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目には見えない宝物

この記事はオンラインキャリアスクール「SHElikes」のエッセイライティングの課題として執筆しました。
添削していただき修正したものを投稿しています。
〈課題概要〉
テーマ:家族と贈り物にまつわるエッセイ
想定読者:20代後半〜30代男女
依頼背景:毎月1日を「家族の日」として制定したい。この日に合わせて、読者が「家族のことを考え、贈り物をしたいな…」と思うようなエッセイを掲載したいです。直接的に”贈り物をしましょう!”と言及する必要はありません。大事な家族のことを考え、思い出してしまうような、家族と贈り物にまつわるあたたかいエッセイをお願いいたします。
文字数:2,000〜5,000字程度
与えたい読後感:家族に対して思いを馳せる。あたたかい気持ちになる
備考:家族をテーマにした執筆が難しい場合、大切に思う方とのエピソードを執筆ください

誕生日とクリスマス、少なくとも年に2回は家族からプレゼントをもらう機会があった。そのほかにも入学・卒業・成人祝いなど、お祝い事があるとプレゼントが3回の年もあった。

クリスマスは妹と一緒にサンタさんにお手紙を書いたり、なぜか空にお祈りをしたり。誕生日が近づくと、積極的に家のお手伝いをして必死に欲しいものをおねだりしていた。

そこまでして手にしてきたプレゼントの数々。確かにすごく欲しかったし、もらったときは飛び跳ねて喜んだのに、26歳になった今思う家族からの1番のプレゼントは「思い出と経験」だった。

お父さんお母さん、きっとサンタさんへの手紙こっそり読んだよね。おじいちゃんおばあちゃんも、私が喜ぶ顔を思い浮かべながらプレゼント選んでくれたよね。そのときは嬉しかったはずなのに、何をもらったかということよりもそのプレゼントを通して生まれた思い出のほうが色濃く私の心に残っている。

なぜだろうと不思議に思いつつ、なんとなく「家族の思い出」について思いを馳せてみる。そういえば、中学生くらいまでは毎年夏休みに旅行に連れて行ってもらっていた。

あのときのサンタさんへの手紙に何を書いて何をもらったのかはなかなか思い出せないのに、家族の思い出なら簡単に思い出せた。それをさらに不思議に思いつつも、なぜ旅行の思い出がそんなに色濃く心に残っているのか考えてみる。

好奇心旺盛でなんでも吸収してしまう新品のスポンジみたいだった私に、両親はいろんな景色を見せてくれた。目に入るもの全てが刺激的だった。

趣味嗜好は成長とともに変わりゆくもの。当時は宝物だったおもちゃやゲームも、キラキラした思い出を残して去っていく。きっと幼い頃の喜怒哀楽の感情はとても繊細で、その刺激が強ければ強いほど記憶に残りやすいのだろう。嫌だったことも楽しかったことも、その時の新鮮な状態のままで何十年の時を越える。

父の涙が繋いでくれた家族の時間

そうして経験を重ねていくうちに、もっと広い世界で常に刺激を受けながら成長していきたいと思うようになった。高校を卒業して一人暮らしを始め、ただ目の前のことに夢中になり目まぐるしく毎日が過ぎていく。それと同時に家族(特に母)のありがたみを感じることも増えた。

そうはいっても人間は忘れゆく生き物だ。がむしゃらな毎日を送っているとつい初心を見失っていた。

「実家なんていつでも帰れるしまぁいっか。それよりも今しかない自分の時間を楽しもう」

そのときはまだ、家族との時間にも限りがあることに気付けないでいた。

当時は休日にすることの優先順位4位くらいだった実家帰省も、年に数回は順番が回ってくることがあった。「帰りたいから帰る」というよりは「たまには帰っといた方がよさそうだから帰る」という感覚だった。

ある年のなんでもない帰省の日の母との会話。私が一人暮らしをするために出て行った後、父が仕事中に寂しくなって泣いていたということを聞いた。

「寂しいけど親にとっては、子どもが成長して、幸せでいてくれるのが一番嬉しいことなんよ。ずっと家にいて欲しいなんていうのは親のエゴやからね」

顔が強張ったままの私に、母は苦笑いでそう付け足した。

父が涙脆いことは母から繰り返し聞かされた昔話のおかげでよく知っていた。でもたまに帰省しても大した言葉を交わすこともない不器用な父がそんなに私のことを想ってくれていたなんて。もらい泣きしそうで、でもどこか嬉しいような正反対の感情がぐちゃぐちゃになって渦巻いていく。

その会話をきっかけに、最近家族との時間が後回しになっていたことにハッとする。

家族だからって、血が繋がっているからって、想っているだけでは伝わらない。感謝の気持ちを忘れたわけではない。でも家族との時間は永遠な気がして、感謝を伝えたり一緒に過ごす時間は後回しになりがちだった。

いつでも帰る場所があること、やりたいことに夢中になれること、それら全ては当たり前なことではなく、家族が居てくれるからこそ成り立つものだった。

私なりの感謝のカタチ

父の涙をきっかけに初心に帰ることができた。今度は今までたくさん与えてもらってきた家族の思い出を、「私なりの感謝のカタチ」として贈ることにした。

家族とのかけがえのない時間を疎かにしてまで過ごしてきた時間の中で、たくさんの経験をしてきた。その中からどうしても家族に共有したい景色があった。

沖縄県の離島・宮古島。

山奥の田舎で生活する私の家族は、普段海とは全く縁がない。綺麗な海が有名な宮古島で経験した感動体験を、家族と共有したかった。私なりの恩返しとして。

そして10月の3連休、家族みんなの予定を合わせていざ宮古島へ。

飛行機は75年の人生で初めての祖母と、新婚旅行以来二十数年ぶりの両親。高所が苦手な祖母のことが少し気がかりだったが、そんな心配をよそに軽い足取りで窓際の席につく。一方で、空港内では肩で風を切って歩いていた父が、通路側の席で縮こまっている。それを見て声を殺して笑う母と私。

思い返せば私が中学生になった辺りから、部活やテストで都合がつかず家族旅行の機会が減っていた。高校生になると夏休みは友達や彼氏との予定でいっぱいだった。

こんなに家族みんなが揃っての旅行なんていつぶりだろう。あの頃は言われるがままに両親の後ろをついて回って目を輝かせていたけど、今では先頭に立って全員を率いている。あまりにも久しぶりすぎる家族旅行に、すでに行きの飛行機で感極まりかけていた。

私が見せたかった景色が見せられるかどうかは、天気に大きく左右されるので不安も大きかった。
しかし飛行機から降りると、そんな不安をかき消すかのような暖かい空気と青く澄み渡った空が私たちを包み込んだ。慣れない新幹線や飛行機での移動に少し疲れ気味だったみんなの顔にも、笑顔が広がる。練りに練った2泊3日の旅程はあっという間だった。

飛行機は怖いのに海を前にするとはしゃぎ出す父、カメラ片手に楽しそうにその後ろを追う母、この旅行のために帽子を新調したと自慢げな祖母。普段とは違う場所で見せるみんなの表情がどの瞬間も新鮮だった。

その思い出のどの瞬間にも、息を飲むほど美しい海と青い空が花を添えていた。

永遠ではないからこそ

天をも味方につけた今回の家族旅行は、それぞれの心にかけがえのない思い出として刻まれたことだろう。贈った側の私の心にもしっかりと深く刻まれていた。

家族からもらったたくさんの「思い出」という宝物から紡いだこの瞬間を、これからも作っていきたい。

久しぶりの家族旅行を終えた私の中には、こんな想いが生まれていた。小さい頃にプレゼントをもらっていたのと同様に、私からもまた家族の誕生日や父の日母の日にはプレゼントをしていた。それは一人暮らしを始めてからも当たり前のように続けた。

スマホの画面から喜びそうなものを選んで宛先を実家にするだけの簡単な作業。

「いつもありがとう。まだまだ長生きしてね、たまには帰るね」

到着予定日に、毎年決まったようなセリフを添えて送る。

便利な時代ゆえに、家族に想いを馳せる時間すら簡略化されていた。いや正しくは、便利さにかこつけて自らその時間を短縮していた。

決まって送られてくる家族からのお礼のメッセージを読む。いつからだろう。 こんなにもパターン化されてしまったのは。

どんなプレゼントよりもきっと、私の元気な姿を見ることのほうが嬉しかっただろう。配達のお兄さんより、私の手から直接受け取りたかっただろう。

今回の旅行を通して本当に色々なことに気付かされた。どんなときも変わらずずっと応援し続けてくれた家族は偉大だった。

考えたくはないが、家族の時間は永遠ではない。永遠ではないからこそ、このかけがえのない時間をもっと大切にしていきたい。想いはちゃんと言葉にしよう。何もなくてもめんどくさがらずに顔を見せに帰ろう。そういえばこの間帰省したとき、祖母がテレビを見ながら「北海道にも行ってみたいね〜」と呟いていた。

「ばあちゃんはいいからいいから」が口癖だった祖母からこんな言葉が出るなんて。よほど飛行機に乗れたのが嬉しかったのだろう。内向的だった祖母の変化が私も嬉しかった。

「じゃあ今度の旅行は北海道にかに食べに行こうか〜!」。私の提案にリアクションは薄めだが、割と乗り気な様子の両親。祖母からも嬉しそうな声が上がる。

2月生まれの父と祖母、5月の母の日のプレゼントで次はゴールデンウィークに北海道に行こう。実家から自宅に戻る新幹線の中で、新千歳空港行きの飛行機を調べながらカレンダーの真っ白な2024年5月のページに予定を入力していく。

「北海道、宮古島より遠いけどお父さん飛行機大丈夫かな」

思い出し笑いを堪えるように、窓の外に目をやる。どこまでも続いていきそうな冬晴れの空が広がっていた。


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