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毎日投稿じゃなくてもいいんだ

NOTEをはじめて、読み始めると毎日投稿している人がたくさんいた。三日坊主の私にとっては高いハードルと思いながらも、何もできなくなった私にとっては唯一の挑戦だった。
最初は思いを言葉にする難しさを知った。それでも時間をかけて文章をかき上げた記事は大事な宝物になった。

「こんな自分にでもできることがあった」

当時の私には大きな自信につながったんだ。
辛い時も悲しい時も毎日の思いを文字に変換する、大変な作業の先には達成感と充実感があった。決して上手くはない文章が毎日書くことで少しは読めるようになった。

毎日投稿をはじめてつかめたものがたくさんある。

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気づけば80名を越した。NOTEの中では多くはない数字だったけど、0から80にまでなったと思うとなんだか嬉しさがこみあげてくる。


私の文章は思いが溢れすぎている。言いたい事を好きなように並べている乱文。思いがはみ出しすぎて時々辛くなるようになった。それでも書きたい、矛盾した感情に揺さぶられる毎日だった。



最近NOTE同期や仲良くしている人たちが毎日投稿をやめる宣言の記事を出している。昨日も同期のはるさんが毎日投稿をやめる決断をした。 

人は変化して進化していく。毎日投稿から熟成されたたった一つの文章に。文章を書くには考える時間があって、NOTEを始めてから見た景色、抱いた感情を文字に変換するのを常に考えているように思う。熱い思いは熱く、切ない思いはエモく情景とその時に感じた思いは一瞬で人生の中ではちっぽけな物かもしれない。誰も立ち止まらない所で何かをつかもうとしている。それは自分にとっては大切な事。大事に大事に育てなければならない。

今まで1日で仕上げていたものを、数日かけて書き上げる。もしくは構想を練る。変わるのは更新頻度だけで、結局「毎日書く」ことは変わらないのだと気付いた。

本当にそうだと思う。毎日だから質が悪いとか、熟成されるからよい質の文章ではなく、思いをどれだけ込めることが出来るか。短い時間で作り上げるか時間をかけないと完成しないかの差があるだけ。

あなたの心が落ちている文章であればきっと私は読みに行く。

私も心がある文章をこれからも送り続けたい


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