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河童を探して 佐賀県

九州で最もマイナーと言われる県。弥生時代の遺跡吉野ヶ里遺跡がある。発掘現場に日本最大級の環濠集落が復元されている。米を貯蔵するための高床式倉庫、焚火を中心として作られている竪穴式住居、埋葬用の甕棺墓、屈葬された死者。日本史の教科書と資料集で見たそれらが実物大で再現されていてワクワクする。ねずみ返しに感動する。縄文時代の遺跡も掘ったら出るらしいがと吉野ヶ里遺跡の研究が終わるまで掘れないと、管理の人が言っていた。邪馬台国九州説の有力候補地。

佐賀県の旧国名は肥後。治めていたのは鍋島藩。化け猫騒動で有名。妖怪話となってはいるが現実は龍造寺家と鍋島家の権力闘争。化け猫は行燈の油をなめていたというが、なぜだろうか。電灯の普及した現在となっては火を灯りに使うのはピンとこない。灯りの油と書いて、ー灯油というが現在では石油のことだ。江戸時代は行燈に使われていた油はナタネ油。ナタネ油は高級なので庶民はイワシから採れた油を使っていた。化け猫騒動の頃の鍋島藩はまだイワシ油を使っていたのだろう。猫だからイワシから作られた行燈の油をなめてたという連想。当時の人にはあたりまえに連想できただろうが、電灯時代の人にとっては少々難しい。

年に一度の有田陶器市には多くの観光客がおとづれる。豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に連行された陶工によって有田焼が作られる。朝鮮半島の陶工については韓国ドラマ火の神ジョンイが面白い。主人公ジョンイは最終回で日本に連れていかれる。

佐賀に伝わった焼き物の技術は幕末の反射炉にも使われる。肥後鍋島藩は反射炉で作った鉄で強力な武器や戦艦を作り明治維新の雄藩、薩長土肥の一角を担う。

伊万里にある酒蔵の屋根裏に河童のミイラが発見されたということが話題になった。本物か偽物かと問題になったが、そんなこと聞くのは野暮である。驚くはそのミイラ作成の技術力である。日本産の妖怪ミイラは幕末に日本にやってきた外国人の良い土産になった。人魚伝説のあるヨーロッパ人には人魚のミイラがよく売れたという。猿と魚をくっつけてミイラ化させたものだ。細部は木材と和紙で調整している。現在と同じ倫理感を持っていない幕末期にミイラの材料に何を使ったかが気になる。戦争疫病飢餓と死体には事欠かない時代。材料に使われたのが動物だけだろうか。河童のミイラと言われているものが人でないと断言できるだろうか。

目立たない佐賀県だが掘れば掘るほど色々なものが出てきそうである。


吉野ヶ里遺跡

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