- 運営しているクリエイター
2023年3月の記事一覧
夕暮れに、手をつなぐ。sideパリ
映画には、ものすごく悲しいシーンに、あえて明るい曲を流す手法がある。
「夕暮れに、手をつなぐ」のハッピーエンド(と呼ばれているもの)は、闇に添えられた副菜や薬味である。
皮肉や悪意ではなく、それが人生だよ、と突きつけてくる。でも生きていかなきゃいけないんだよと。
だれもがルーザー。
あまりに悲痛な一篇の映画を観ているようだ。
比較する必要などないが、「100万回言えばよかった」は人が死に、
夕暮れに、手をつなぐ。side音
音を謎の人物として捉えると、このドラマの位相は大きく変わってくる。
音は積極性に欠ける人物として描かれていた。どこか受け身で、だからセイラの存在も受け入れた。
創作に対しては頑固かもしれないが、彼は誰に対しても優しい。セイラにも。磯部真紀子にも。響子には従順で爽介には憧れていた。だが、それは本当の優しさなのだろうか。
状況が滞りなく進むことを何よりも優先しているように思える。すべてを肯定するの
夕暮れに、手をつなぐ。side空豆
夕暮れに、手をつなぐ。
複雑で、ビターな味わいの幕切れだった。
空豆と音が積み重ねてきた轍をおもえば、ふたりは結局、ピークで結ばれることはなかったのだと気づかされる。
まわり道、ではなく、喪失。それを受け入れることで、二人は一気に老けこんでしまった。
ラストカットの空豆と音は、もはや老後。
すれ違いの代償は、邂逅のときめきをもってしても、どうにもならなかった。
お互いの諦めの上に、今が
初めて平野紫耀を見た日と翌日のメモ。
「クロサギ」。第1話だけ観た。
わたしは平野紫耀に一切の先入観がない。なので直裁に語るが、かなり変わった役者で、そこが面白い。声も芝居もファニーで、二枚目じゃない。役柄的にメリハリはあるが、ダークネスもかなり浅漬け。
オリジナル「クロサギ」を演じた山下智久とは全くタイプが違う。ジャニーズの中でも異形。スタア性はほぼ封じられていて、演技アプローチはバイプレイヤー的、さらに言えば芸人が起用された時の
オッドタクシーは世界を冷笑しない。世界とbuddyになろうとしている。
オッドタクシーのキャラクターたちが希求している関係性はbuddyもしくはpartnerである。小戸川を中心に、ドブ、剛力、柿花、山本、そして白川。ヤノは関口、ドブ、二階堂にとっての山本、馬場。柴垣をめぐる馬場、長嶋。
黒田、タエ子、今井、樺沢、呑楽は不特定多数のセカイと相棒になろうとしてる。
わたしたちがこの素晴らしきアニメーションに親近感をおぼえるのは、動物キャラによるものではなく、単一の関係