見出し画像

撮られること

信頼のおける友達に写真を撮ってもらった。
きっかけは彼のインスタのストーリー。ポートレート撮影に興味ある人いますか、という外への投げかけがいいな〜と思いリアクションしたこと。

北海道で出会った、彼を含めた友達と定期的に旅行に行っている。
いつもカメラを携える彼は、一見ほんとに何気なく、さらっと撮っている。
移動中の車内。駐車場を降りてから目的地までの散歩の間。ごはんの待ち時間。

旅行が終わって彼がアルバムにアップする写真を見ると、音はひっそりと影を隠し、時は静止して目の前に映し出される。そのときには見逃し、こぼれていたものがバチっとおさえられている。

静寂なのに、人の日常が流れている気配が横たわっている。無垢な空気感に些細な対象が包まれている。
彼の内側で灯されているようなものが表れたような、そんな写真たち。それらがとてもすきで、気づけば旅行の楽しみの一つにもなっている。

彼の投稿を見て、撮られることは特段すきではなかったはずなのに、いいね〜と朗らかな気持ちでリアクションしていた。

撮ってもらうことにアンテナが立ったのは先日のこと。
以前お世話になったファシリテーターの人と久々に会い、話していく中で「ゆいはこういう風に見えるよ。」と言われた。

なるほど。

すこしおどろいたけれど、でも外から見たらそう見えるかもしれないな、と思った。
自分が思う自分と外から見えるそれはやはり違うのだな、と感じた。

そんなことがあったので、純粋に今の自分を客観的に知ってみたいという好奇心がさらっと湧いてきたのである。

この人になら安心して撮ってもらえる、というつながりはとてもうれしい。彼も撮ってみたいと言ってくれて、場所をいっしょに探した。いつものように会って、ランチをしながら最近の話を聞いて。聞いてもらった。

「ゆいは言葉がある場所がいいなと思って、友達が働いている本屋さんが面白そうだから行こう」
その人のイメージと重なる場所を想像するのが好きな彼が誘ってくれた場所は、神奈川の下町だった。初めて訪れる、どこか懐かしくてほっとする商店街。知らない町を歩くのって楽しい。

かわいらしい佇まいのお店がぽつぽつ並んでいた
散歩した神社の境内に咲いていた梅

彼のおすすめのコーヒー屋さんに寄り、公園でゆっくりした。

外で飲む冬の珈琲、おいしかった


遊びと撮ることの境目がふわっとした時間でとても心地よかった。

撮ってもらうのは新鮮で嬉しかった。当日送ってくれた写真も、やっぱり静かで、純粋な空気感があってとてもよかった。

友達に任せちゃえば、それまで触れてこなかったことも意外と楽しくなったりするから面白いのよなぁ、と。

その写真を見た友達から"専業のカメラマンなの?"と聞かれたが、彼が自然体だから、その写真に映る人もいつも自然なのだな、撮影も結局コミュニケーションだよなぁと気づいた日でもあった。


この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

休日のすごし方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?