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4月14日「自殺」

仕事を終えて本を読み始める。
シェリー・ケーガンの『DEATH「死」とは何か』という、イェール大学で人気を博している講義を、文章に落とし込んだ本だ。

この本は日本縮小版と完全翻訳版の二種類が出ており、完全翻訳版の方が、厚さが二倍になっている。絹ごし豆腐くらいの厚みのある単行本で、読み切るには結構な時間を要しそうな量だった。
書店で目にした時にはどちらを買おうか迷ったが、縮小版だと前半の形而上学の解説をすっ飛ばしているという情報を得たので、多少長くても完全翻訳版に手を出すべきだと思った。
そもそも、講義を文字起こししているのに半分を省略してしまうのは、違うのではないかとも思った。数学の証明問題で前半を簡略化してしまっては途中点ももらえないように、読んで理解するには、その全てを追いかけるべきだろう。

この本は半年間くらい読み続けていた。
長さによることもあるけれど、僕の性格によるところが原因の根幹で、いくつかの本を同時に読み進めてしまう癖のせいだった。一つのことに集中できない子供っぽさと、いろんなことに興味が向いてしまう幼児っぽさが混ざり合い、今現在は夏目漱石の『明暗』とこの本を並行して読み進めていた。
それでは本に入り込めないんじゃないかと思われるかもしれないが、僕としてはむしろ、集中力を持続したまま読書をするための方法だった。DEATHに飽きたら明暗に行けばいい。甘いものとしょっぱいものを交互に食べているみたいな無限感がある。
二冊同時進行の読書は、浮気ではなくて味変なのだ。気の向くままに読み進めた方が読書は楽しいと思うのだが、どうだろう。

味変を繰り返しまくっていたせいで、全く読み進めることができていなかった。正直に言えばかったるい本で、興が乗らないというか、眠たくなるというか、学生時代に授業を聞いていた時を思い出してしまう。それはまあ、講義を基にしているのだから仕方ない。
覚悟した上で読んでいるのだけれど、それにしたって文章がまどろっこしすぎた。

一章ごとに、結論に持っていくための論拠が四つあったとして、その論拠をさらに実証するためのたとえ話を三つほど持ち出し、念のために反証についても考え、結論を磐石なものとして作り出していく。
その例えを考えただけでも4×3×2=24通りの考えを記される訳だし、実際にはそれよりも多い数のものもあったりしながら15章続く。
しかも、明らかに結論部分だけでこっちは納得できるだろう、というところであっても詳しく説明を繰り出し、また、同じことを反復して繰り返す(おそらくは講義を基にしているので、授業の切れ目を考慮したものだと思う)ので、それだけ分量が増えて行く。半分くらいでも事足りるような内容ではある。

というのが批判的な側面だとすれば、良い点としては、思考の深め方が分かるということと、死について考えるきっかけを与えてくれるということだろうか。

自分の思ったことを口に出すとき、例えば会社でプレゼンをしなければならなかったり、彼氏彼女に重要なことを伝えるときや、先生に言い訳をしなければならない場合に、自分の論を強固にすることは大事だ。
いろんな角度から考証するべきだということをこの本は改めて教えてくれる。そして、どういう角度の付け方をすれば納得させることができるのかのお手本を示している。

くわえて、死について考えることはプラスの行為だと思わされた。
死というのは後ろ暗い話題として取り扱われがちだけれども、死ぬということは避けようのない事実としてセッティングされているわけで、「じゃああなたにとって死はいいものですか、悪いものですか」と改めて考えることは、生きていく上で悪くない行為だと思う。どちらの態度をとるにしても、それまでの人生があるということを思い出させてくれる。
だから割と前向きな本だ。
大学生が授業として聴くには最適であるし、社会に出て五月病のように心が沈んでしまいそうな青年たちにぴったりだと思う。軽いノリの終活であり、名前にはそぐわない、ポジティブな自己啓発本だろう。

そんなことを考えながら、やっと最後の章までたどり着いた。
最後の章は「自殺」がテーマである。そのうち読み終わることを願って今日のところは眠る。

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