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9. 弱さに立ち返り、苦しみを認め、抱きしめるように受け止め、強さの励みに。虚栄や不信感で傷つけた人へ深い謝罪と感謝を贈る。

虚栄や不信感で傲慢さや驕りが蔓延。傷つけた人への謝罪と感謝に向き合う。

すっかり失念していた顔に対する自己評価の低さは、大学に入る直前頃になくなっていたようにおもう。やんちゃな同級生から物理的に離れ、解放される気持ちになっていたこともあるが、それ以上に、純粋な好意を示してもらいやすくなりはじめたことが理由であろう。外見に一切の自信がなく、それまで異性からの好意をまっすぐに受けた経験のなかった私。最初はどう受け取っていいかわからなかったはず。驚き、戸惑ったに違いない。憐れにも、男性への不信感が既に心の内に拡がっていたため、素直に受け取れなかった。本心では、うそじゃなさやあたたかさを確かめたかったにもかかわらず、好意を疑い、疑いに疑っていたであろう。下手なマンガやドラマの影響かもしれないが、何か裏があるとおもい、「なんだろう、相手が得することはなにもなさそうだが、損得勘定で近づいているのかもしれない」といった無粋な疑いすら抱いていたと容易に想像できる。大変失礼極まりないが。挙げ句に心得違いをし、卑俗な心が蔓延していたのであろう。

大学時代から社会人の私は、傲慢かつ鈍感。我欲と驕りに満ち、若さと見た目にご注目いただいていた有様を勘違いし、真の内なる美しさやしなやかな強さ、逞しさ、清らかさを育むことなく、根拠なき自信で虚栄を張り、自身にも他者にも誠実・忠恕にあらず、感謝姿勢が低く、敬意のけをも知らず、ゆえに不器用に無意識に無慈悲に他者を傷つけ、、無知極まりない愚か者の一言に過ぎないような人間であった。この上なく、悔恨の念に打ちひしがれ、赦しを請うている。

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ちょうどこの頃であったかもしれない。人生初ぽっちゃり期で、兄からの声掛けは「おい、ぶた、動け」「おい、でぶ、だらだらするな」が多かった。兄の言葉が突き刺さることで、結果的に元の体型に戻るよう励めたので感謝もある。が、歪んだ損得勘定や女性関係、上下をつける癖、容姿や外見への評価やこだわりを抱えていた、当時の不憫な兄に対して、強い嫌悪感と違和感を抱いていたこともあり、大好きな優しい兄への失望が膨れ、傷になっていたのもあるであろう。男性軽視、具体的には好意を持ってくれる男性に対しての蔑ろな対応が強まったのも、こういった影響が大きいように感じる。もちろん、私自身の無知や弱さが根底の原因である。可哀想なことに兄は、幼い頃から親戚関係でおとなのエゴや見栄、虚栄に振り回されたり、振り回される母を近くで見てき続けたことによる苦悩があり、それが爆発していたのかもしれないね。

誠に、因果の法則である。傷を受けてきた被害者が、次は軽蔑するほどにだれかを傷つける加害者となる。そして、それによる傷もまた加害者が自分を痛めつけ、被害者とも加害者ともなる連鎖が続いていく。ひとりひとりの心の内にある傷や蓋がすこしずつ浄化され癒やされることで、二次被害が減っていくことを願って。心の機微を感じられるほどに心が透明になっていくにとを心から願って。

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さて。心に蔓延していた虚栄や不信感、傲慢さや驕りにより、私が人生で最も傷つけてしまったと認識している友人がいる。無垢な心で好意を寄せてくれた彼とは、高校三年生の冬、外部の試験会場で出逢った。かなりぼんやりした記憶であるが、たしか、緊張で肩肘を張っている中、目の前に座っていた人がおなじ制服を着ていた安心感から、あめちゃんを渡して話したのがきっかけであった気がしている。それ以降、ほんの数回だけではあるが、高校の最寄りバス停で待っている中、緑豊かな山々の草木、見渡す限りに広がる夕暮れの紅空を背に話した淡い絵が、心の片隅にうっすらと残っている。初々しくて微笑ましい。

あっという間に、それぞれが大学へ入学。それから、彼が何度か大阪から京都まで会いに来てくれるようになった。大学一年の春といえば、新歓コンパ祭りで、毎日のように新たに人と出逢い、交流が活発になる。その頃からであろう、何人かからちやほやされはじめたことや、女友達の前で体裁よく見せたくなったり照れを隠すようになったことで、虚勢や利己心で塗り固められた驕りが増していった。そうして、友人としても彼を大切にできないどころか、好きの程度を試すようないじわるをするようになり、深く傷つけてしまったと認識している。十年以上が経った今でも、良心の呵責で、自分の心にも鋭利な切り傷が刻まれていたままであった。

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実は、本物語を書きはじめたきっかけは、彼への謝罪と感謝を伝えたい想いからであった。年明けから、十年ほど前の情景や人に意識を向けている中で、共に時を過ごす中で微笑み合ったり救われていたりお世話になったりで感謝をお伝えしたい人、傷つけてしまった記憶があって謝りたい人を憶った。挙げてみると、感謝したい人と謝りたい人は、奇しくか、いえ、必然にて、おなじ対象であった。彼はその一人であり、最も認めたくない極めて愚劣な過去の自分を認めることへの恐れがあったゆえにか、向き合えずにいた。牽制しながらも追懐する中で、喚ばれるかのように、『君に逢いたくなったら - ZARD』の曲が頭に流れてきて、ボーカルの坂井泉水さんにそっくりな綺麗な顔立ちをした彼の“いたずらな笑顔”が浮かんだ。「愛華、そろそろ気を抜いていいんじゃないかな?」とさわやかに時を告げてくれる、彼の優しさに救われた気持ちになり、書きはじめから支えられている。

彼に対しては、無知や無慈悲により蔑ろにしてしまっていた瞬間の方が多かったであろう。痛み・傷み、悲しみ、疲労、孤独などの傷を大いに与えたに違いない。六、七年前、東京で再会した際、ごめんなさいとお伝えしたが、明らかに足りていなかった。「愛華と過ごせてたのしかったし、むしろ感謝している。」と彼は相変わらず心を開いた美しい笑顔で伝えてくれたが

単なる表層の認識だけでの謝罪は無為である。相手にも自分自身にも誠実に陳謝するためには、自分がこれまでどのような過程を経て品のない愚行をするに至ったのかを認識し、その心の癖を僅かも余すことなく完全に解き放たないといけない。そのためには過去を真摯に遡り、向き合い、丁寧にあるがままに観察する必要がある。都合のよろしいように見たり聞いたりしていた自分を手放そう。そう強く感じたのであった。正直、己の弱さを認識し続けなくてはいけない痛みは計り知れなく、とても苦しい。最初の頃は息ができなくなるときもあった。食欲を一切感じないときもあった。感謝と赦しを請う気持ちで涙が自然とあふれてくるときもあった。苦しい苦しい苦しい。だが、もう自分自身からは逃げられない。この痛みと向き合わずして、心の清浄化は進まない、苦しみを置き去りにし続けることはもうしたくない、と直感で感じた。

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拝啓、親愛なるあなたへ。心からの感謝と赦しを請います。

「あなたがしむきっかけを与え続けましたね。心からお詫び申し上げます。ごめんなさい。あなたの当時の胸の内に寄り添うと、、好きだからこそ、嫌われたくないからこそ、土台が固まっていないやわらかい関係を壊したくないからこそ、行き場のない一言や想いが留まり続け、もどかしさを感じたことでしょう、苦しかったことでしょう。その度に、ご自身の弱さや不甲斐なさを感じ、二重苦もあったのではないかとおもいます。また、私に伝えていたとしても、蔑ろにされたり、受け止めてもらえなかったりで、疎外感や意気消沈した想いで、つらかったのではないでしょうか。いつかはわかってくれるかもしれないと期待しながらも、見通しが視えない現実を目の当たりにする中で、いつまでこの状況が続くのだろうと途方に暮れたこともあったかもしれませんね。大層、打ちのめされたことかと想像いたします。落ち込んだ、不安定さ、身を焦がす想い、哀れな、くじけた、がっかりした、落ち着かない、神経をすり減らした、燃え尽き感、へとへと、くたくた、、私の無慈悲な無配慮によって、あなたが満たされない想いを募らせるきっかけを与え続けてしまいました。ごめんなさい。本当にごめんね。いつ、どのような形で、お逢いしなくなったのかは憶えてはいません。好きでいてくれたあなたは、最後を迎えて、一時的に苦しさや切なさを感じる機会となったかもしれません。が、あなたがある節目をもって、私を絶ち、苦しむ機会を絶てたことは、ご自身の弱さに打ち勝ったことは、誠に勝手ながら救われる想いであります。

当時の私にとってかけがえのない存在であったあなたに、人生で出逢えたよろこびと感謝、知らず識らずに支えてくれていたことへの感謝、我儘な無理難題を言っても嫌な顔ひとつせず、当時の未熟な身を愛をもって受け止め、活かしてくれたことへの感謝、短い期間ではありながらも友として手を取り合って共に過ごせた瞬間があったことへの感謝。あなたの存在を通して心の内に育めた人徳があることへの感謝があふれています。

今、こうして、32年間向き合えきれていなかったひとつひとつの過去に触れられているのも、あなたが微笑みながら励みと勇気を与え続けてくれているように感じていたからです。出逢ってからの今まで本当にありがとう。二人の時を振り返り、あなたの存在を感じながら、地球上のどこかで、お互いにそれぞれの道を歩み続けているのかなあ、と思い巡らせられることをよろこびに感じています。心身ともに健やかに安らかにお過ごしになられていますように。読んでくれてありがとう。存在してくれてありがとう。心より感謝と敬意、愛を込めて。」

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魔法があればもう一度笑い合いたい。大好きな先輩との出逢い、死による別れ。

大学一年生の頃は、サークルの同期か二つ上の先輩、大学の同級生、アルバイトのいずれかで、日々時間を過ごしていたようにおもう。ほとんどの場合、西院での練習後、十年来の親友となるともだちの家で、彼女の美味しい手料理を食べ、学校や恋愛のこと、他愛ない話を延々とたのしくおしゃべりをしていたであろう。

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京大で一、二を争う強さと最大規模を誇るテニスサークルに所属。叔父や叔母が京大時代に属していたほど歴史が長く、上下関係がはっきりし、寝る間を惜しむほど責任感が強い幹部で強固に体制が組まれていた組織で、練習に練習を重ねる努力家が多く、何事にも常に全力の姿勢で取り組み、飲み会も派手であった。朝日とともに朝練がはじまり、正午から夕暮れまで昼練、その後、夜練も行われる。サークルの練習や集いへ意識が集中し、留年している人も毎年何名かいたほど。「京大の人と仲良くなっておきねえ。将来困ったときに助けてもらえるよ。」という兄の言葉を参考に、「よし、それなら最大規模の会にに入ろう!」と興味をもちはじめたのがきっかけで入会。父以外の家族四人はまたしても共通点があり、全員がテニスをしているのはご縁ねえ。

当初五十人か百人ほどいた同期の中にはテニス経験者が多く、ほぼ未経験の私は中の中か下の出来栄えで、いつしか練習よりも飲み会に参加する頻度が上がっていた。お酒は強くはなかったがフットワークが軽く、よく笑い、介抱が得意であったゆえか、一部の先輩たちにかわいがっていただき、頻繁にお招きを受けていた。二、三つ上の先輩には素敵な人が多く、中でも、私が大好きであった男の先輩二人と過ごす時間はたまらなく最高で、いつも笑い倒していた。この二人とはじめて練習後の定食屋で隣りに座った際におもしろさに感動し、入会を決めたほどに惹かれていた。先輩からも後輩からも愛される、人をよく観る人たちで、思いやりがあって心が清くて気さくで気が利いて賢くてなによりもユーモアのセンスが良くて、笑顔が愛おしくて、本当に大好きであった。後にお二人の卒業旅行と題して、広島に三人で行くほどに親しくなるのだが、社会人になってからも東京で何度か遊んでもらい、お逢いできる度に心底うれしかった。心から敬愛する、特別な存在。人生の中で、“先輩”といえば、本サークルの何人かの先輩方の笑顔が思い浮かぶほど、それぞれを大切に感じていた。

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今、一人は天国に、一人はロシアかどこかに。八年前、まさかの祖母とおなじ日に、お一人が事故で亡くなられたのだが、大切な二人の同時の死は受け止め方がわからなかった。あまりにも急な訪れ。お葬式やお通夜にも顔を出せなかったため、最後のお顔を見ることもできず、受け止め損ねてしまった。今でも、嘘のようで信じられない。それほどに受け止め切れていないのであろう。もし人生で一度だけ、Back to the Future できる魔法があるのなら、三人で笑った時間を写真に蔵めにいきたい。一枚だけでも眺めていたい。それほどにかけがえのない大切な人であった。書いている今も、哀しさと困惑。動揺があふれて、心が痛く苦しいほどに。ああ、だめだ、ちょっと息ができない。。

「先輩、あなたの存在は私にとって、両手を広げても足りないほど大きかったんです。がっかりしたり、ふさぎこんだりしたくないほど、目を背けていました。心の内では、張り裂けるような痛みを抱えていました。長らく放置していた痛みで、今、胸がちくちくしているのを感じています。全身の力が抜けていくのを感じています。丸一日この物語を書き進められないほどに苦しい。まだ時間は掛かりそうですが、ようやく向き合えています。あなたと過ごせた時間は宝物でした。あなたの笑顔がたまらなく大好きでした。今も目の前で、「おっす」と声をかけてくれていた、あのはにかんだ可愛らしい表情が浮かびます。本当にありがとうございました。二十代前半で召されたのは、それまでにあなたが徳を積まれ、次の生に行く準備が整った証なのであろうとおもいます。どこにいらしても微笑んでいらっしゃるのだろうと願っています。またいつかお逢いできたときに、笑いの盃で乾杯しましょう。生まれてきてくれてありがとう、出逢ってくれてありがとう。あなたの存在そのものに、笑顔に、和と輪に、あなたがもたらしたすべての恵みに、心より愛と感謝を込めて。これからもずっと特別で、大好きです。」

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友人の自殺未遂。人生最大のショックを受ける。弱さを抱きしめたい。

このサークルでの想い出には、もう一つ色濃い出来事がある。同期とはさほど親しく交わっていなかった私であったが、親友の他にもう数名大切に想う人がいた。大切な人にとって大切な人は、私にとっても大切な人。親友の彼氏であったその一人は、人望厚くやわらかくのびのびとして優しくかわいらしくさわやかで気が回る信頼できる人であった。

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大学二年を前に新幹部任命の発表があり、希望していなかったものの、私も一幹部となった。彼は私が属した部門の長となり、最大のミッションである、新歓期にて入会者数を保持・増加、各合宿の運営のために尽力していた。大学一年最後の三月に行われる春合宿は、初の合宿運営であり、新歓期を目前に、彼は特にプレッシャーに苛まれていた。いつものように笑いを誘うことで気丈に振る舞っていたが、時折つらそうな様子を見かけていた。相当に気持ち的に追い込まれていたのであろう。

夜中のミーティングの合間か今からはじまるというタイミングであったかとおもう。彼と急に連絡がつかなくなった。不穏な空気に包み込まれる中、みんなで探し回った。誰かが見つけた先で、血だらけになって倒れていた彼がいた。命を彷徨うほどの深い傷となる自殺未遂を図っていたのだ。あまりのショックで記憶が歪んでいるかもしれない。当時の彼の苦しみを想像するだけで、今も苦しい。救急車で運ばれた後、彼自身の懸命な努力で九死に一生を得た。ああ、よかった。本当によかった。

その後の合宿がどのように進行したかは憶えていない。ただひとつ、「俺らもプレッシャーを感じながら幹部をやってきた、毎年大変なんだ。弱きが悪い。」といったような発言を耳にして、怒り心頭したこと以外は。そのような事が起こってもなお夜の飲み会が開かれては、何事もなかったかのようにどんちゃん騒ぎしていられるように伺えた状況にぞっとし、巨大な雲のような影や違和感を感じ、ここにいてはいけないと強く感じた。一連の情景すべてがひたすらに怖かった。直感で、自分の中の何かが壊れてしまう気がした。当時の私は弱すぎて受け止められる気がせず、その後、逃げるように辞めた。サークルを辞めてからも引き続き、一部の先輩にはよくお誘いいただけるほどに、多くの先輩方によくしていただきかわいがっていただき、厳しくもあたたかさに包まれ、参加しているときはいつだってたのしく、心地よい居場所であった。淋しくもあったが、適切な選択であったろう。そうしないと自分自身を守ってあげられなかったのだから。

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今、ようやく時を迎え、歴代の先輩方も苦しみを抱えながらも、チームのために励みがんばってこられたのだ、と受け止めている。歴史の重さを守っていかなければならない思いを肩に背負い、現役だけで二百人ほどになる組織を“強く”保っていく難易度の高さややりがいを感じ、仲間と和気藹々としながらも緊張を伴っていたであろう。上下関係が非常に厳しく、人によっては、役割によっては、代によっては、弱音を吐くことを許されなかったのかもしれない。「当たり前だ、これまでもそうしてきているんだ。」と一蹴されて、くじけたり、絶望を感じたり、落ち込んだり、神経質になったり、動揺したり、怒ったりしたであろう。また、誰かができたことが自分にはできないことでも、屈辱や惨めさを感じたりしたであろう。京大を選択し、合格するほどだ、切磋琢磨してきた自負がある。プライドをへし折らては、だれでも不安定にももろくもなる。先輩方もつらさを味わってこられたのであろう。

彼のことだって、特に一つ上の先輩は、サポートが至らなかったかな、と責任を感じた人もいたであろう。その上の代の先輩方の中にも、胸を痛めた人が多かったはずだ。みな、心優しい人たちばかりであったから。また、事実を認めたくない目を逸らしたいがゆえに、あの日はいつもとは異なる思いで特別に酒を浴びていたのかもしれない。チームのみんなもそう。彼女であった親友は支えきれなかったことが悔やまれて、社会人になっても何度も口にしていた。責任感が強くなくやる気はほどほどであった私は、チームの足を引っ張っていたかもしれない。その点はごめんなさい。ひとりひとりが悔やんでも悔やみきれなかったであろう。悲痛なる彼の心の叫びが、おなじように苦しむ人が二度とあのサークルに出ないようになるきっかけを与えてくれたのかもしれない。ありがとう、その”贈り物”を引き継いでもらいたい。

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人は弱い。他の動物と違い、生まれてすぐに自分ひとりでは歩けない。自らの弱さを認め、助けを請えるように、誰かの支えがあってはじめて生きていられるように設計されているのかもしれない。人は弱いのであるという前提に立ち返り、期待せず、疑わず、評価せず、苦しみを苦しみとして吐き出し、その弱さを認識し、抱きしめるように受け止めて、強さに変えていくしかないのであろう。ゆっくりゆっくり、自分のペースで歩みながら。そのためには、受け止めてくれるまわりの人の支えが必要であり、受け止めてもらえることで得られる安心感の体験が必要だ。社会全体が、そういった支え合い、気軽に手を差し伸べ合える環境を与え合えますように。おひとりおひとりが抱えられた傷みを癒やしてさしあげていることを強く願って。

諸法無我。大好きな先輩やその代にべったりであった私は、当時から同期とのつながりを深くは感じていなかったものの、同期の存在があって私の居場所も得られていたに違いなく、感謝している。また、同期の中には親友以外にも、一緒にいてたのしかった友がいてくれたこと、あほ騒ぎをした、笑い合った時間を思い出す。みんな、存在してくれてありがとう。短かくとも一年間を共に過ごせたよろこびをようやく感じられているよ。心が離れてしまって時間が経つが、彼らが相変わらず健やかな心身をもって、心安らかに過ごしていることを願って。またいつか集えた暁には、一緒に懐かしのコールを添えた一夜限りのどんちゃん騒ぎを半時間ほどした後に、しっぽりとそれぞれの今を語り合えるといいなと願って。

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お気持ちを添えていただけたこと心よりうれしく想います。あなたの胸に想いが響いていたら幸いです。