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大した事じゃないんだけどね…

昨夜お風呂からあがって、布団を敷いていると
息子がやってきて、「ねーねーちょっと来て!」と。

私:「これ敷き終わってからでいい?すぐに終わるから。」

息子:「いいよー、てか大した事じゃないんだけどね」


終わって息子の所へ……
「これこれ!」とiPadの画面を見せてくる。

画面に再生されたのはこれ。



😂😂😂爆笑。ふたりで。
(校長先生、笑ってごめんなさい!)


平和だ。。
そして、思った。

こういう、大した事じゃないことを
共有してくれる、話してくれる。
それを、当たり前とせずに大事にしたいなぁと。

大した事ない、つまらない事が話せなかったら
大事なことは、きっと、もっと話しにくい。
と、思うから。


こういう面白ネタの共有は、毎日しばしば、何かしら、ある。笑

歳を重ねるにつれ、腹を抱えて笑うような事って、そうそう無かったりして…
そんな私が、子どもと面白ネタを前に、その言葉どおりに腹を抱えて笑って、笑いすぎて涙が出る。なんて事もあったりして…

泣き笑いしながら、そんな時間を与えてくれる子どもに、感謝が湧いたりする。


一方で、悲しいがな…
それ程ありがたい時間にも関わらず、煩わしさを感じるときもある。

いま、それどころじゃない…
こっちは、いま忙しいのに…

声をかけられて、手を止めて、時間を共にすることへの煩わしさが、勝ってしまうとき。


そんな時は、自分を労るときなんだろう。
頑張ってたり、気が張ってたり、急いでたり、無理してたり、我慢してたり、、、
きっと、何かしらあるときだ。

自分の反応が、それを計るバロメーターでもあるかもしれない。


このnote、何が言いたいかって
大した事のない、一見ムダに思える子どもとのやりとりも(自分の反応も含め)大切にしたいなぁということ。




事の大小を、主観で無意識に分けている自分がいて、
「小」とされたものはテキトーにあしらい、本当は大事なのに、見過ごしていたりはしてないか?

というか、さっき自分で書いておいてナンだけど…
そもそも「大した事ない、つまらない事」と「大事なこと」なんて、、
果たして、私に見分けがつくんだろうか??
見分けられるものなんだろうか…??


そんなこともあわせて思ったりしたので、一緒にここに残しておく。

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