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会話が視座を変えてくれた

知らずのうちに思考が凝り固まっていることがあります。

そうなるとひとりでは解きほぐすのは困難。

先日、マンツーマンセッションとやらをしてもらいました。

私の中で整理したい課題があったからです。
とはいえ、対して悩みこむほどでもなく、消化不良のようにモヤモヤ胃袋で渦巻いていたもの。 

悩みを聞いてくれる友人もいますが、 友人だと何かと共通項があり、言葉少なめでもありがたいことに、同意をしてくれたり、忖度してくれます。

慣れ親しんだ仲は、ついつい言葉を新たにつくらなくても、

ねぇ、
なぁ、
それ、

で、通じてしまう節もあり。

違った環境に身を置く人と話をするとなると、

まずね、私の成りを知らない方に事情からイチから説明をする。


当たり前を当たり前ではなく、イチから。


頭も整理し直さないと話せないのです。


「わたし」が話して「わたし以外」が返してくれる。

無意識に同じ角度・立ち位置の視座から物事が見えなくなると脱出報告は3つあります。 

一つ本を読むこと、映画を観ること、音楽を聴くこと。 

二つは動くこと。知らない場所に行ってみるのもいいですよね。


三つは話をしてみる事。今回はこの3番だったわけです。

効能は気持ちがまず軽くなること。物理的に重量・質量が変わったわけではないのに(いや、よくよく見たら本当は変わっていると思います)

視座を変えるというのはそのくらい重要な事。

ついつい安住を求めて、動かなくなる時、動けないときこそ、

人と話してみるっていう事がすごく大事です。 

口から産まれたと言われるほど会話好きな私は、ますますお話をして、聴いていこうと思いました。

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