見出し画像

命、繋がり、宇宙



仰向けに寝転がり、目を閉じ、全身の力を抜く。

「私」を消してゆく。
うつ病の私、母親を亡くした私、将来を模索中の私…

「私」を「私」たらしめている全ての事柄を忘れ、ただ身体という物質を重力に預ける。植物のように静かに呼吸をする。


私が酸素を吸い、二酸化炭素を吐く。あなたも酸素を吸い、二酸化炭素を吐く。


もう誰が吐いたものか分からなくなった二酸化炭素を、道路の脇に生える小さな花や、老夫婦のお庭ですくすく伸びたオリーブの木が吸う。そして酸素を吐く。


どの植物が吐いたか分からなくなった酸素を、公園を駆け回る少年が吸う。フランスから来た観光客が吸う。私も吸う。


みんなで西瓜を食べる。西瓜を食べながら、たまたまそこに集まった10人で円になって座り、その時話したいことを順々に話す。みんな一人一人の語りに耳を傾ける。

誰かが、学校に行かない子どものことで悩んでいるという。誰かが、発酵食品と微生物のこと、料理をすることは祈ることだと語る。誰かが、産後うつに悩んだ経験を話す。私が、母親を亡くしたという。

気付くと誰かが泣いている。気付くと私も泣いている。「私の痛み」と思っていたものが、私だけの痛みではないことを知る。みんな痛みを抱えていて、それがどこかで共通していることを知る。今私は誰の痛みに泣いてるのか、円の反対側に座る彼女は何を思って泣いてるのか、分からなくなる。温かい涙が伝播する。

誰かが優しい言葉を発する。それはヨガ哲学に基づく考え方であったり、暗いトンネルを抜けた20年前の経験であったりする。穏やかな声が響く。たまに皆んなで爆笑する。10人の輪の中に、温かさが共鳴する。


つながりを感じる。みんな異なる年齢で、異なる日常を生き、異なる悩みを抱え、異なる形の愛情を育み、異なる学びを毎日得る。その異なるものたちが、深い深いところでは全て同じであることに気づき、つながりを感じる。

つながりに包まれた帰り道。電車の中、前に座っているサラリーマン、立って談笑している女性たちとの繋がりを感じる。私たちはみんな姿かたちが違うだけで、たまたま地球に生まれ落ち、たまたまこの時代を共にしている、同じ人間なのだと感じる。電車を降りて道端の花をじっと見つめて、自然との繋がりを感じる。大きな空をたっぷり見上げて、広大な宇宙とのつながりを感じる。

私は何もせずとも、生きているだけで、確かにこの宇宙の一部であるということを思い出す。生きているだけで、あらゆる影響を与え、あらゆる影響を受けている。

だから、特別なことは何もしなくても良い。世界を変えようとしなくて良い。母と父から頂いたこの命を大切して生きる。そのことが自然と、世界の役に立つ。私が満たされ、幸せに生きることで、幸せが自然と伝播し広がってゆく。私が苦しんだ時間も、いつかきっと誰かの苦しみを癒す。全てがつながりの中で意味を持つ。


私たちは、味わうために生まれてきた。喜びも悲しみも怒りも愛情も、全て味わいたくて生きているのだ。

だから今日も味わいながら生き、そして学ぶ。

ここにある命、全てのつながりに有り難うございますと、感謝しながら。


2023.5.26 ふんわりヨーガ哲学会に参加して

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?