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4月6日「煙草」

東京が悪天候だった次の日の札幌の天気は悪い。日本の天気図を思い浮かべた。やはり、雲は西から東に流れているようだった。
友達のInstagramのストーリーの投稿で、遠く東京の天気を知って、僕は僕なりの天気予報をする。投稿は、仕事の合間に、雨の中で煙草を吸っている様子だった。雨だろうと吸うのか。右手の甲が火種の傘か。なんにせよ、同じ空の下だ、と思った。

今日の空は、太陽が煙草をふかしているみたいな、最悪の曇天模様だった。その上、雨まで降っていた。傘をさして出勤した。
昨日はうきうきの晴れ間で、春らしい陽気に心をときめかせていたのに、いきなり寒くなってしまうなんて。また冬物コートの出番だった。DV彼氏の感情の起伏くらい読めない天気の毎日だった。春だから仕方ないのか。
別れちゃいなよ、春とはさ、夏の方がいいやつだよ、と助言をしてくれる神様はどこだ。いないのか。

仕事を終えて帰る時も、ほとんど変わりのない天気だった。寒さが厳しかった。

駅まで連れ立って帰った女性の同僚が、気になっている男性と、これから牡蠣を食べに行くと言っていた。
バレンタインデーに四つ入りのGODIVAのチョコを渡してきた男性だった。あの逆チョコくんか、と思った。プライベートを明け透けに話しあえる子だったから、すでに存在は知っていた。
ホワイトデーのお返しは何にしたのか聞いたら「返してないです」と応えられた。本命なのにか。それでいいのか、本人がいいなら、それでいいのだろう。

逆チョコくんは中学時代の同級生で、急に仲良くなったらしかった。今年に入ってからアプローチをされたとのことだった。山に登り、ドライブに行き、送り迎えに来てくれたりしたらしい。
その話をしているときの彼女は、明らかに女の子の顔をしていて、あどけない少女で、誰がどう見ても恋をしていた。こんなにモロ分かりなことがあるのか、と思った。恋する女性は素敵だと思った。恋はすごい。人の中身も外見も変えてしまうパワーがある。
こんな恋は二度とない、と言った。エモい映画みたいな台詞だった。横にいるのは僕じゃないほうがいいと思った。
エモいね、Awesome City Clubでも聴く?と口にしたら笑ってくれた。恋している笑顔だった。僕のほうが先の駅だったので、別れを告げて席を立った。

家についてご飯を済ませ、夏目漱石の『明暗』を読み始めた。

僕の彼女は、あまり本を読まないのだけれど、夏目漱石の小説に愛着があるようだった。大正時代を感じるところとか、会話の中に突然ユーモアが挟まれるところが好き、と言っていた。いい着眼点だった。いつでも、僕にはない角度で物事を観察しているようだった。
と、こんなことを恥ずかしげもなく書いてしまったが、これは、同僚の恋話を聞いたせいだろう、と思った。恋心は伝播もするのか。

なんにせよ、僕の彼女は『則天去私』という言葉が好きなようだった。「私を去って天に則る」という、晩年の漱石の座右の銘みたいなものだった。

小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。
三省堂 新明解四字熟語辞典

あんまりピンと来ない説明だった。でも仕方ないとも思った。漱石の生きるための哲学であって、つまりは小説に梱包されている感覚でもあるわけで、漱石がたくさんの文章を紡いで表現しようとしているその意味を、一行で説明する方が無理があるように思った。
だから読む、則天去私の尻尾を掴んでやろう。

 先刻から二人の様子を眺めていた下女が、いきなり来て、わざとらしく食卓の上を片付け始めた。それを相図のように、インヴァネスを着た男がすうと立ち上がった。疾うに酒をやめて、ただ話ばかりしていた二人も澄ましている訳に行かなかった。津田は機会を捉えてすぐ腰を上げた。小林は椅子を離れる前に、まず彼らの間に置かれたM・C・C・の箱を取った。そうしてその中からまた新しい金口を一本出してそれに火を点けた。行きがけの駄賃らしいこの所作が、煙草の箱を受け取って袂へ入れる津田の眼を、皮肉に擽ったくした。
夏目漱石/明暗/P107

なんとなく好きなシーンだった。僕は、近代文学の煙草のシーンが好きなようだった。谷崎潤一郎の『細雪』にもいいシーンがあったことを思い出した。でも、今はどうでもよかった。
則天去私ってなんだ。ハードボイルドということだろうか。

そうしていたら、同僚からLINEが送られてきた。牡蠣の写真だった。
記念日覚えといてくださいね、とも言われた。おめでとうと祝いながらも、覚えておける自信はなかった。

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