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昨日テロがあったイスラエル、テルアビブ・ヤッフォの思い出

3月8日にテロがあったヤッフォの海岸通り。ここには行ったことがあるので「まさかあんなところで」と思いつつ、当時のことを思い出しながらつらつら書きました。

基本のキも書いたのですが、中東のことは知っている!という方のために飛ばしてもいい項を囲っておくことにしますw

第2次インティファーダ、というのをご存知だろうか。イスラエルの占領に対するパレスチナ人の抵抗運動のことで、元々のインティファーダというのが1987年に始まり、1993年のオスロ合意でいったんは収まった。パレスチナ自治政府ができたのもこの時だ。
しかし、穏やかなムードも数年しか続かなかった。政権を担っていた与党リクードはバリバリの右派。イリーガルな入植地をガンガン増やし、テレビCMでもプロパガンダ垂れ流し、日常からしてパレスチナ人を弾圧しまくる。そして2000年9月、アリエル・シャロン外相(当時)がユダヤ人の立ち入りを禁じているアルアクサ・モスクに強行参り。これを機に、抵抗運動が再燃、第2次インティファーダと呼ばれるようになった。
(…ちゅう話は、本当は飛ばしたいが、10年くらい前に、かなりいい大学を出てる編集者から「このおじさん誰ですか?」と、アッバス大統領(当時。パレスチナ自治政府)の写真を指して聞かれたことがあるのを考えると、書いた方がいいのだろう。私だってスペインの歴史の常識やら、サモワの風習、などといったことは知らないわけだからw)

閑話休題。

ま、そんなわけで第2次インティファーダ真っ只中のイスラエル、パレスチナに通っていた2001~2002年のこと。(まじめな話は過去にハフポに書いたのでよろしければあわせて読んでね♪)

ある日のこと。

取材中のどこかで携帯電話を落としてしまったのだが、その日の夜、失くした電話の番号から友人の携帯に着信があった。驚くべきことに、拾った人がヤッフォの警察に今から届けるので取りに来るように、と携帯のアドレス帳に登録していた番号に連絡してくれたのだった。ちょうどその友人と一緒にいたので、本当にラッキーだった。

翌日、地図でヤッフォの警察署を調べ、向かった。14~5年前だから、当然スマホの地図アプリはないしスマホもない。紙の地図に赤丸をつけてストリートの名前を確認しながら、知らない道を進んでいくのである。

警察署に着くと、先客がいたので待っていた。しばらくすると「まむ、めいあいへるぷゆー?」と英語で問いかけてくれた受付の警察官がいた。「あい ろすと まい もばいるほーん」と答えると、ちょうど受付に電話がかかってきて、ちょっと待つように、と言われた。それから放置されること30分。いや、もっとか。1時間くらいだったかな。

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