見出し画像

節目になって、与えてもらってたことに気づく。2年目までの配達業務

社会人3年目の春に部署移動が決まり、忘れないために記録したもの。

2年間携わった食品や日曜雑貨の配達業務。曜日ごとに決まったエリアで、自分が担当を持ったおよそ1日45件×5曜日のルート配送をした。
得意不得意はもちろんあるけれど、現場で仕事をすることが、私にはとても大変に感じ、そして現場を離れた今、そこで働く人たちへのリスペクトがさらに増している。

配達の大変なところ
・1番大変なのがトラックの運転
何よりもまず事故をしないこと、といろんな人に言われた。狭い道、切り返さないと曲がれない道、ミラーを畳まないと進めない道が乗用車よりさらに多い。雨の日は細かいところが見えずらくて危ないし、スリップしたりもする。
そして肩身が狭い。対向車が通れないが、どうしてもここしか止められないという場所に止めて、怒られることも多かった。少しだけ、待ってくれたらな…と思うがこれはしょうがない。そして何より色んな車、というより運転手がいる。大変だった。

・夏は汗だくだし冬は寒すぎる。雨の日や強風も関係なく業務がある
そもそもが動き続けては汗をかいて、スポーツしてるような業務。
さらに夏はバテそうになりながら、蒸されたトラックの中のもわんとしたところで準備したり、水分を取らないと倒れそうな猛暑に体力を奪われる。冬は寒いし、強風の日は書類を飛ばすわけにはいけないし(何回か飛ばして必死に探した)、雨の日は濡れないように配慮する必要があったり、天候に合わせ仕事を工夫するのが大事。

・配達先の人も十人十色
よかったことでもあり、そうでない時もあり。ここでの苦しかったことは、自分の中に留めておきたい。

良かったこと
・言葉で直接ありがとうと言ってもらえたり、飲み物やお菓子の差し入れをもらったり、自分のしていることが、相手の気持ちといっしょに別の形で返ってくると嬉しい。
・もともと、生産過程を消費者に知ってもらう機会を増やしたかった。さりげない話がきっかけで食の裏側を知ってもらったり、興味を持ったりしてもらえると、やりたかったことと繋がった実感を感じた。
・配達員と配達先の人でなく、人と人として話をしてもらえる繋がりが増えた。人生相談ものってもらったし、落ち込んだ時はフランクに話を聞いて励ましてもらった。気にかけてくれる関係性ができて嬉しかった。

・現場に出てる人は快活でおしゃべりな人が多い(笑)
黙々と仕事するのではなく、職場でも業務的なこと以外の話をすることも多く、よーく笑った。学校のクラスみたいに賑やかで、疲れててもそれがいつも楽しかった。

大変だったことと、よかったことにわかりやすく分けられるというよりは、(他、書ききれないさまざまなことも含めて)同時にある、現場で働くということを経験できた2年間だった。
ーーーーー

荷物をトラックに積み込み終えると、気を引き締めて出発し、配達担当として関わる。ありがたいことに温かい人が多く、助けられることもあった。
でも大変なこともあった。

そんなことがあると同期や先輩に吐き出して聞いてもらった。
年次が同じだからこそわかってれる安心感で、淡々と穏やかに話を聞いてくれた同期。
初めてぶつかったトラブルの相談をすると、冷静に的確にアドバイスをくれた上司。
おちゃらけながら、大変だったね〜わかるわかると友達みたいに聞いてくれた先輩。
くだらないことでげらげら笑い合えた先輩。

今思うのは、現場から職場に戻ってきた時に、先輩や同期に話せる安心感が働く土台になっていたこと。その土台に強く支えられていたのだ。

そして部署異動の時期になった。
節目は新しい組織と、個々の関係性が始まるから少しそわそわする。
でも2年間お世話になった人と1人ずつ、最後ゆっくり話せて、たっぷり背中を押してもらったことで、晴れやかに進めた。

別れを惜しむ総量は、楽しいことももちろん、大変なこと、前向きになれなかったこと、そんなたくさんの感情とコミュニケーションを共有して、それでも最後には乗り越えられた、ということの総量なんだなと。

職場の居心地が良くなってたんだなあと気づくのは節目になるころで。
職場に通うのが当たり前だったころは、目まぐるしい業務を一日一日終えることに必死で、なかなか気づけなかった。

節目は、感謝を伝え合える特別な期間だと思う。
積み重ねたことが思い起こされ、感謝し労い、そして新しい場所でのエールを送り/送られる時間なのだと再認識できた、そんな職場だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?