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東日本大震災の記憶と能登半島地震の被災地に対して私たちができること。

毎日刻々と伝えられる能登半島の被災地の状況を見て胸が痛くなります。そして約13年前、東日本大震災で私たち愛鶏園も被災したことを思い出します。

震源地から遠かったものの、茨城県にある2つの農場が被害を受けました。不幸中の幸いで働く人は全員無事でしたが、ケージが倒壊し、20万羽の鶏を失いました。電気が来なかったため、自動給餌機や自動集卵機を使用できず、残った40万羽の鶏達に人海戦術でエサを与え、たまごを集卵しつづけました。機械は人間の数十倍の仕事をしますので、機械の代わりに人海戦術ですべてをカバーはできませんが、社員たちは鶏のためにできる限りの努力を続けてくれました。1週間後に電気が復旧した時には、タンクにエサもなくなり、すべての鶏は栄養が足りず休産状態となっていましたが、多くの鶏の命を守ることができました。1週間後にはエサも届きはじめ、1か月かけてたまごをうむようになりました。社員の鶏を愛する精神を感じました。

災害は一瞬で命と日常を奪います。被災した人や家畜のことを思うと、胸が痛くなります。

私たちに何かできることはないか?たまごを通して私たちにできることは?

社員が考えました。
『やはり被災地にはお金が必要だ。たまごで被災者への義援金をつくりだそう。私達愛鶏園だけでなく皆さんで義援金を大きくすることができるのではないか。』

よーし、2014年1月28日の深谷市ねぎまつりにて、愛鶏園はたまごを通して義援金をつくるぞ!!!


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