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夏の夜。ひのよーーじんっ。


木曜日の夜9時過ぎ。キッチンでハーブティーを淹れていたら、ベランダの外から「カン・カン」という音が聞こえた。1回目は特に気に留めず聞き流したが、5秒ほどすると2回目の「カン・カン」が。

なんだかこの音、聞き覚えがあるような感じがしないでもない。3回目の「カン・カン」がなった時には、これってもしかして、と思って急いでベランダに出ると、蛍光色のベストを着てご老人7人ほどが列をなして歩いていた。やっぱり、火の用心だった!

火の用心の隊列をみたのは、この音を聞いたのは、何年ぶりだろうか。浮かんだのは、小学5年生まで住んでいた団地での記憶だった。

横浜にある港北ニュータウン、子育て世帯が多いマンション群の3号棟の4階にあった、あの私達のお家。「カン・カン」という音とともに「ひのよーーじんっ」という声が聞こえると、すぐにリビングの窓に走った。隊列が歩くのを、気が済むまでジーっと見つめていた。隣に妹や母がいたときもあった気がする。隊列には大人だけでなく子ども達も混じっていて、みんなで一緒に「ひのよーーじんっ」と叫んでいた。緑が多い閑静な団地の中に、その声は大きく響き渡る。私もやってみたいなと少しだけ思ったけど、叫ぶのが恥ずかしいから無理だと思った。夜の時間のリビングは電気スタンドの間接照明だけで、少し薄暗く、やわらかいオレンジ色だった。

あれから10年以上が経った。今わたしは福岡の空港にほど近い町で、ワンルームの部屋に暮らしている。このアパートは大通りに面していて、昼間も夜も交通量が多くてうるさいので、普段はベランダのドアは閉じっぱなしだ。1人で小さなベランダに出て、大通り沿いを歩くご老人の列を見つめながら、あのマンションの窓から見た情景がフラッシュバックした。

火の用心って、まだあったんだなぁ。どんどん色んな町から消えていそうだな、10年も見てないもんな。でもあの頃のように「ひのよーーじんっ」って、叫ばないんだな。ここだと叫んでも車の音にかき消されちゃうからかな。それか、今はもう叫ばない形に変わったのかな。仮に彼らが「ひのよーーじんっ」って叫んだとして、それを聞いた人のどれくらいが「火に用心しよう」って思うのかな。まあでも、みんな会話しながら歩いてるから、ご近所さん同士でのコミュニティ活動的なな意味合いが大きいのかな。あとは不審者とか未成年がいないかとかの見回りも兼ねてそうだな。というか、小さいころから都会育ちで火の用心の隊列に出会ったことが無い人って、この「カン・カン」の音が火の用心の音だって知らないのかな…!

などと考えたり、昔の記憶を思い出したりを繰り返しながら、列の最後の1人が見えなくなるまでジーっと見ていた。


もう今はない、あのマンションでの家族5人の暮らし。代わりにある、自分好みに観葉植物を飾ったお気に入りのワンルーム部屋での暮らし。地元の横浜と、気づけば2年以上も住みとても気に入ってしまった福岡。変わらずある火の用心の文化と、もう聞くことが出来ないかもしれない「ひのよーーじんっ」の叫び。

なんだか胸がきゅーんとした、7月の夜。

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