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『母子分離不安』行き渋り・不登校の原因ではなく【結果】では?③/3

前記事からの続き。

お母さんと学校の玄関まで来たものの、中に入れない、そんな子どもの様子。
その一コマだけで「母子分離不安」という言葉が、簡単に言われてしまう。
ある方と話していて、そんな風潮を感じた。
なぜ、こうも「母子分離不安」が【行き渋り・不登校の原因】として、たやすく挙げられてしまうのか?それは、本当にその通りなのか?

考えるほど、自分の記憶・経験を辿るほどに、それは行き渋り・不登校の原因というより【結果】なんじゃないか?と、その方がしっくり来て

この記事では、私の頭の中でアレコレ考えたことを  言葉にしてまとめてみようと思う。




<前記事はこちら>
↓  ↓  ↓

①『母子分離不安』について考え始めたキッカケ

②『母子分離不安』と言われたときの 母 (私) の気持ち

③『母子分離不安』行き渋り・不登校の原因ではなく【結果】では?考えたことのまとめ  ←本記事




前置きはここまで。本題へ……

なぜ、こうも「母子分離不安」が【行き渋り・不登校の原因】として、たやすく挙げられてしまうのか?

私にはどうも腑に落ちず、「母子分離不安」で  改めて検索してみる。
続けて、「小学生」とか、「不登校」の検索ワードも関連してあがってくる。

小学生や不登校向けの記事を、ひと通り読んでみた。内容は 似ているようで、書き手の目的により、少しずつ違うようにも感じた。




不登校支援事業をされている所が書く記事は、検索トップに並んだ。
不登校支援の世界では主流なのか?子どもの特性で「不登校・行き渋りのタイプ分け」があるらしく……その分類のひとつが「母子分離不安タイプ」となっていた。(知らなかった!)その特徴・対応策などが、段階別にまとめられている記事も多かった。


母子分離不安について、その原因はストレスによるものだと書かれているものもあった。
そういった記事を、丁寧に読めば  きっと「母子分離不安」が【行き渋り・不登校の原因】だという結論にはならないだろう。

学校生活でのストレスにより、母子分離不安が起こる。学校へ行き渋る。行けなくなる。
私が感じていた、『母子分離不安』は、行き渋り・不登校の原因ではなく【結果】では?という、ところに近い。

私の経験 (子ども2人) を振り返ると……

学校生活でのストレスにより、行き渋る
→ 母が付き添えば行ける、となる (付き添い登校する)
→ 付き添っても行き渋り始める、学校を休みがちになる
→ 1人で出来ていたことが出来なくなっていく
(家の中でも、近くに母が居ないと不安な状態)

っていう感じだった。兄妹差はあれど、大まかにみれば同じ流れ。


(こう見ると、学校でのストレスから行き渋り・不登校の結果、母子分離不安になった、というよりも、双方が同時にすすんでいったのかもしれない。)


一方で、母子分離不安の原因はストレスによるものだ、ということを書きながらも  記事中に、「母子分離不安による不登校」「母子分離不安による身体症状」…などの (各原因に、母子分離不安があるかのような) 言い回しがでてくるものもあった。

サッと目を通して、そこだけ拾ってしまうと  誤解を生んでしまいそう。
記事の一部だけ取り出せば、そう書かれる一文があっても おかしくはないのだけど。

なぜ母子分離不安になるのか?には触れず、無料カウンセリングへ誘導されて終わる記事もあった。




今は、ネットやSNSから、たくさんの情報が手に入る。
その表層や雰囲気だけをキャッチして、わかったような気持ちになってしまうことも多い

私も今回改めて検索してみて、当時調べたときには目に入らなかった情報がたくさん入ってきたのを感じる。
しんどかった渦中では、都合の悪い情報は外していたり、逆に自責を深める情報を取りにいってたり……そんなことがあったのかも。
冷静に情報を見れるようになった今、初見の記事も多くあったこともあって、 (投稿日で、当時も存在していたものとわかる) 偏った情報の取り方をしていたんだろうと思う。

偏りなく情報を取るって、ほんとうに難しいんだなぁと気付かされる。
偏っている自覚だって、ない。
いまも冷静に情報を見ているつもり、なだけかも……(そもそも、ネットだけの情報では難しいのかもしれないし……)


気をつけていても、無意識のうちに、人は自分の見たいように情報を見て・捉えている、選んでいるんだと思う。
そういった理由で「母子分離不安」が【行き渋り・不登校の原因】だというのを何となくイメージとして持っている、という人も多いのかもしれない。
( これは、ただの私の仮説だけれど )




ここまで、書いて引っかかったのは「分類する」ということで。
ある事象についてカテゴライズして(「母子分離不安」のように ) 名前がついたとき、気をつけたいことがある。


「母子分離不安」という分類も、
大人の考えた枠に、子どもを当てはめてみたら「ソレ」だった!っていうだけに過ぎなくて……不登校・行き渋り、も然り

「母子分離不安」「不登校」「行き渋り」と分類された子どもたちがいたとする。
でもそのカテゴリの中でも、子どもたちは一人ひとりみんな違う。母も一人ひとり違う。母子の関係性もみんな違う


主体となるのは、わが子、わが家 (私・母) 。それを忘れずにいたいと思う。
わが子、わが家 (私・母) の特性・個性があって、その上での「母子分離不安」「不登校」「行き渋り」。ぜんぶ、事象に名前がついたもの。ただ、それだけ




その事象に、こうするといいよ!って、情報がたくさんある今。
こうするといいよ!は、あくまでひとつの傾向。
(傾向を知ることで、安心したり良い方向に進んでいたら それでOK!)

もしそれでも、閉塞感や孤独感、不安が拭えないとしたら……


Aの時はB、Cの時はDの対応が当たり前〜なんて事が頭にあることで、見えづらくなるモノゴトもある……そんな気がしていて。そんな時は、
全部、いちど脇に置いてみてもいいのかも
 と思う。

日々の目の前のことを、もっとシンプルに。
いま、何に困っているのか?どんな、助けがほしいのか?
いま、何が不安なのか?それは、どうしてだろう?

って。


例えば……
「母子分離不安」のために子どもとの時間を多く取りたい・取らなきゃ!そうするのが当たり前の対応でしょ。
そう、自分に言い聞かせてたら、

「母の時間が皆無でつらい・しんどい……」
そんな、私 (母) の気持ちに、気づかぬフリして蓋しちゃうかもしれない。

そうするのが当たり前、みんなやっている、それができないなんて無力な母だ、と(自分で自分に言っていたなぁ〜という…急に私の話です。笑)
できない自分・だめな自分を出すことが怖くて繕っていたけれど。

ある日繕いきれずに、噴火するように溢れ出て(ひゃ〜…笑)
それで、仕方なく  できない・だめな自分を子どもたちに晒すこととなった。そうしたら、私がとっても楽になった。つられるように、子どもたちも楽になり、少しずつ母から離れ  自律が進んでいる。そんなわが家の変化があり……


まとめると、私の場合、目先のノウハウとかではなかったって思う。
ノウハウに近いことはしていたかもしれないけど、そこを見ていた訳じゃなく。

自分と向き合って、できない自分もそのままに居ることでよい変化が生まれていった。その流れで、家の中が私と子どもにとって、安心できる場所に変わっていった。


これは学校にも置き換えられるんじゃないか。
学校も、子ども・先生・親や地域の人、それぞれが、そのままの自分で居ていい、安心できる場所であったなら……

ストレスからの母子分離不安をはじめ、行き渋り・不登校になる子どもも、余裕がなく子どもに当たってしまう大人も、心身の不調で休職してしまう先生も、

きっと、みんなが自分を生きることができる。
そんな学校がいいな、と思う。
(理想論だと言われてしまうかもしれないけれど、それを承知の上でもやっぱりそう思う)


色々  考えたけれど、『母子分離不安』は行き渋り・不登校の原因では、ない。

分かりやすい、正解っぽいものに引っ張られることなく、目の前の子ども・関わってくれる人や環境・そして自分自身をみつめていくしかないんだろうなぁと思う。
そうして根っこにあるものに気づいたり、それを誰かと共有できたときに、また少しずつ良い方に変わっていくような。
コツコツ、地に足つけて、時には勇気をもって、進んでいきたい。




って……書いているうちに話が  逸れてしまったかも・・・??
テーマに沿った記事になっていたでしょうか。

拙くとも、書いて、言葉にしてみる、 (自分の言葉になっていないものも多々あるけれども…) そんなチャレンジをしている noteです。

言いたいことが、伝わるものになっているかも  わからないけれど。そんな記事を、
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!!涙

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