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コトバは時に政治的~ワークショップ振り返り

※このテキストは、2022年7月6日に私のFacebookで投稿した内容をnoteに転載しているものです※

今日は、誰もが文化でつながる国際会議 Creative Well-being Tokyo の一部で開催された「インクルーシブ・シアター・メイキング・ワークショップ」に参加してきました。

あえて言葉を選ばずに言えば、健常者と障害者の垣根を越えて演劇やアートの手法を用いて即興劇を作るワークショップ。

どんな場になるのか全く分からなかったのけれど、コロナを理由に出不精になっている私の凝り固まった身体を解きほぐす良いきっかけになるのではないかという想いがあって「エイヤッ!」と勢いで申し込んでみました。

会場には、シンガポールから来日したディレクターとそのスタッフ、そして10人程の参加者がいました。中には、麻痺のある人、聴覚障害のある人、視覚障害のある人、学習障害のある人などスペシャルニーズを持った参加者と、ニーズが顕在化されていない参加者がいて、ワークの中でペアを組んだり、全体で動いたり…。4時間かけて、互いのコミュニケーションの特性を学びあいながら、徐々に打ち解け合って、最後は身体やオブジェクトを使った一つの即興劇ができていたという不思議な体験でした。

英語と日本語と手話とボディランゲージが混じりあいながら、最年少10才~おそらく50代まで、様々なバックグラウンドの人達と、身体を触れ合ったり、踊ったり、交流する機会はとっても刺激的。

なかでも、私たち「健常者」は、目で見る情報、言葉で伝える情報、耳から入る情報に過度に依存しているのだという偏りを、聴覚障害、視覚障害、知的障害がある人とのコミュニケーション様式の違いを目の当たりにすることで、改めて実感しました。

声を出して話すよりも手話のほうが表現しやすいとか、目からの情報がないので身体に触れて教えてもらうのがいいとか、感覚過敏だからサングラスを常につけていたいとか…。

特に聴覚障害の方が話者・手話通訳とやり取りする様子を見聞きして、同じ意味を扱うにもインプットの手段とアウトプットの手段や処理の方法が複数あって使い分けているんだということが良く分かりました。

五感というのは、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の事ですが、健常者が視覚と聴覚に大きく偏っているとすれば、障害者は五感という言葉では足りないぐらいの多彩な感覚をフル活用しているんですね。

また、ディレクターが言った言葉で印象的だったのが「コトバは時に政治的だ」というもの。

これは「言語 language」や「言葉の意味 meaning」というより「音声を出して伝わるコトバ voice」を意味していたと思いますが、私たち健常者はメジャーなコミュニケーション様式を扱うというだけで政治的であり、障害者はそれぞれが持つ障害によってオルタナティブなコミュニケーション様式を用いる点で、政治的に妨げられているという風に受け取りました。

スペシャルニーズを持った人達のそれぞれの特性やコミュニケーション方法を重視した広い意味での「政治」へのアクセスの仕方とは何なのでしょう。「選挙にいって投票したから政治に参加できている」とかいう話ではなくて、「聴者と聾者の間にあるコミュニケーションバリアを超える議論の主導権をどちらが多く握っているか」みたいなレベルでの政治性をどう考えていけばいいのでしょう。 

今回の参加者の方の中には、後天的に障害を得た方々もいらっしゃいました。私もいつか障害を得る立場になるであろうわけなので、今からコミュニケーションの偏りをなるべく開放して、複数のコミュニケーション手段、IN/OUTや処理の方法を持っておきたいなと思った次第。

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