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はやく、 会いたい。

2020年 秋の畑。

一歩進めば、ぴょーーーんっとバッタが跳ねる。
踏まないように、踏まないように。

そんな たくさん居たバッタたちも、すっかり姿を消した。
(( 彼らは卵で冬越し中 ))

落ち込んだ時、よく思い出す、最高にキュートだった この子。

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夕日の差す きらきらした光の中、ふと視線を落とすと

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あ、

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こっち見てる?

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目が合った。

かぶの茎に ぎゅっとしがみついている。
すごくすごく可愛い。

しばらく見つめ合った。そして撮影していたら

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「 ちょっと、もう勘弁してもらえません? 」

と言わんばかりに、葉っぱの陰に隠れてしまった。(( 見えますか? ))

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「 じーーーーーー 」

み、見られている。
ひょっこり顔を出してるのん、めちゃくちゃ可愛い。。

などと思いながら、懲りずに撮影していたら

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「 もう付き合ってられません、ぷいっ 」 (( 背を向けられてしまった ))

...... ふられちゃった。涙

と、思いきや、

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「 じーーーーーーーー あの人間、まだ居るよ。。。」

去ってもなお、こちらを見ているバッタくんなのでした。

(( 体はあっちを向いてますが、よーく見ると、視線はこちらに向いています。))


この個体はもう命尽きているだろうけど、人間とは違い、
動植物は、より " 種 " として生きていると聞く。

" 我 " ではなく、 " 種 " なのだと。" 種 " は " 我 " という事でもある。


また、昨年、アゲハ蝶を育てた際に、蝶は記憶を次の世代に受け継ぐという資料を見つけた。

それは、幼虫時代を生き抜き、蛹化する様を目の当たりにした際に、

「 なぜ誰にも教えてもらっていないのに、こんな複雑な作業( 蛹を固定するための糸掛け )が出来るのだろう? 」

と、思ったのがきっかけで調べたのだった。

ああ、種として生きているのだな。
命を、記憶を繋いでいるのだな、と 尊敬の念に堪えない。

上手くいかない時、つらい時、どうしても自分にフォーカスを当てすぎてしまう。いけない いけない。

自分ばかりにならないよう、人間の私も見習わなければならない。

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視野を広げること、思い出させてくれたバッタくん、ありがとう。

小さな体、5ヶ月ほどと言われる短い命、偉大だ。

あたたかい季節に、また 新しい君に会えるのを楽しみにしています。


※ 最後の写真は 2020年10月3日 | 畑 と ピザ生地 ( 京北2日目 ) より



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