。そしてだれも違和感を持つことがなく人々がその言葉を使い、人と、あるいはAIとコミュニケーションするようになる時が来る。
我々は今、時代の変革をみている。

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