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『母子分離不安』行き渋り・不登校の原因ではなく【結果】では?②/3

前記事からの続き。

お母さんと学校の玄関まで来たものの、中に入れない、そんな子どもの様子。
その一コマだけで「母子分離不安」という言葉が、簡単に言われてしまう。
ある方と話していて、そんな風潮を感じた。

なぜ、こうも「母子分離不安」が【行き渋り・不登校の原因】として、たやすく挙げられてしまうのか?それは、本当にその通りなのか?


考えるほど、自分の記憶・経験を辿るほどに、それは  行き渋り・不登校の原因というより【結果】なんじゃないか?と、その方がしっくり来て

そのことを  まとめよう!と  思っていたけれど


その話の前に……
「母子分離不安」と言われた  母 (私) の気持ちにも触れておきたい
な、となり。

まとめは次回にするとして、
この記事では  私の経験・当時の気持ちなどを思い出しながら、言葉にしてみることにする。

感じ方は人それぞれで、私の経験ひとつで「母の気持ち」と括ってしまうことも違うなぁと感じつつ……ただ ひとつのリアルな声として読んでいただけたらなと思います。
この記事を見た方のご経験から「私はこんな風に感じたよ」などありましたら、コメントいただけると  とても嬉しいです!
( 色んな方の、色んな気持ちを知りたいし  この場で共有できたら何よりだなぁと思っています )




私にとって「母子分離不安」って言葉は、結構なパワーワードだったなぁと振り返る。
言われたときの衝撃?打撃?あれは何だったんだろう……


私が言われたのは、母からだった。
不登校になって不安が強く、私から離れられない息子の様子をみて「母子分離ができていないんじゃないか?」と。

ちなみに  私の母は本を読んだり、自分でも一通り調べてから伝えてくれる人だ。よって  安易な発言ではなく、母なりに考え  伝えたほうがよいと思ってのこと  だったはず。
私も、母からのこういう話は  そんな心づもりで聞くことが多い。

それが前提にあったとしても ( いや、だからこそなのかな? ) 、私はショックを受けたし、どうしてか  責められている気になった。
私の関わりで、子どもの成長に大変な支障をきたしてしまったんじゃないか?という風に。



その時は勝手に責められた気持ちになって、耳が痛い・聞きたくない……そんな心境だったかも。
また私の心の中の  別なところでは、ただただ一気に、大きな不安・心配・自己否定に包まれていった感じ。
以降、母と話すのが怖い、母からのメッセージを読むのが怖い、と感じたりもした。今思えば、自心の平穏を少しでも守ろうという反応だったんだろうなぁ。




🔍『ただただ一気に、大きな不安・心配・自己否定に包まれていった感じ』を、もう少し  分解してみる。


  1. 「母子分離不安」って何だ???
    → ネット検索、自身の子育てを振り返る、対応が良くなかったのか?
    『自己否定』
    -  ‐  -  ‐ -  ‐  -  ‐  -  ‐  -  ‐ 

  2. いまの困っている状態に、名前が付く
    →ひとつの「(確かな名のある)問題」として浮上し認識される、私たちは普通じゃない?
    『他との比較』

    (その名付けが、適切かどうか?そもそも、本当にそれは  いま問題なのか?普通って何か?……疑う余地もなく)
    -  ‐  -  ‐  -  ‐  -  ‐  -  ‐  -  ‐ 

  3. 学校に行けないのは、母と子の問題???
    → 母の対応次第なのか?家庭で何とかしなくてはいけない?
    『孤立感』

    (視野が狭くなる、“ 学校・母・子 ”  の相関関係をもって  進めようという視点が持ちづらくなる)


当時から時間がたっているので、忘れていたり、解釈の変化もあるかもしれないけど。
今、言葉にするなら  こんな感じかなぁ。




もうひとつ、伝えておきたいこととして。

「母子分離不安」という言葉に  行き着くまでにも、母が抱えている気持ちや状況がある。

子どもが学校に行き渋るようになり、休みがちになったとき。
私 (母) は、どんな気持ちでいて、どんな状況にあったのか?
にも触れておきたい。
(これも、皆それぞれにあると思う。あくまで私のケースです)


当時 ( いま小6の長男、小2・2学期から休みだした時の話 )  、毎日をこなすので精一杯だった。

日々の生活の困難さ・迷い・葛藤と、この先の不安とが……重ーーく、のしかかっていた

【 一日、脳内が忙しい。具体的には…… 】
〈朝〉
--今日学校に行くのかどうか?
--「休む」というけど、また休ませてよいものか?
--欠席連絡「今日も休みます」伝えたあとの疲労感。
--下の子の保育園の送迎問題。留守番は怖い、でも外には出たくない。送迎の壁…

〈昼〉
--昼には元気になる、行かせたほうがよかったのか?
--昼食の用意が必要。
--日中の過ごし方、学校の代わりに家で勉強をみなくては。
--自分の仕事もしたい、葛藤。
--遊んで笑っているのを見ると「元気じゃん!」とイライラ。
--留守番は怖い、外出も嫌、スーパーの買い出しが困難。
--先生と電話などやり取り ( 大した子どもの変化・進展も無いため伝えられることもあまり無く、対応策も出ず、戸惑う )

〈夜〉
--明日は行くんだろうか?
--子どもたちが寝たあとで、不登校関連の情報を探す。
--今の対応でいいのか?
--このままずっと行かなくなったら、将来はどうなるのだろう?
--不安が増幅していく。

※ あくまで、一例

こんな状況だったかなぁと思う。そこに、決めなきゃいけないことが色々。
今日をどうやって過ごしたらいいか?子どもにどんな声をかけたらいいか?最低限、生活に必要なことをどうこなしたらいいか?


人は、1日に最大3万5000回の選択をしているのだそう。

子どもの行き渋り・不登校に直面すると、その選択の種類が変わると思う。ひとつの選択に対する、難易度が上がる感じ

それもそのはず……はじめて経験の連続だから。判断のたびに、迷い葛藤し、不安・緊張状態が続く。いつまで続くかもわからない。終わりが見えない。

これって、ものすごいエネルギーを消耗する。精神をすり減らしていく。
なんだけど、日々の緊張状態により、その自覚がなかったりする。


そんな状態のところに、「母子分離不安じゃないか?」って、外から新たな不安・心配のタネが降ってくる。

それが、熟考して伝えられた言葉ならまだしも、安直にイメージで語られたような一言だったとしたら……




今じんこさんの、描写 (漫画) も  本当にわかりみが深くて……
私がここに  書いたことが、はじめの4コマにギュッと詰まってるなぁと……!よかったらぜひ  一緒にみてもらえたら。

漫画では母子分離不安ではなく、母への依存、という風に言われているけれど  受け手(母) 側の印象って、どちらも近しいなぁと思った。


ここまで、当時の言葉にならなかった気持ちを  書き出してみて  改めて思う。


「母子分離不安」というこの言葉。

本当によく考えて
(その親子の様子・状況をよく見てから、
いま見ているものを全てとせずに)
使われる言葉であって欲しい。

そう  強く願います。




気づけば3000文字!
すっかり、長くなってしまいました……
読みづらいところも多々ある中で、最後まで読んでくださって、本当に本当にありがとうございます!!涙


次こそ、
なぜ、こうも「母子分離不安」が【行き渋り・不登校の原因】として、たやすく挙げられてしまうのか?それは、本当にその通りなのか?
考えたことをまとめようと思います。


最後に、もういちど   このメッセージで〆ます。

感じ方は人それぞれで、私の経験ひとつで「母の気持ち」と括ってしまうことも違うなぁと感じつつ……ただ ひとつのリアルな声として読んでいただけたらなと思います。
この記事を見た方のご経験から「私はこんな風に感じたよ」などありましたら、コメントいただけると  とても嬉しいです!
( 色んな方の、色んな気持ちを知りたいし  この場で共有できたら何よりだなぁと思っています )

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