私はかんもくガール
こんにちは。(自称)場面緘黙症当事者の曖昧と模糊です。
私には幼い頃から、「特定の場面になると、話したいのに話せなくなる」という場面緘黙症状がありました。ですが、正式に診断されたことはないので、(自称)と付けることにしました。
私の自己紹介はこちらです。
今回は、「私はかんもくガール――しゃべりたいのにしゃべれない 場面緘黙症のなんかおかしな日常」という本を読んだので、当事者として共感できたところを中心に、感想をまとめていきたいと思います。
場面緘黙症について知らない
私は、学校の友達とは話すことができていましたが、人前に出たり、注目されたりする場面では話すことができませんでした。
また、祖父母の家や習い事でも話すことができませんでした。
家庭訪問や授業参観を通して、親と先生は私の様子を把握していたはずなので、そこで場面緘黙症の疑いがかからなかったということは、親も先生も、祖父母や習い事の先生たちも、場面緘黙症について何も知識を持っていなかったのではないでしょうか。
自分を責める
私は、学校で発言を求められる場面では、しっかり普通に話したいと強く思っていましたが、祖父母の家や習い事では、まさしく筆者と同じように「急にしゃべったらヘンだよな・・・」と思い、「かんもくキャラ」を脱することができませんでした。
ただ、周りから「変わってる」と言われたり、いじられたりすることはなかったので、その点は恵まれていたなと思っています。
恥ずかしい
私の場合は、家で、親の前で音読をするという宿題がなかなかできませんでした。
いつもなら普通に話せる親の前でも、注目されて、自分の声だけが聞かれるのだと思うと、恥ずかしさや緊張や不安で、第一声を発することに苦労していました。
「場面かんもく傾向」
これらの分類基準の詳細は書かれていないのですが、私もおそらく❶の「場面かんもく傾向」に当てはまるのではないかと思います。
また、筆者は親から言葉の虐待があったり、クラスメイトから変な子扱いされたりしていましたが、私は親との仲も良かったし、先述の通りいじられることもなかったので、❹のグループには該当しないと思います。
周りの対応
私の場合、自分が話さないことを責められた記憶はありませんが、「話さないと分からないよ」と諭されたことはあります。
また、発話を「強要された」といえるのか分かりませんが、学校では普通の子と同じように発言や発表を求められていました。
例えば、宿泊体験学習の閉会式での発表に指名されたことがあります。
詳しくは下の記事で書いています。
振り返ってみると、私にとっては普通の子と同じように対応してもらえたことが一番の支援になっていて、場面緘黙を克服する力を養う経験になっていたのだと思い、当時の先生には心から感謝しています。
恐怖
私は、人前で話す時に泣いてしまうという症状が10代後半まで続いていました。20歳を過ぎてから、ネットで場面緘黙の漫画をちらっと見つけたことがきっかけで、場面緘黙について初めて知りました。
それまでは、自分が泣いてしまう原因について、内気な性格だから、極度に緊張しやすい性格だから、メンタルが弱いからだとばかり思っていたのですが、場面緘黙の知識を得て初めて、自分は恐怖を感じていたのだと認識することができました。
おかげで、自分の性格や性質を責める気持ちが軽くなったように思います。
発話の成功
私は地方で生まれ育ち、幼稚園から高校まで同じ町で過ごしていたのですが、大学進学を機に上京し、一人暮らしを始めました。
それまで、買い物をするのもお店で注文するのも親に頼っていたところを、全て自分でやらなければならない環境に身を置いたのです。
また、接客業のアルバイトも始めました。
強制的に発話をしなければならない環境を作ることで、緊張していても不安を感じていても勇気を出して発話ができるような力を培うことができたと思っています。
育った環境
私は大学生時代、とある参考書で人間の発達について勉強したことがあります。その時に知ったことなのですが、人間の性格が分岐する乳児の段階で、自分にとって不快な状況が続くと、その後の性格の育ち方に影響が出るのだそうです(詳しい内容はしっかり覚えていないので、間違っていたらすいません)。
とにかくその時は、自分の内気な性格や恥ずかしがりやなところ、自己肯定感が低い性質は親の育て方に問題があったせいなのではないかと、親を責める気持ちが初めて生まれ、怒りも湧いてきました。
怒りの気持ちを親に直接ぶつけたことはないのですが、モヤモヤ、イライラとした気持ちはしばらく続きました。
どう捉えるか
なんだかこのページを読んで泣きそうになりました。
振り返るとつらくて苦しい時間がたくさんあって、二度と戻りたくはないけれど、そのおかげで私は逆に緊張に強くなれたと思うし、注目される場面でも不安に飲まれない集中力を身につけることができたと思っています。
だから、場面緘黙を持っていたことは、私にとって必要なことだったのだと今では思うことができます。
ただ、今でも状況によっては話せないので、完全に場面緘黙を克服できたとは思っていません。ですが、できることは確実に増えているし、場面緘黙当事者として、自分だからこそできることもあるのではないかと思うので、これから何ができるのか、前向きに考えていきたいと思っています。
最後に
この本は、かんもくネットによる解説以外、全編漫画となっているので、とても読みやすいです。また、なかなか知る機会のない場面緘黙当事者の気持ちが分かりやすく描かれているので、当事者の方も、支援者の方も、非常に参考になると思います。
ただ、一口に場面緘黙症といっても、症状の出方や本人の気持ち、改善するかどうかなどは個人差が大きいと思いますので、あくまでも一つの例として捉えるべきだという点だけ、注意していただければと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。