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12. 社会人一年目の情景。組織とは人。相手を知ろうとしてはじめて”視える”状態がある。存在に対する感謝と祝福、敬意、労いを。

社会人一年目の情景。どのように過ごしていたであろう。

学生から社会人へ社会的役割への意識が強くなりはじめる、桜の咲く頃。変化に伴う新たな暮らしを味わいきる間もなく、新たな人や環境との出逢いの幕が開ける。はじめましてな人たちとの関係構築や自身への信頼貯蓄に明け暮れる中、知らない・未だわからないゆえに感じる動揺や不安に打ちのめされたり、知らない・未だわからないからこそ感じる希望や挑戦に心を躍らせていた、あの頃。

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感情の波が揺れ動き落ち着きのない心、新しい情報を詰め込みパンクしそうな脳、自宅の玄関先で想定以上の疲労をドッと感じる全身。一日中、無意識に力み続けていることで、家にいるときでさえ、緊張の糸が切れていなかったかもしれないね。明けない夜はなく、布団の中で陽の光に包みこまれる午前六時。疲労感でくすんでいく表情を鏡の前で確認し、ハッとしては、気合を入れるかのように顔に触れ、瞳を大きく開いて、おはようを届ける朝。時に優しく、時にくたびれ気味、時にささやくように。

昨日の自分から一歩踏み出すぞ、と意気込み、ビルの前で深呼吸。物事の状態が適切か否かの判断がつかない新米ゆえに、会社や上司の言動やトーンが絶対的であるかのように感じ・納得がいかずとも、疑問を抱くことすら失念するほどに萎縮しがちで、五里霧中を彷徨う状況。まっしぐらに進み、ご提示いただいた目標を追い求め、叱咤と激励を噛み締める。成長を阻むプライドがポキっと折れていく音を聞く度に無力感を抱き、不注意によるミスで意気消沈し、隣の芝生が青く見えては憧れに似た焦燥感を募らせ、正解を外に求めては視えない闇の中で神経をすり減らし、、思わぬところでいただく「ありがとう。」が温かく胸に響き、「よくやったね。」の爽やかな笑顔に涙腺を緩める、そんな試行錯誤を重ねる日々。

瞬きをしている間に、新緑と虫の音色が美しい夏が去り、暖色で賑わう夕暮れが印象的な秋空を迎える。あ〜、半年が過ぎたんだね、と物思いに耽けはじめた頃にはもう既に、散髪してきたよ、と草木が話しかけて、冬の訪れを知らせてくれる。自身と向き合う心理的・時間的余白が十分にない状態が続く中で、言葉通りあっという間に、明けましたね、おめでとうのお出まし。光陰、矢の如しを肌身で感じた新卒一年目。

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あの頃、いえ、今も、色鮮やかに変化を見せる感情という名の心の声に対して、どれほどに耳を傾けていたであろうか。自分自身の心の機微に向き合う大切さをどれほどに認識・体感していたであろうか。また、他者の心の機微に対して、どれほどに寄り添えていたであろうか。愚問であり言うまでもない。自分自身の内で体験していないことを他者へお与えできるわけはない。

心が満たされず、もどかしさを感じたり、打ち解けなさを感じたり、打ちひしがれたり、恐れを感じたり、燃え尽き感を感じたり、憤慨したり、困惑したり、どぎまぎしたり、落ち着かなさを感じたり、傷ついたり、悲しんだり。

心が満たされて、達成感を感じたり、活気づいたり、晴れ晴れしたり、感嘆したり、誇らしく感じたり、ウキウキしたり、夢中になったり、魅了されたり、安心したり、のんびりしたり、ほっとしたり、至福を感じたり、感謝したり、心に触れたりよろこびを感じたり。

泡のように生じては消え去る、心に起こった感情を、受け止めたり、認めたり、労ったり、慈しんだり、赦したり、、人生において、どれほどに自分自身に配慮して、心を整えようとしてきたであろうか。どれほど裸の心に手を差し伸べてきたであろうか。生れてきてからこれまでの間、どれほどに自分自身を置いてけぼりにしてきたことであろうか。このような問いかけが浮かんだ。

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止まっていた時計の針が動き出す、歯車が回りだす。すべては必然に。

然るべく時に然るべく事が起こるものだ。実を言えば、本物語を書くに至った流れの起点は、2021年の頭にあった。新年のご挨拶と題して、元上司やお世話になった他部署の皆様のお顔を拝みに、新卒で入社した会社にピンポーンをさせていただいたときより、ガコンと観覧車のような大きな歯車が回りはじめたようにおもう。最もお世話になった元上司には、新卒二年目での退職後も、毎年お誕生日にお電話をかけ、声を聴かせていただいていた。が、最後に勤めた企業を退職後、直近四年間の八割ほどは海外にいたため、しばらくご無沙汰であった。数年ぶりの突撃会社訪問にて、幸運にも、採用時に気に入ってくださった人事担当者とグループ長と対面にてお話する時間をいただき、それぞれの近況やご卒業される旨を耳にした。その際の元上司たちのご情調が心に引っかかり、改めて感謝と祝福のご連絡をしたいな、と連絡先を探す旅に踏み出したのであった。

今おもうと、あの日、京都の地にいた意味は、この「こんにちは」のためであった気がしている。偶然は一つもなく、すべては必然ゆえに。退職前から長らく時計の針が止まっていたが、お世話になった方々のお顔が浮かび、心にあった戸惑いや闇が薄れ、軽やかな足取りで嬉々として、烏丸通りを北に歩んでいた姿が目に浮かぶ。

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時計の針を戻すこと、十年前。創業二十年、70人規模のシステム会社に営業として入社。2011年新卒採用は三名、東京支店所属の男女一名ずつと京都本社所属の私、と大きくはない組織であった。仕事は、システム制作の受注および上流システム会社への人材派遣。上司や先輩は計五名、皆男性で、多少いかつそうな風貌には見えたがとても優しくあたたかく、男気と謙虚さ、会社に対する義理堅さがある人たちであった。丁寧に面倒見よく指導してくださり、なんやかんや言っても、かわいがってくださった。最初の頃は特に、朝から夕方までテレアポ百件や飛び込み営業をもって鍛える機会をいただいた。古いマンガのように受話器を手に巻き付けることはなかったが、電話時の言い回しや状況を客観的に認識、改善するために、“録画”の工夫をするなどした記憶がある。

同期がちょこちょこと成績を上げていく中で、忠誠心もなく身も引き締まっておらず直行直帰を好み会社の外にいることをたのしみにしていたお気楽娘は、最初の半年間ほど成績が伸び悩み、毎週の営業戦略会議では怒鳴り声の叱責を頻繁にいただいていた。自分の愚かさにより上司が怖く見えたり、同期との比較を受けては自業自得な自分の残念な状況に嘆いたりと、片手ほどには涙を流したことはあったであろう。ただ、上司やど阿呆な自分がなにを思おうとも、お客様とお話している時間はたのしかった。世間話や仕事上での悩み話をお聴きし、お気持ちに寄り添っては笑い合えた時間が多くあったようにおもう。水面下で培っていた信頼関係が、後に急速に営業成績を伸ばしていく土台となり、卒業までのほとんどの期間、連続して目標突破していた気がしている。コツを掴めてきた頃には、他部署の皆様とも親しくなり、仕事もたのしめるようになり、会社に居る時間が心地よくなっていたはずであろう。

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いつからであろうか。会社の状況や営業部の存在意義などを俯瞰的に把握した上で、適宜必要なことに取り組めば、そこそこの気力でも段取りを整え聴くところを聴き適切に寄り添えば、成績が順調に落ち着くことを体感し、余裕が出てきたのかもしれない。お恥ずかしながら、まわりの愛情深い助けがあって掴めた幸運な状況にもかかわらず、恩知らずで傲岸不遜ゆえに自らの実力と捉え違いをし、上司や先輩を眺めてはこの組織での限界さえも垣間見える気がしはじめていた。

学生起業家の年下の彼。刺激という名の陽の光を浴び、開花していく。

並行して、好奇心旺盛な私はアンテナを張り巡らせていた。社会に出たことで多くの“未だ知らない”に出逢い、刺激を受けたのであろう。インターネット上で興味深い記事を見つけては Facebook で著者を検索、感銘を受けた旨をメッセージするようになっていた。巨大マンモス社も IPO 前の当時は、知らない相手に対するセキュリティやガードがずっと緩くリーチしやすかった。中には、見ず知らずの不躾な私に対して丁寧に返信をくださる方もいた。次第に、おもしろい!とおもった人たちに直接会いたくなり、東京への憧れが増していった。

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ちょうどその頃、年下の君と巡り逢う。アメリカで一旗揚げようと起業仲間たちと共に西海岸に約三ヶ月間滞在し、最大九人までしか友達登録ができない少人数SNSアプリを開発。もう少し先の未来に必要とされる可能性が高まるであろう本サービスは、もしかすると、時代を先取りしすぎたのかもしれないね。今振り返っても、サービス名からして画期的であったとおもう。この頃は未だインターネット業界に詳しくなかったので認識できていなかったが、お付き合いしていた時に、「KDDI ∞ Labo」のメンバーに採択されたり、その翌年にはミクシィや DeNA を引受先とした第三者割当増資を次々に実施していたりと、スタートアップ界隈でそれなりに注目を集めていたようだ。

彼とは出逢うべくして出逢った、と強く確信している。彼の渡米中に、私たちは Facebook 上で知り合った。共通の友人の投稿にコメントしていた私を彼が気に留めてくれたことで、交わりがはじまる。当初、恋愛的な要素は一切なかったようにおもう。それから一、二ヶ月後であったろうか。彼が京都に逢いに来てくれて初対面を迎える。苦悩や葛藤、責任で心が押しつぶされそうになっていた彼は、安心できる心の拠り所を探していたのかもしれない。起業家・経営者としての苦悩:会社や仲間を支えつなぎとめられるよう必要な資金調達を行う必要があることで肩にのしかかっていた不安や緊張、息子としての苦悩:大切なお父様が一年前から闘病している現実を受け入れる無念さや憂鬱、一家を支える次なる大黒柱として苦悩:非常に仲の良い家族を支えたい気持ちがあるものの、自分だけでも受け止めるのがいっぱいいっぱいな状況へ無力感や葛藤、学生としての苦悩:自分の意思で選択した道を歩んでいるものの、大学の同級生が就職活動しはじめることで置いてけぼりにされているように感じる疎外感や危機感、大きく三つの苦悩を彼は抱えていた。耳にするだけでも、緊張が走り、背負っている重みや葛藤を感じる人が多いのではないであろうか。もしかすると、そのような話を伝えてくれている中で、吐き出せる場があるよろこびや気のおけなさ、甘えられる安心感、すこしの間だけでも得られる解放感に満たされたのかもしれないね。大変熱心にアプローチを重ねてくれる彼に対し、なぜそこまで気に入ってくれているのか理解できないことで戸惑いはありつつも、私でよろしければ寄り添わせてもらいますね、という形で人生二度目のお付き合いがはじまった。

決断力や行動力、仕事への情熱、ご家族への愛や思いやり、責任感の強さ、積極性やその勢い、まわりの人への配慮や優しさ、パートナーへの寵愛や慈しみなど、私がどこかに置き忘れてきた様々な特性を、背中で語る彼からは学んだことが多かった。未知なるセカイで生きてきた彼が伝えてくれる話はいつだって興味深く、一緒にいる時は刺激的であった。彼の存在という名の陽の光や水を得たことで、然るべく時を待ち続けていた蕾は、大きく呼吸をしながらどんどんと大胆に開花していったのであった。

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“義”が心の中から消え、違和感を直感で感じ、退職を決意。

数ヶ月が経過した頃、お若くして彼のお父様が崩御された。ご家族はどれほど哀しみに包まれたことであろうか。大学生にして喪主を務める彼はどれほど受け入れ難かったであろうか。胸が引き裂かれるような苦しみに対してどうすれば支えられるのかわからないほどであったが、できるだけ彼のそばにいて寄り添いたいとおもった。ご家族の前では懸命に毅然であろうとし、泣くことすらむずかしい彼は、私が近くにいて姿が見えるだけで安らぎを感じられるようであった。特別なことをしなくとも、一緒にいることを願っていた。上司に事情や式に出る旨、有給を使って休ませてほしい旨をお伝えした。すると、「彼氏と言っても結婚もしてないのに関係ないやろ、仕事しろ」と思いの外、一蹴されたのであった。

驚愕のあまり、耳を疑った。何度掛け合っても相手にしてもらえなかった。これまでの私の驕りによって身から出た錆もあったかとおもうが、他者にとって大切な存在を、自分の固定観念で判断した上司を心の底から見損なった。結婚の有無に関わらず、現パートナーが大切な人であり、それ以前に親友であることに変わりはない。同性の心友でもそうであろう。家族よりも友人とより深い関係を築いている人はこの世に五万といる。組織および、その組織を織り成す人の器の程度を感じ、怒りと絶望感で腸が煮えくり返っていた。強い違和感を感じた私は、これからこの人たちと一緒にはやっていけない、信頼関係を構築するのはむずかしい、と強く感じたのであった。式の二日間、迷うことなしに体調不良を理由に欠勤し、彼のそばにいることを選んだ。

でも、本当は、大好きだった上司たちに憤慨したりがっかりするのも人間性を疑うのも哀しかったし、そのように受け取らざるを得ない状況が悔しかった。これまで積み上げてきた彼らへの“義”がしゅわあと心の中から消え失せていくのもさぞ無念であったろう。わかってもらえない苦しみに喘げば喘ぐほど、憂鬱さや惨めさ、意気消沈、疎外感を感じた。これまで気がつかなかったが、私が怒りを感じる瞬間は幼少期からおなじ理由であったね。相手の“固定観念”で一方的に“評価”され、こちらの言い分を受け止めようとせず、“強要”されるとき。この状況を侮辱されているように感じ、強く嫌うのであると、今、認識した。

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組織とは人。お互いに敬意と感謝、労いを。人はされてきたように育つ。

会社という形態の“組織”は、様々な思いや特性をもった人が、組み合わさり織り成し合って形成されている。文字通りに、人があっての組織と成る。いくつもの“異なる“といくつかの“おなじ”がバランスを取り、組織が“こうありたいと願う姿”に近づくことを願って、共に手を取り合い、力を合わせて突き進んでいく。組織に対して社員が心からの感謝や敬意、義を育めるほどに、組織が「あなたを大切に想っています」と、社員への敬意や感謝、謙虚さを“労い”をもって示しているかや、社員の心身のケアに配慮した仕組みを設けられているか、またその取り組み実績を見れば、会社としての器がある程度計り知れるのではないであろうか。働いている人が組織をどれほど大切に想っているかの程度は、往々にして、普段の何気ない言葉や表現に表れるようにおもう。

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向き合う時が訪れた今になって、ようやくすこしはわかることがある気がしている。あの優しかった上司が哀しい言葉で部下の願いを拒否しないといけないほどには、彼らに余裕がなかったのかもしれない、それほどに精神的に追い込まれていたのかもしれない、と。

営業畑で鍛え上げてきた信頼と情熱を自負に会社を興した社長は、歩けば威圧の風を感じるほどに圧倒的な存在感があるものの、笑うとかわいい粋な人で、お客様や社員に対して熱い思いや礼儀を向けていらした。きっと他の企業ともお酒と心を交わらせ、交流や信頼を深めていらしたであろう。クレドに表れるように基本的には社員よりもお客様に対して、一直線に目が向いている人であった印象が強い。私たち同期は、数年ぶりの待望の新卒社員であったこともあり、比較的目をかけてもらえていた。入社当初に社長と新入社員だけで飲みに連れて行っていただいたことが一度あったり、新入社員歓迎会にて、総務の人がこっそり用意してくださった家族からの手紙を読むという粋な計らいをしてくださるほどには、社員思いの組織を築いてこられたと認識している。the 営業気質で口調が強かったものの、上司たちも非常に部下思いの人であり、営業部は特にすこし家族のようなあたたかさもあった。

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しかしながら、外に意識が向いていた社長の在り方を肌身で感じていた勤続年数が長い社員たちは、どのように受け取っていたであろうか。経営層からは「会社のためにがんばれ」とエールをいただくことはあっても、「あなたを大切に想っています」「あなたの力を必要としています、力を合わせて共に励んでいきたいです、私や会社の思いを実現するために、社会を良くするために力を貸してくださいね、お願いします」と労いや敬意を示していただいた記憶はあまりない。あったかもしれないが、思い出せない程度なのであろう。私が経営者であれば、仲間のみんなが「自分は大切に想ってもらえている」ことを忘れられないくらい繰り返しお伝えするであろう大切なことであるし、「大望をもって社会を良くしていくためには、みんなの力が必要であり、力を貸してほしい」旨も社内の隅々に浸透するほどに謙虚にお願いし、「個の成長や願い、よろこびを分かち合えるように寄り添い」続ける。個人のしあわせがあって、組織や社会のしあわせがあるのだから。

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正直、経営層が中間管理職に対してどのように接していたかはわからない。もしかすると、思いっきり労っていたのかもしれない。心の底から信頼を寄せ合っていたのかもしれない。だが、普段彼らが口にする会話から満たされない気持ちが漏れていたのが実のところだ。思いやりにあふれた叱咤激励や労いを感じにくい状況で、その組織においてどれほど現実的であったかはわからないが期待値だけが高く、指摘を受け責任を負われ続ける日々はつらかったかもしれない。もっと寄り添って理解してほしい、結果だけではなく過程もみてほしい、がんばりを知ってほしいと願っていたかもしれない。「ようやってくれたね」と上司たちも経営層から言ってほしかったであろうし、後輩の私からしても上司たちが誇りを持てるほどに経営層から労ってさしあげてほしかった。中間管理職だった上司たちは会社における自分の存在意義をどのように感じていたのであろうか。もしも、駒の一つだと感じざるを得なかったとしたら、相当に苛まれたことであろう。どうして彼らが上に直接的に言えなかったのかはわからない。言いたいことが言いにくい主従関係であったことや背景に恐れがあったことが該当するのかもしれない。

よろこびを分かち合えるしあわせもあれど、それよりも大きな違和感を感じながらも、諦めや我慢をし続ける選択を取り続け、実直に会社に義を尽くしていた上司たちが十年後、壮年という転職が容易ではない年齢で卒業の選択肢を選んだ影に、深い哀しみを感じた。可能性をもっと感じてほしかった、適材適所で励みたかった、一度のことだけではなくこれまでやってきたことを一連で捉えて評価してほしかった、こういった話を聞いてもらいたかった、寄り添ってほしかった、などの思いが、彼らの胸に少なからずあったであろうことは想像に容易い。退職と一言にいえども、私の場合とは哀しみや感謝の重みが異なるであろう。大切にしている自分自身の人生や思いに対しては忠実で責任感が極めて強く、違和感を直感で捉え、ここは私がいたい環境ではないと判断し、弱さを強さに変えて、さらなる高みへと向かうため流れに乗る選択をした、そう選択し続けている私には、感じたことのなかった苦しみが彼らの内にあったであろう。

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運命のルーレットが廻りはじめたのも、先日見た上司の淋しげな背中とある人物の背中が重なって見えたからであった。上司からの苦言をひらりと躱す私やもうひとりの女性同期と異なり、上司から淡々と責められがちだったことで鬱っぽくなっていた同期。ひょうきんな様を見せつつも根が優しく愚直で真面目だった彼は、認めてもらえなかったことや労ってもらえなかったことで、会社でのつながりや貢献、自分の存在意義を感じにくく、とても苦しんでいた。だからこそ、その上司と同期の両者の存在に対する感謝と祝福、労いの気持ちをお贈りしたい、いかなるときもご自身への信頼やこれまでの貢献を忘れないでほしいとおもい、ご連絡したいと願ったのであった。人はされてきたように育つのだなあ、と改めて感じる。そして、それが悲しみを生んでいる場合、その連鎖がいち早く絶たれることを強く願って。

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人知らずして慍らず、また君子ならずや。相手を思ってはじめて“視える”なにかがある。

当時の私は、上司の言葉やその背景にある想いを受け止めたりする心の準備が整っておらず、もやもやしたり苦しんだり、思いの外、ずいぶんと傷ついていたのであったと認識した。今の今まで目を背け続けていて、当時の棘が刺さった自身の心を置いてけぼりにして、癒やしてあげられずにいたのである。傷みを無視し続けてごめんね、これからは慈悲の心で包むこむね、安心してね、と抱きしめてあげている。過去の自分に対して赦しを請うている。

また、自らの無礼さ・無思慮さ・弱さが嘆かわしい限りである。上司に対して手を差し伸べようという気持ちさえ抱いていないがために、彼らの苦悩を積極的に知ろうとせず、未知であった彼らの言葉を言葉通りに受け取り、弱さからの恐れを抱き、まるでガラスの破片で斬り刻むような鋭さがあるように捉え違いをし、色メガネをかけては自身ばかりが傷ついていたかのような絵を覗いていた。その上、彼に対して煩わしさすらも感じ、それでいて、自身を労り慈しむことから目を逸らし、彼に頼りたいときだけ頼っていたであろう状況。言葉にすると視えてくる、自らの存在の暴力さ(凶器さ)がおどろおどろくてならない。

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人知らずして慍らず、また君子ならずや。いくら力不足と言えど、「あなたに寄り添いたい気持ちがありますよ」という温かさに触れるだけで、ほんの一瞬でも上司に安心感を与えるお力添えができたかもしれない。また、大層なことを期待せずとも、「お疲れさまです」と笑顔で労い、安寧の輪を広げることはできたかもしれない。近くにいながらも、必要な時に必要な手を差し伸べられず、一層に悲しみを感じるきっかけすら与えてしまったかもしれない。彼のお心に刺さっている哀しみがあるのであれば、少しずつ慈しみで癒えていくことを心より願っている。

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おかげ様で、本物語を書くに至った一連の流れにいる今この瞬間、彼なりの愛の表現を受け取ることができた。本当にうれしい!これまでは鋭い目つきで怒鳴っていたときの彼の表情が浮かびがちであった。が、今では、謙虚さが滲み出ながらもどしっとした頼もしい背中、迫力ある雰囲気を和ませるかのようなつぶらな瞳、部屋中に響き渡る張りのある声、和をもたらす気の利いた笑い、退職時に「伝説を残してくれました」と添える粋な計らい、頭から足先までビシッと清潔感漂う身だしなみ、義理人情に厚い在り方、神は細部に宿るを呈する細やかな仕草や繊密な確認。私たちの中心にいつもいて守ってくださっていた彼の、まんまる陽気な優しい笑顔の花が、私の心の中で咲き誇っている。遅ればせながら、彼に出逢えたこと、教えを請えたこと、感謝をお伝えさせてほしい。

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ありがとうございました、随分とお世話になりました。上司のお二人、先輩方、同期のお二人、他部署で応援してくださっていた皆様のおかげ様で、次なる扉を開くことができたねと、今感じている。改めて、たくさんの人に支えていただいていたことを感じ、胸が熱くなる。感謝感激を全身で受け止めている。誠に恐縮ながら、いただきっぱなしだね。これから、それぞれの心の声に共に寄り添う形ではお力添えはできる自負があるので、その形でよろしければ恩返しさせていただこうとおもう。いつかどこかで、桜をたのしむ季節に微笑ましい笑顔で皆様と再会できることを願って。

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お気持ちを添えていただけたこと心よりうれしく想います。あなたの胸に想いが響いていたら幸いです。