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「知らない」と「知ってる」が大きな違いを生む話

1980年代、障害のある子供を受け入れた幼稚園や保育所の保育方法は手探り状態でした。初等教育に行っても「特別支援学級(学校)」に分けられてしまうような状態が「当たり前」でした。そこから40年が経ち、今ではダイバーシティやインクルーシブなどの言葉は、社会的意識の高い系の人でなくとも、誰しもが耳にする時代になりました。

振り返ってみれば、僕が中学校の頃は同級生には自閉症スペクトラムのタツロー、耳が聞こえないユキちゃん、ダウン症のチエちゃん(すべて仮名)、今思えばその他にも多くの「ボーダー」の同級生がいました。そして、おつかいに行く近くの商店には、いつも車椅子で店先に出ていた脳性麻痺のお兄ちゃんがいました。僕の人生の中でひとときでも関わりを持ったその彼・彼女らが確かにいたのです。

当時は何も意識しなかったその環境そのものが結構貴重だったのだなぁと、最近よく考えるのです。

総武線の車両内。野球帽を目深に被ってリュックをかなり上の方で背負って、ズボンのベルトはだいぶ高い位置でハイウェストの人。

そんな風貌の男性(僕と同じ位かな)がドア付近で外を眺めてニヤニヤと笑っちゃってます。総武線の同じ車両内でのことです。

その彼は車窓から流れる景色を眺め、ニヤニヤしながら体をユラユラと横に揺らしています。そのすぐ横の席に座っていた女子高生たちはその彼の挙動不振さに「こわ。。」と言って違う席に移動しました。「怖いんだけど。」「やばくない?」ヒソヒソと彼女たちの声が聞こえてきました。一方、僕はと言うと、こんなことを考えていました。

「タツロー元気かなぁ」

そう。女子高生に怖がられているその彼を見て僕が考えていたのは同じ中学の同級生「タツロー」のことです。タツローはよく奇声をあげました。初めて聞いた時はびっくりしました。

朝の朝礼や授業中、昼休み、廊下でも帰り道でもどこでもたまに奇声をあげて小走りに走ります。笑って走っていったり。最初は僕も「やば」だったかもしれません。しかし、それでも中学校に入学して、タツローと出会い、1ヵ月もすれば、みんな徐々にそんなタツローにも慣れていったように思います。「タツローのいる生活が日常になった」と言ったほうが適切かもしれません。

つまり。何が言いたいかというと、僕はその電車の中にいる彼がどんな行動をして、大体どんな状態にあるのかという大体の「見立て」がついているということに、自分自身、そのときに気づいたのです。

彼は、きっと、誰かを傷つけることはしないし、理由なしに他者にいきなり襲いかかるようなこともしないし、まぁ、きっと“少年のような心”を持っている人。そして、今、何かを見てか、思い出してか、「楽しい気持ち」になっている。

そんな、僕の第一歩めの見立てでした。

これは憶測になりますが、あの女子高生たちはそれまで「障害者」に触れた事はなかったのではないでしょうか。例えば、同じクラスに(あるいは学校に)自閉症の友達はいなかったんじゃないでしょうか。だとしたら、彼女たちのとった行動が「わからなくもない」のです。

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水で遊ぶのが大好きな子

知らないことは「怖いこと」

「知れば」、「怖くない」。

「荻田泰永」という男をご存知でしょうか。僕の住む愛川町出身の友人であり、尊敬する人間の1人です。彼は、世界屈指の北極冒険家です。これまで、北極海が凍結する冬の時期を狙って、冒険を繰り返してきました。

その冒険スタイルは、「無補給単独徒歩」というものです。第三者からの食料や物資の補給を一切受けず、1人だけで北極海の氷の上を歩いてゴールを目指すのです。

2016年には、世界で初めて、カナダ最北の村グリスフィヨルドからグリーンランド最北のシオラパルクをつなぐ約1000kmの単独徒歩行を成功させ、さらに、2018年1月には、日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功し、世界屈指の極地冒険家としてその名を知られています。

約20年間で16回もの極地冒険を敢行し、「南極」ではなく主戦場の「北極」から、「北極男」の異名を誇る彼の詳しい説明はここでは割愛するので、まとまった記事をちゃんと読んでもらいたいと思います。

数年前、当法人主催の勉強会「視野をひろげる勉強会」の講師を彼に依頼したことがありました。この勉強会は介護の仕事をしているうちの職員に大局観を持って欲しいという思いで僕が企画したものです。

介護という仕事を外から見てきた僕には、この仕事の素晴らしさというか面白さがよくわかります。そして、それは相対的にこの仕事を見ているからだと僕は気づいています。彼らもちょっと自分たちの仕事の捉え方の角度をアングルシフトしてもらえたら、自己肯定感の向上や自信につながるんじゃないかと考えてのことです。それとともに、福祉や、介護の仕事、それ以前に「仕事」に対して、荻田泰永のこれまでのチョイスや生き方、そして「まだ見ぬ世界」は何らかのヒントになるんじゃないかと感じたからでもあります。

極寒であたり一面真っ白
その果てしなく続く変化のない景色。その中に自分一人しかいない世界。そんな世界に身を置いたことがある人間の方が稀有だと思います。しかし、彼はそれを北極という極地で経験しています。

北極を単独徒歩している間の様々な出来事を、映像を元に解説する中で、彼の周りを白い狼が数匹囲んでいる映像がありました。数十メートル?先からこちらを見ている巨大なホッキョクグマの映像もありました。その中で、彼が何気なく言ったひと言があります。

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北極グマとの遭遇を話す荻田氏


「人って、知らないから怖いんですよ」

彼はサラッと言いました。「極地で生活している動物たちは食料もない、限られた資源の中で生きなければならない。いかに省エネで生きれるか。そんな中で彼らは無駄な戦いはしないんですよ。」と彼は知っていたのです。

つまり、彼はその「見立て」がつくのです。こちらが攻撃しなければあちらも襲ってくることはないという見立て。彼はそれを北極を何度も訪れる“経験”の中で知ったのです。しかし、僕らは当然「知らない」から怖い。彼は「知っている」から怖くない。

この圧倒的な違いがそこに生まれるのです。

同じ対象を前にしても「怖い」と「怖くない」は大きく変わります。それはその対象がどういった行動をして、どんな特性をもっていてという、そうゆう「見立て」がつくかどうかは、その後の行動心理に大きな影響を与えるでしょう。

少し話が飛躍しているように聞こえるかもしれませんが、僕はその時、彼の冒険の話を聞いてあらためて感じたのです。対障害者だって同じなんじゃないかって。

僕らは日頃、介護を必要とする重度の要介護高齢者や障害のある人たちと接しています。だから、「この人はわかっていないようだけどちゃんとわかってる」「この人はこれは嫌がるけど、こうすれば機嫌を損ねることはない」「この人は嬉しい時に右斜め上を見る」と見立てます。

それぞれにはもちろん「個別性」はあるにせよ、その経験の集積により、ある種の「一般性」を導き出した感覚知が備わっていきます。だから例えば、僕は他の施設などに訪問した際にはじめて会った高齢者や障害者に対しても特に「怖い」などと思うことはほぼありません。

また、小学校中学校の頃に接した少しの経験がある、それだけで、自閉症の人や脳性麻痺の人がある種の特徴的な「動き」や「話し方」をしていても、僕には「怖い」という感覚はあまりないことがわかりました。これは多感な中学生活の中でゆるやかに皮膚感覚で理解したことなのだ、そう感じたのは冒頭に話したとおりです。

つまり、電車の中で「自閉症」の彼に対して慄いていたあの女子高生たちは「見立て」がつかないのです。わからないのです。「知らない」から。

それを「やさしさ」とか「思いやりの無さ」という論調で片付けることは、あまりにも理想主義的でおしつけの考え方であって、やっぱり現実的に「知らない」ことは「怖い」ことなのではないかと思うのです。

では、僕らはどうしたらいいのかということです。僕らのような福祉の内側にいるプレイヤーたちは、専門職としてそういった「障害」のある人と日々対峙していることからある種「怖さ」がない。

そして、中学の頃のように当たり前に彼らと「知りあう」環境があったことが、今の僕の壁を取り払ってくれているのだとしたら、専門職としてバリバリの福祉マッチョたちを増やすその前に、福祉の外側にいるプレイヤーたち、すなわち、地域や、社会側にいる人たちとの接点をつくっていくことが僕らの役割とも言えそうです。

それも「行事・イベント」ではなく、もっとゆるやかに、日常の当たり前の中の細かな接続の反復を、社会のそこかしこに散りばめることではないかと思うのです。

僕は、僕の生まれ育ったこのまちに、そうゆう場所をつくりたいと思っています。

これにはバリアフリーなどの環境整備、車椅子の人が街に繰り出せる物質的な環境をつくることもそのインフラとなります。しかし、もっとも「知らないから怖い」感覚をもたれるであろう重度の人たちはどうすればいいでしょう。

やはり最終的にそれが出来るのは、厚生労働省や行政でもなく、いつも一緒に過ごしている僕ら現場の人間たちなのです。“社会資源”としての「要介護高齢者」「認知症」「障がい児(者)」として捉えた場合、社会とその資源とを織り合わせることが出来るのは、僕ら現場しかないんじゃないかと思います。

皮肉にも、僕がこれらの思想を固めたのは、実は「介護の話」でも「認知症の話」でもなく、「冒険の話」を聞いたあの瞬間だったのです。本質を見極めるにはいかに直接関係のないような話しの肝を捉えられるかです。

「障害」はその人に宿っているものではなく、人と人の関係性の間に宿るもの。その人がどんな人かを知れないこと。普通に暮らしていると、知る機会やふれる機会や場所が世の中にないこと。
 実は、これを「障害」というのかもしれません。



参考:「考える脚 北極冒険家が考える、リスクとカネと歩くこと」
荻田泰永(KADOKAWA,2019)


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