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奇跡のように完璧な日

今日が「奇跡のように完璧な日」だったわけではない。

今日はごくごく普通の一日だった。そんなに良いことも、そんなに悪いことも起こらなかった。(夕食に子どもたちからリクエストされたタコ焼きを作ったら、やっぱり食べたくないと大泣きされたくらい)いつもの一日だった。

いつもの一日だけど、今日は一人の出勤日だった。だから誰にも気兼ねせず(いつもしてないけど)鼻歌でも歌いながら仕事をすることにした。私の中の夏っぽ曲、今井美樹さんの「ドライブに連れてって」をゴキゲンで歌っていると、降って湧いたように「奇跡のように完璧な日」が思い出されてしまったので、綴ってみようと思う。

ストレス浄化

アラフォーになってからというもの、そんなに気分の浮き沈みがあるわけではない。私の職場はそこそこ快適だし、子どもたちも意思疎通が可能な年齢になったので、毎日の中に大きなストレスはない。そんな普通の日々であっても、ちょっとしたチリツモのストレスは、気がつかないうちに溜まっていてる。そのことに最近気がついて、たまにストレスを浄化するようにしている。

私のストレス癒し方は「一人になること」。一人になって、何にもしないか、一人で何かするか。本を読む・ドラマをみる・繕い物をする・海を見る・お菓子を作って食べる。それでだいぶ心が軽くなる。ただ、それだけでは、心の底の方に溜まった”澱”のようなものまでは掃除しきれない気がする。

心の底に溜まった”澱”は、ごくごくたまに訪れる「奇跡のように完璧な日」を過ごすと、綺麗に払拭される気分になる。魂から浄化されるような、そんな幸運な一日が、私には年に1、2度ある。皆さんにもきっとあるのではないだろうか。

約束された幸運な一日

私の場合、その幸運な一日は、事前からものすごく楽しみにしていた日の時もあるし、特段楽しみにしていなかったのにそうなる時もある。ただ、予兆は何となくあったりする。その予定がたち消えそうになったり、延期されそうになったりするけど、でも、どうしてもその日でないといけない確信みたいなものがあるとか。最初は完成しないかもしれないと思ったごちゃごちゃのパズルが、スルスルと全て収まるところに収まっていく感じとか。直前に777をよく見かけるとか笑。そんな予兆。

私の場合、その幸運な一日は、一人でいる時には訪れない。誰かといる時に訪れる。誰かとは、長年の友人といる時だったり、知り合って間もない人といる時だったりもする。

完璧な感じ

その1日は、空の感じとか、風の感じがちょうど良くて、食べるものは何もかも美味しくて、その場にいるみんなが緩んでいて、今を楽しんでいる感じ。海の波がキラキラしているのを眺めていると、全てがどうでもいいような、すでに何もかも完全であるような気がする感じ。沈む夕日を見ながら、未来が楽しみでもあるけど、今の一瞬が永遠に続いて欲しいと思うような感じ。そこにいるみんなが空気みたいな見えない何かで繋がっていて、同じようなことを考えている気がする感じ。龍が見えた!とか、そんなすごいことは起こらないのだけれど、何でもない1日とあまり変わらないけど、だけど、ものすごく感覚が透明になっていく感じがするのだ。不思議なことに。

そんな奇跡のような完璧な一日は、ごくごく普通の毎日の延長線上にあって、当たり前だけど、たまに起こるからキセキだ。奇跡が起きて心の澱が消えると、普通の毎日も、愛おしくて完璧だったのだと思える。そのために奇跡は起きるのだろうか。毎日を生きていくために。だから、神様みたいな存在が、特別に幸運な一日をたまにプレゼントしてくれるのだろうか。

だったら、年に1、2度じゃなくて、月に1回くらい幸運な一日があったらいいのにな。と思う新月明けの夜でした。

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