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吉野ケ里遺跡の発掘調査の進捗追いかけるのがめちゃくちゃ楽しい

このごろの全人類の最大の関心事といえば、吉野ヶ里遺跡の発掘調査。そしてそれに次ぐのがかわいい猫ちゃん情報で異論はないと思うんですけど、なにより吉野ヶ里遺跡、吉野ヶ里遺跡ですよ。あのー吉野ヶ里遺跡ってめちゃくちゃデカい遺跡があって、そこから北欧風デザインのハイエースの化石が見つかったということでたいへんな騒ぎになっていますよね。おもに現場系の兄ちゃんが乗るハイエースですが、北欧風のヒュッゲなデザインのものが見つかるのは世界的に見ても初めてのことで、また、「魏志倭人伝」に、弥生時代に行われていたという縦列駐車の全国大会の舞台になっていたと言われている、縦列駐車界の甲子園こと邪馬台国ですが、どこに存在していたかが長年の謎だったわけで、どうもこの発見によって邪馬台国論争にもしかしたら決着がつくかもしれないと、そういうニュースですよね。

あんまりふざけるポイントない話だから無理矢理小ボケを挟んでみたんですが、中途半端に事実が混じっていてよく分からなくなってくるので本題に入りますね。

あのー卑弥呼っているじゃないですか。日本史の授業で割と序盤に出てくる人物だから、知名度でいうとガッキーとトントンくらいの偉人なんですけど、この人が治めていたと言われているのが邪馬台国ですよね。でも、こんなに有名人で有名なクニなのにも関わらず、これがどこにあるか詳しく分かってなくて、九州にあったという説もいれば畿内にあったという説もあり、まーこの時点で日本史ラーナーたちは一回躓くわけですよね。分かっとらんのかいみたいな。おれも小学生のときそうでした。

まず、邪馬台国がどこにあったかを特定するのに重要な史料になるのが「魏志倭人伝」なんですけど、そこには朝鮮半島から邪馬台国に至るまでの経路が示されているわけです。じゃあソッコーで特定できるじゃんってなるんですが、どうもこれには色々解釈の仕方があるみたいで、素直に読み解いていくと最終的に海に行きついてしまうらしいんですね。だからああじゃないかこうじゃないかって解釈をしていくうちに、九州説とか畿内説とか、また海底説なんてのも出てしまっているということみたいです。解釈が色々あるマップ嫌すぎる。

おれ自転車乗るんですよ、自転車。これは都内で自転車に乗る人あるあるだと思うんですけどGoogle Mapで経路を調べて目的地まで行くじゃないですか。そのときGoogle Mapが示す経路がときどきトンチンカンなことがあって、素直に大通りを通っていけば分かりやすくね?って経路でも、最短距離で目的地に辿り着くために民家と民家の間にあるめちゃくちゃ細い道を通らされることがよくあるんです。そのたび若干ムカつくんですけど、それでも最終的には目的地に到着できるじゃないですか。Google Mapムカつく時あるけどなんだかんだゴールにたどり着けるコミット力は認めざるを得ないわけですけど魏志倭人伝はそうはいかない。いろいろ解釈があるうえに、最終的に目的地に辿りつけない。

あのーこれは車に乗る人あるあるだと思うんですけど、カーナビをセットしてドライブするとき、目的地が近づいたら音声案内を終了しちゃうじゃないですか。初めて行く土地なんかだともう目の前まで案内してくれないと入り口が分からない。責任もって最後まで職務を果たせよみたいなこと、よくあると思うんですけど、魏志倭人伝ってきっとそんな感じですよね。そうなの?

で、邪馬台国論争なんですけど、当初は九州説が唱えられていて、今回話題になっている吉野ヶ里遺跡ももしかしてそうなんじゃね?っていう説があったみたいです。めちゃくちゃデカいらしいし。東京ドーム●個分で例えられるみたいな、いまいち分かんないけどまあとにかくデカいんだろうなっていう規模感のものだったらしいので、そりゃガッキーくらいの知名度の女王が治めていたクニだったらそれくらいでっかくなきゃね!ということで吉野ヶ里遺跡が邪馬台国だった!みたいな説もあったみたいなのですが、その際致命的だったのが、ちょうど邪馬台国が栄えていた時代のものがまったく発掘されてなかったみたいなんですよね。それで佐賀の人みんな一旦シュンとしてしまったみたいなのですが、このたびその邪馬台国時代の人の棺、石棺が発掘されたということでたいへんな騒ぎになっているというわけです。

しかもその石棺には高貴な人が埋葬されるときの特徴をビンビンにとらえているものが見られるから、もしかしてこれ卑弥呼眠ってたりするんじゃね?ということで、もしかしてもしかしたら、邪馬台国大論争に終止符が打たれるのでは…!となっていて界隈が沸いているというのが、上に貼ったニュースの概要です。ここまで辿り着くのに2,000字かかった。既に息切れ気味。絶対冒頭のハイエースのくだり要らなかった。なんだよ縦列駐車の全国大会って。

で、吉野ヶ里遺跡の発掘作業ってもう何十年もやってる調査らしいんですが、当然今回の発見は初めて。今回見つかったのも過去にまだ一度も掘り起こされていなかった場所だったということです。これも面白くて、元々この石棺が見つかった場所というのが、もうどう見ても古墳的な何かじゃん、高貴な方が眠ってないわけがないじゃんってくらい小高い丘になっている、もう学者さんからしたら掘りたくて掘りたくて仕方がない場所、すなわちワンピースの序盤に出てくる、下半身が宝箱でできてるめちゃくちゃ面白いおじさんが守っている崖の上みたいな存在だったわけです。でも掘れなかった。なぜなら、戦国時代は城が建っていたのと、その城がなくなったあともずっと神社が鎮座し続けていたから!さすがに神社を掘り返すのはちょっとダメだよねってことで、この発掘調査が始まって以来「謎のエリア」と呼ばれていた場所だったんです。

で、このたびその神社が移転することになって、晴れて発掘ができるようになったのが2022年度末。もう神社の移転が決まったときの研究所の湧きっぷりを想像するだけで涙が出そうになりますよね。その日の飲み会参加したかったわー。ついに「謎のエリア」が解禁されて、発掘作業に着手したところ、さっそく今回の石棺がでてきて、しかも年代的にいままで見つからなかった邪馬台国時代のものっぽいから、ほらー!ってなっているのが今です。超ヤバくないですか。

石棺が掘り出せたら、次に気になるのは何が入っているか、じゃないですか。もう一刻も早く知りたいけどあせってはなりません!今月に入ってからいよいよ中身の調査をしようということで動き始めたんですけど、石棺にめちゃくちゃ重い石蓋がされていて、まずはそれを重機でもって持ち上げていくわけです。全部で4枚?くらいあって、それを本当に少しずつ、1枚…2枚…というように、野球拳みたいにゆっくりと開けていくわけですよね。それが今週のおもな動きです。でも、開けたらすぐに何かが出てくるかと言ったらそうじゃない。やっぱり長年埋まってたものだから、土砂が石棺いっぱいに流れ込んでいるわけです。そこで歴史素人のおれとしては一旦テンション下がるんですが、学者さんたちとしてはもうこんなの想定の範囲内だと。土砂を取り除けばいいんだと。めちゃくちゃ頼もしい感じでいま土砂の除去をやってるっていうのが、今日までの感じです。

この頃は雨が続いてて、また大きめの台風が来てるということもあってなかなか発掘作業は予定通りに進まないんですが、それでも日々ちょっとずつ明らかになることがあって、たとえば「石蓋に赤く塗られた痕があって、それは高貴な人を埋葬するときの特徴だったからきっと棺の中には偉い人が眠っているはずだ」とか。今日は石棺の長さと幅が分かったみたいで、それによるとどうも小柄な人だったのでは、とかとか。そういう風に日々ちょっとずつ実態が分かっていくのを追いかけるのがめちゃくちゃ面白いです。まーこの石棺の発見で邪馬台国がここにあったと結論付けられるかというとそうでもないみたいなのですが、それでも、我々は今めちゃくちゃ貴重な瞬間に立ち会っているわけですよね。

予定だと来週の15日には全貌が明らかになるみたいです。雨とかの関係でもしかしたらもう少し後ろ倒しになるかもしれないけど、でも結果次第では日本史の教科書が書き換わるかもしれないわけです。魏志倭人伝が示すルートは本当にアテにならないけど、この石棺の中身次第で長年の謎が解けるかも!と考えると、こういう埋蔵品って、古代に確かに生きていた人たちからのメッセージとも捉えられます。

あとこれは聞いた話なんですけど、遺跡の発掘調査って、一つ掘って何かが出てきた日にはその埋蔵物を一つ一つ丹念に調査をしないといけなくて、その間発掘作業をすることができないので、明らかに重大な何かが眠っていそうな場所であってもそこの発掘に辿り着けないまま定年を迎えてしまう学者さんもいるみたいです。そうなると発掘調査は次の世代に託すよりほか仕方がなくて、本当は俺が掘りたかった場所を、そのお弟子さんが掘るみたいなことがよく起こるみたいです。

きっと今回発掘調査が行われた場所にも、学者さん同士のそういうドラマがあるのでしょう。古代史ってロマンがありますよね。引き続きこの発掘調査の進捗をニコニコと追いかけられるということで、おれの生活は当面たのしみが続く予定でおります。そんな感じです。

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