見出し画像

高次元に近づいていくために。心の癖を自覚し、解き放たれ、意識の解像度を高めていく。

真の願いを叶えたくて葛藤、原因である心の癖に気づいていく

アメリカ移住から半年が経過。年末にグリーンカード申請にひと段落がつき、Vipassana Meditation で合計七度目となる十日間コースをパートナーと共に修了した、2022年1月頭。それまでの間、”自力で動ける私” を心が求め、葛藤していたのだろう。車社会や降り積もる雪を理由にむずかしさを感じては、ある種の思考停止をさせていた心の癖によって、自らを足止めしていたようにおもう。心の奥で光る願いに近づきたい想いがますますあふれてきたことで、心の準備が整い、ゲートが開きはじめてきたのかもしれない。

T to Boston Logan Airport

直感とつながり続けることで、サインを受け取れる

2/3、『アナスタシア』一巻表紙のような草原と晴れ渡る青い空、山に少しの木々といったビジョンを、アファメーションを通して視た。どこだろう、Hawaiiかな? と思っていた翌日、パートナーから California 行きの話が挙がる。当初はひとりでいる時間を自分に与えてあげたくて Boston に残る選択をしたものの、数日後、流れに乗る方がいい、と直感が教えてくれた。完璧な流れで、2/8、私が一足遅くひとりで San Francisco に向かうことが決まる。直感とつながり続けることで、サインをサインとして受け取れて、苦しみからの解放という名の出口に向けて歩みが進みはじめていた。

アナスタシア 第一巻

ひとつひとつの心の癖を解いていき、心をより柔軟にオープンに

これまでの思い込み(心の癖)から切り替えて電車脳になっていた程には、心が柔軟でオープンになり、そんな自分が懐かしくて愛おしくて胸が高まっていた。空港に向かう 2/11 の朝、Seattle 郊外のツリーハウスに移住した友人から『一緒に冒険行こう』のメッセージを受け取り、今の私に必要なのはこれだ❣️とパズルのピースがピタッとハマったような感覚を覚えた。まさにゲートが開いたのだ。翌日から Hawaii や Shasta というキーワードが頻繁に降ってきた。喚ばれているんだねと感じ、そのキーワードで思い浮かぶ人たちや出逢ってみたい人たちとコンタクトを取りはじめ、その過程でレムリア、レイラインというキーワードにも導かれた。

Mt.Shasta

心の癖を解き、自分を遮っている自分を解き放っていく

今思うと、西海岸での第一週目に克服できたのは、流れを感じる、流れに乗る自律・自立的に動く勇気を出して敬意をもって正直に想いを伝える、の四つ。幸運なことに、到着の半日後には最初の課題にぶつかった。柔軟性やオープン性が試されていたのだ。当初親友カップルと四人でハイキングする予定だったのが、苦手に感じていたカップルが追加となっていた。「んーん、、苦手な人だからご一緒したくないなあ〜」と頭をよぎったのだが、自分の選択ではないところで歯車が回っているのであれば、なにかのサインとして、私の人生に訪れてくれている可能性が高い、と受け取った。無理矢理に抵抗して避けるのではなく、甘んじて受け入れ流れに乗る、というのが鍵なのだろう。川の流れとおなじだ。無理に抗ったところで(一瞬楽しさのようなものを味わったとしても)真に望ましい状況は起こりにくい。翌日、弱気になって苦手意識のあるカップルのそれぞれを無意識にか意識的にか避けそうになっている自分を認識し、背中を押して励まして勇気を出した。相手を積極的に知ろうとした行動を通して得られた相手からの情報が、ふわっと蛍の光が温かく心を灯すように私の背中を押すものに。彼女を通して、宇宙から今の私に必要なお知らせという名のサインが届いたのだろう。有り難う。

California

葛藤に向き合う勇気、選択と行動

2/14 からは積極的に外に出た。その選択と行動が私に自由を感じさせてくれた。ようやく自分を取り戻してきた流れが加速し、並行して、数年前から心に大きく引っかかっていた別事象における葛藤にも、向き合う勇気が整ったのだろう。結婚して数ヶ月、これまでの数年間も本当の娘や姉妹のように可愛がってくれていた彼のご家族に対して、私の中で少しずつ枠が外れていく感があった。私の英語力が少しずつ高まってきたことでコミュニケーションをより円滑にとれるようになった流れや、ひとりひとりとの関係性や絆がさらに深まってきた過程も、心の雪解けを助けてくれたのだろう。相手と自分自身を大切に想い、積極的に正直に、相談や意思表示のコミュニケーションをして、まわりに必要な協力や理解を仰いで行動して、幸せな表情をシェアしていれば、ますます協力してもらえる、といった願わしい状況になっていき、2/19、大きな着地点にたどり着いた。この時点で、これまで心にあった実家滞在に対する大きなもやもやがほとんどなくなる状態に。お祝いだね。すこしでも違和感を感じていることに対して、ひとつひとつ、自分にとってピタッとした最適なタイミングで、勇気を出して話し合って、向き合ってきたことが功を奏したのだろう。直感が降りてきやすいように、心に余白(無)を作るための時間を十分に与えることが必要だね、と改めて感じた。

私たちは常にサインを受け取っている

気になっていた事象への願いを叶えてきたことで、その次の瞬間には新たなサインを受け取っていた。にもかかわらず、結局、自分の中で腑に落ちきっていなかったこともあり、サインを無視する選択をすることに。というのも、すこし前の時点でキーワードを伝えてくれた人は、次のサインにおけるキーパーソンであるかもしれない、と多かれ少なかれ信じる気持ちがあったから。一度体験したのでこれからは読み取り違えてはいけないなあ、と学んだのは、通りすがりにキーワードだけを与えてくれる存在もいるということ。宇宙は優しくて、私が体感するまで立て続けに三度もおなじ体験を味わわせてくれた。いかなるときもその時々の直感に従おうね💓が、このサインの意味だったのだろう。有り難う。

Friend's House near Seattle
in Snoqualmie Falls

自律と自立は、行動と経験による自分への信頼から育まれる

2/21、ひとりで Amtrak という世界の車窓からのような景色が味わえる割安な電車に乗り、San Jose から西海岸沿いを北へ進み Seattle を目指した。24時間の便に三時間の遅延が加わり、合計で27時間に。その後、2/26 から Amtrak で15時間南にある Shasta へ。一日一本の運行で真夜中に現地到着。夜中に加え田舎なので交通機関の選択肢はない。一般的ではない選択肢探しや細やかな手配など、丁寧に事前準備を行うことを通して、アメリカ暮らしで自律・自立していける自負を育んでいく上で助けとなった。

in Amtrak
station nearby Shasta

然るべく地と人に出逢えば、然るべく流れに導かれる

Shasta では直感が伝えてくれるものを手に取ったり、足を運んだりしてみることに。初日の朝、Inn にて手に取った本に載っていた気に留まった場所を調べていた過程で、あああ、この絵は私が視たビジョンそのものだ❣️な写真を見つけた。その後、街をお散歩している中で出逢った地元のおじちゃんに、「この写真の場所、どこかわかる?」とお尋ねすると、Sisson Meadow だとわかり、翌日に行くことに。20km ほど鉄道路線や裏道を歩いてたどり着き、五時間ほどその地をただただ眺めていた。三泊四日の中であの時間が最も自分自身でいられたね。

Sisson Meadow

この地には、夏にでも再び訪れるのだろう。Shasta のエネルギースポットの中で最も神聖な地とされる Panther Meadow、Indian American の精神と魂を浄化の儀式 Sweat Lodge、Medicine Lake にお招きいただいている気がしており、そのゲートが開く刻の訪れを確信している。Mt. Shasta は、Earth’s Root Chakra と呼ばれ、古代レムリア文明が存在しているとされる地。目覚めていく過程で招ばれない理由がない。また、宇宙から西洋医学の内科医である父を選んだほどには、Ayurveda(インドの家庭医学、食が薬)を意識しているほどには、今世の役割に強く関係している気がしているキーワード ”Medicine”。興味深いことに、現地で初めて引いたタロットカードには、Medicine Wheel という言葉が大きく刻まれていた。次回、訪れる先で新たな発見があるのだろう。招ばれているとしかおもえない。そういえば、Crystal Matrix Gallery のオーナーで視える人に、私に合う石をリーディングしていただいた結果、Himalayan Quartz from Kulu Valley, India をいただいた。世界中の数ある石の中からインド、、今世は疑う余地なく、インドと関係の深い人生なのだと改めて感じた。このように、幾つかのキーワードに自然に出逢えた瞬間の紡ぎとなったのが、Shasta という空間で起きた物語だった。

Pluto's Cave
Himalayan Quartz from Kulu Valley, India

心の癖に目を向けることで、視えてくる真実

さて。時を同じくして、長らく疑問に感じていた問いが解決に向かおうとしていた。自分にとっての真の役割が『お世話をする』なのかどうかについての答えが導かれようとしていたのだ。四月四日と学年一早い日に生まれ、年子の妹がいることによって、二歳時点で既に『お世話をする』はごく自然と私の役割となっていた。中高時代のあだ名は「まま」で、シェアハウス時代は「寮母さんのようだね」と言われるほど、無意識にでも体が動くのだろう。『お世話をする』の中でも、特に『心の機微に気づき、慈悲深く寄り添う』は、得意であり、好きなことであり、社会的に求められていることでもあるので、今世における IKIGAI かなと感じていた。が、どうしてもしっくりきていなかった。この問いを解く上では、複合的な心の癖に目を向ける必要があったのだ、と今はわかる。

警報のサイン、心から瞬間を楽しめていない自分に気づく

二月末、友人の話に寄り添っているときに、心から瞬間を楽しめていない自分の存在を認識したときには驚いた。その直後から数日間、立て続けに同じドラマが起こっていることに気がつき、明らかに警報のサインを受け取っていた。この体験を経て、しっくり落とし込めなかった理由が判明した。見境なく目の前にいる人や困っている人に寄り添い、より高い精神的自律に向かえるようにと願い、手を差し伸べることは、一種の使命感のような思い込み(心の癖)があったのだろう。仏陀や解脱の境地に至るまでは、人は誰しも、ご本人が認識していないような心の癖によって、自らを苦しめていて、解放されたいと願っている、という前提が私の認識にはある。相手を知ることからはじまってようやく、相手の心からの望みに近い形で手を差し伸べられるという捉え方から、相手が安心して話す中でご自身の奥深くの想いに気がつけるようにと願い、その環境を築くことに意識を向けてきた。

苦に対して、忍耐強く賢明に懸命に向き合う心の準備

が、当人がご自身の苦しみに対して、忍耐強く賢明に懸命に向き合う心の準備がどれほどにできているかが、これからの私にとって、手を差し伸べること自体が相手にとって良いかどうかを決める鍵だと改めて確信した。自分にとってより崇高な人生の目的や今の自分の容量にさらに意識を向けると、どの程度の意識の状態の人と話すかについて優先順位をつける必要があることに気がついてきたのは、大きな収穫。実は、去年九月に Self-Transcendence Guide と自らに名付けて以降、繰り返し意識してきた点ではあったが、自らの心の癖によって、相手から連絡が入ると対応をやめられないと感じる私がいた。2/7、起業家かつ企業投資家である同世代の友人と数年ぶりに率直に相談している中で、Live with Gifted 事業を興す場合、ターゲットにしたい層(私が日頃から接していたい層)は Early Adapter だと具体的にわかっていながらも、もう一つの選択肢 Late Majority と悩んで、決めきれていない状態だったのを記憶している。この見誤りは、自分の役割を『お世話をする』と思い込んでいるがゆえに、困っている人がいれば、より困っている方を助けなければ、という使命感に自ら半強制されていた、という背景が起因していたようにおもう。

誤認識により、自分の真意を無視し続けていた

いつからだろう。思えば、数ヶ月前からあるサインを受け取り続けていたようにおもう。三年前より Nonviolent Communication を実践的に練習する中で、相手の心の声に耳を傾け共感することに意識が自然と向くようになった。次第に、聴く力寄り添う術がある一定育まれてからは、意識を集中して耳を傾けていずとも、反応することなく、相手が求めている共感の言葉がある程度浮かんでくるためか、心からその瞬間にダイブするという感覚がなく、心ここに在らずな時が増えた。私自身が明らかにその瞬間瞬間を楽しんでいなかったのだ。本末転倒にも、積極的に相手とつながるという感覚が鈍っていた。その上、『心の機微に気づき、慈悲深く寄り添う』という得意が加速し、実践により経験が深まりできることが増えていくことに対するよろこびを感じていたことで、好きなことだと誤認識していたようだ。そう、好きだと思い込んでいたけれども、実は、そんなに好きなことではなかった、私にとって優先したいことではなかった、ということに改めて気がついたのだった。これまでも、Ahimsa(非暴力な在り方)は重んじていようとも、Nonviolent “Communication” は私のコアにはならないという真実を、直感で幾度か認識していたのだが、明確な理由がわからなかったことで曖昧にし続けていた。どれほどの長い期間、どうやって私は自分の真意を無視し続けていたのだろうと不思議におもう。でも、気がつく準備ができた今だからこそ、然るべく時が来たからこそ、気がつけたんだろうね。2/13、リーディングをしていただき、『お世話をする』はアイテムとして得意ではあるが、真の役割ではないと確信できた時の安心感は、言葉にできないほど大きかった。有り難う。

Human Design

楽しむという状況をむしろ後ろ向きに捉える心の癖

加えて、私にとって楽しいという感情自体が色濃くなく、楽しむという状況をむしろ後ろ向きに捉える心の癖も併さっていたのだろう。楽しむこと自体を蔑んでいる私がいたのだ。楽しんでね、と言われると、どういう意味?楽しむってなに?味わうならわかるけど、私は目の前の楽しみを追い求めるほど能天気ではないんだよ、と拒否感を心が露わにしていた。この心の癖は、自分や家族を後回しにしてでも、公にいる人を助けることを優先する父の在り方が影響しているのかもしれない。父は、私利私欲がなく聖人君子のような尊い人。今日のご飯がなくて困っている人たちがいる、という言葉を父から何度聞いたかわからない。世界のどこかで困っている人を頭の片隅で認識していながら、自分が楽しむことを優先する選択肢は、彼にはないのかもしれない。父がいつも多かれ少なかれ苦しそうに見える理由は、もしかすると、自分自身を優先してあげられない心の癖が起点なのかもしれないね。三人兄妹の中で、最も父の在り方や正義、道徳観に近い私は、気がつかない間に、大いに影響を受けていたようだ。それゆえに、楽しめていないかもしれない自分の存在にうっすらと気がついていようとも、取り立てることでもないと捉え、無視し続けていたんだろうね。アメリカに移住してからは様々な理由で心身共に疲弊していたので、感覚が鈍っていたのも気がつきにくかった理由だろう。いずれにせよ、一視点でしか見られない状況下での正義とは、非常に危ういものだと改めて感じる。自分の凝り固まり度合いを疑問視すらできないからね。また、パートナーや最も近い心友が、楽しむことを重んじている性質であるのは、私のこの心の癖を取り除き、共に楽しむことを教えてくれるためなのだろうという気がしている。

あらゆる感情はサイン、心の癖や思い込みに気づくために

これらの心の癖や思い込みに気づき、解き放つ上で必要なサインに出逢っていた。ほぼ一方的に、助けてほしいという声に対して、去年の11月頃から、もしくはそれ以前の時点では、もしかして?程度の小さな違和感の塊だったが、12月中旬の時点では確実に違和感に、やがては嫌悪感や怒りというサインが強く現れ出した。毎度、数時間、私が相手にひたすらに寄り添おうとも、相手は私の話を聴くという選択肢を思い浮かんでもいなさそうな、対等ではない関係に、次第に嫌気が差していたのだろう。大抵の電話では、「愛華さん、愛華ちゃんは、すごい。救われる、いつもありがとう💕」となる。まるで私が智慧を説いている人かのように、まわりが私を捉えているように感じ、孤独に近い感情を感じていた。ずしんと消耗した感覚が尾を引く。それなりに長い期間関係を築いているにもかかわらず、なぜ私に対して救いの手を差し伸べようと思ってはくれないんだろう、と不思議だった。そして、そういう人とは、手を差し伸べることはできても、手を取り合うことはできないのだと、今、気がついた。

人は自分を写す鏡、原因は常に自分自身の中にある

だが、もう一歩踏み込んで熟慮すると、原因が視えてきた。人は自分を写す鏡である。原因は常に自分自身の中にあり、あくまでもまわりはきっかけという名のサインを与えてくれる存在でしかないものだ。もしかすると、というか、その可能性が高いのが、私がその友人たちに対して、「あなたに話すことはないだろう」と、相手の力量(私の話を理解できる意識の解像度があるかどうか)や信頼に足るかどうかを判断し(評価し)、心を開かない心の癖があったのかもしれない。もしくは、ブログを書いていた九年前より連日、一方的に相談を受ける機会が多く、目の前に現れる人がみんな、助けを求めているような錯覚になるほどには心が麻痺し、相手を対等に見られなくなっていたのかもしれないね、と今ならおもえる。いずれにせよ、自分が相手に対して心を開いて、相手と自分自身を大切に想い、積極的に正直に、相談や意思表示のコミュニケーションをして、まわりに必要な協力や理解を仰げば、協力してもらえる、という願わしい状況を作ることができるのだろう。慣れていないため忍耐強さと努力が必要だが、努力によって解決できるなら幸運だね。

自分のコミュニケーションの特質や癖

そもそも、私は山の中で一ヶ月半ひとりで籠るような性質。自分との対話によって自分の心とより深くつながり、Know thyself を追究することに深淵なる生きるよろこびを感じる。ゆえに、他者と話したい❣️、他者に聞いてもらいたい❣️という想いが大きくないのも、自分のことを積極的に話さない背景にある。質問を受ければ包み隠さずにオープンになんでも答えるが、「話を聞いてほしい」と自らお願いする体験は、両手両足で数え切れるほどかもしれない。物心ついた頃から、観察して気づいて行動してその過程で学んだことを消化してからようやく、他者に報告するというスタイルのコミュニケーションをしてきた。自分のことを自分で決めて、自己完結。他者にお願いするのが苦手で、その癖が災いとなり、社会人時代は協力を得られず困難を感じた。この人に合う💓 良さそう💓 などピンときたものを推薦したりはするものの、誰かに相談したり共有したり話すこと自体が楽しい❣️という感覚をあまり知らなかったようにおもう。

Live in the Mountain

コミュニケーションの特質の背景にも、意識を向けてみる

幼少期から自己主張が強かったり、一目を置いてもらってきたことから、最終的には自分の思う通りになってきたものの、もしかすると、ああ、、純粋に分かってもらえてる❣️と感じた体験が多くなかったのかもしれないね。こういう時に思い浮かぶのは父の顔だ。安心を重んじる父含め、多くの人にとって、直感で動く私の感覚は奇天烈そのもので、「熟考しなさい」という言葉や驚愕の表情をされることが多かったのかもしれない。では、どれほど他者に分かってほしいと思っているのかと自分に問うてみると、さほど期待があるとは思いにくい。異なる生物である以上、生まれた時点から特性として異なる性質をもち、過去世や今世において全く同じ体験をしてきた人生ではないのだから、完璧な理解はし合えない、そんなもんだろう、と捉えている。悲観的に捉えているのではなく、楽観的に都合よく見たいものを見たいように見るのではなく、完全な理解をし合えないよね、という現実をありのままに見た前提の上で、(否定・批判することなく、)尊重し合い、受け止め合うことを願っている。いついかなるときも、他の誰かではなく、私自身が私にとって最高の理解者であり心の友であれるように、心が整いやすい環境を整えてあげることに意識と行動を注いであげたい。

無意識に相手をコントロールしようとする心の癖を認める

さらに。私は幼少期から意見がはっきりしており、選択を決める役割や立場になりやすかったことでか、相談などで私を頼ろうとする人を前にすると、自分が声の大きい人になりやすいというドラマが生じることにも気がついた。無意識にその場もしくは相手をコントロールしようとする心の癖が、冬頃から怒りのサインをもって呼び覚まされていたのだろう。それまでは、自分の心にあるその邪悪な存在を認めることに対して抵抗感があり、うっすらと気がつく度に、いまいちわからないなあ〜と(逃げの姿勢で)捉えないようにしていた記憶が数度ある。自分の心の叫びを見過ごそうとしていたのだろうね。が、自分の心の癖を放置しておくことによって感じてきた心地悪さや後味の悪さ、苦しみを抱えておくには限界が訪れていたのだろう。おかげ様で、電話で相談を受ける度に警報音のサインが強まり、1/27 にはこの心の癖を手放したいという境地に至っていた。このまま続けていると、自分にとっても相手にとっても二人の関係性にとっても、良い方向に向いていかないのを痛感したからだ。痛みが私自身の奥底にある願いに気づかせようとしてくれていたのだろう。この時点から悪霊が去ったかのように、少しずつ自分がより向かいたい方向に足を歩めはじめた気がしている。

次なる扉を開く上で乗り越えていく課題

時系列からもわかるように、この西海岸での旅は、この根深い心の癖を手放したいと心から願い、自分の愚かさを認め、受け止め、勇気をもって手放したところからはじまり、芋づる式に、他の心の癖にも意識を向ける結果となった。良い悪いの話ではなく、私にとって次なる扉を開く上で乗り越えていく課題だったのだろう。今、脱皮したような爽やかさを感じている。学びはいくつもあるが、

  • 心をオープンにしてその瞬間での会話を通じた心のつながりを楽しむこと

  • 手を取り合える人と積極的に交わること

  • 真っ直ぐに相手を見つめ対等であろうとすること

  • 違和感も含めて今の気持ちを正直に敬意を持って伝えること

  • 思い込みをしないようにあるがままに自分自身や事象を観察すること

  • 自分とのつながりをより強く感じてあげること

  • 自分のためにも勇気をもって進化し続け目覚めていくことを楽しみながら、先導を走り、まわりにいる同世代に近い人の目覚めを手助けすること

  • それに集中するためにも、心が整いやすい環境を整えてあげること

  • 一人でできることは限られているので協力を得やすくなるように事前にお知らせるすること

これらが私が次のステージにて乗り越える必要のある課題だと確信している。ようやくここまできたんだね。

気になっていることに意識を向けてあげる、無視しないで

もう一つ、半年ほど気になっていたことがあった。天命だ❣️と思えるほどかなり確信に近かった Live with Gifted の事業が、自分の中で先に進まなかった状況に違和感を感じていた。明確な理由はわからなかったが、明らかにパズルのピースが足りない感が心に張り付いていた。そのピースの存在がスピリチュアリティ、意識であるということに、この旅の中でようやく腑に落ちた。もちろんこれまでも意識の中にあったが、今は解像度がより鮮明に細やかに感じられているという感じ。具体的には、レムリア期以前からの宇宙と地球の関係性や流れを汲んだ上で、私たちひとりひとりの存在や役割をどのように捉えられるか、に鍵があるような気がしている。科学など頭で考えている範囲では視えてこない、わからないことが多いというのは、以前から直感でわかっていた。1/26 から一週間ほど、認知科学コーチングに関心を示したものの、どこか限界を感じて先に進まなかった理由は、考えることで捉えることの限界を感じていたからだろう。小さな枠の中で捉えることに慣れてしまうと、むしろ真実から遠のいていく気がしてならない。

直感からの問いかけに意識的であろう

これまでの数年間、私は、心の癖を取り除いていき、純粋さ透明さの解像度を上げていき、自分自身と真につながるための ”心身の浄化” が、個々の解脱やその先にある調和と平和の世界への道だと信じて行動してきた。が、心身の浄化だけでは足りないんじゃない?と直感が問いかけてくれている。私が描いている next level の調和と平和が融合した高次元の地球、惑星たるに至るには、(個々人の心身の浄化に加え、)個々人が宇宙意識(高次元への意識、波動、周波数)とのつながりによる覚醒(目覚め)を経て、惑星が浄化や変容していき、地球全体の次元が上昇する必要があるのではないだろうか。この域に至るには、心身の浄化は助けにはなるとおもうが、必ずしもこれを先に優先する必要性はないのかもしれない気がしている。だから、Live with Gifted 事業が良い策ではない気がしてならず、引っかかっていたのかなと。意識や直感、視えないものを感じたり受け取る力が、既に試されはじめているだろう。これから先、社会の中心がますます次世代に移っていくに伴い、人々の目覚めが加速しているだろう地球の次元上昇および宇宙との融合を目的に、異次元から地球を訪れてきている割合が次世代の中には増えている気がするのだ。33歳の私含め、新時代の人たちからすると、古い時代を生きている中で自然と古い捉え方をしている存在の一人であることを認識しつつ、老害にならないように在りたい。来年を目処に希望的に予定している、一人目の妊娠出産を経て、自分の意識の次元が高まっていくのが楽しみである。

精神的な進化に集中することが、今の私にとっての最優先事項

未だはっきりとはわかってはいないが、私の役割は、自分のためにも勇気をもって進化し続け目覚めていくことを楽しみながら、(先導を走り、それが自然と、まわりにいる同世代に近い人の目覚めを手助けすることなのかもしれない)と、今は感じている。具体案ははっきりとはしていないが、九月の時点から事業同様にピピピと感じていたのが、手を取り合える人たちと自分のいる地にコミュニティを作っていくことだった。現在の本拠点である Boston ではなく、次の拠点となる地でコミュニティ作りがはじまる気がしている。一方で、今では他者に手を差し伸べるために事業をするというのはあまりピンと来なくなっている。これは自分でも予想外の展開だ、笑。あれだけ張り切っていたのに、、と微笑みながら、過去に決めたことに固執することなく、今時点での最適を柔軟に受け止めながら、無常の美しさを感じている。今は、なによりも、自分の精神的な進化に集中するという第一優先に集中してあげたい。私は一つのことにだけ集中すればするほど生産性が高まっていく器量であり、要は不器用なので、幾つもの存在に意識を向ける必要がある行為を選択するのは向いていないのだ。

自分よりも他者を優先しがちな心の癖を手放してから

また、客観的に自分を観察してみると、異なる視点も見えてくる。私は幼少期から観察を重んじることで、他者よりも先になにかに気づくことができるためか、他者本人が気がついていない状態に対して、無意識に心を配り手を差し伸べることが得意だ。だから、なんでも気づいてやってくれるお母さん的存在になるのだろう。「愛華は、他の人のことばかり優先しているね。」と物心ついた頃に、父が微笑みながら何度も口にしていたのを覚えている。得意なこと自体には良くも悪くもないものの、自分よりも他者を優先しがちな心の癖があることを認識する必要があるだろう。今でもその癖が抜けているとはおもえない。この心の癖は、自分が手を差し伸べなくてはいけないという思い込みから抜け出して諦念し手を貸す前に相手からのリクエストを待つことを心がけることの二段階で、解消していく気がしている。この癖を解き放つまでは、他者に向けての何かをすることは、自分に対する優先順位を下げることにつながりかねないだろう。また、そもそも私の真の役割上、他者に手を差し伸べる事業をする選択自体が存在していない可能性もある。未だ腑に落ち切ってはいないこともあるが、3/21時点での想いや解釈はこんな感じである。

人生を、毎瞬間を、味わい尽くしていくことが、次のステージへのはじまりであるように感じている❤️ ひとつひとつ心の癖を解いていくことで、ますます直感とつながり、丁寧にサインを受け取って、さらに高みに進んでいくのだろう。そんな絵が見える。完。

walking nearby Golden Gate Bridge

お気持ちを添えていただけたこと心よりうれしく想います。あなたの胸に想いが響いていたら幸いです。