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アメリカのディズニーで働きたい夢 〜スマイルのはなし その2~

はじめに

If you can dream it you can do it.
(夢見続けることができれば叶えることもできる)
私が好きなウォルトのこの言葉。実はとても深いのです。
夢を見るのは自由です。でも周りに左右されずに夢をしっかり見続けることは信念と夢を引き寄せる力が必要な時があります。
スマイルのはなしのその1は、私がアメリカのディズニーへの切符を手にするまでの話でした。
その2は期待を胸に渡米後、米国三越勤務を経て、どのようにディズニークルーズの仕事にたどり着けたかの話です。
注意:今から話すことは私の個人の体験ですが、
私は包み隠しませんので、もし繊細な方であればこちらの記事はスキップしてくださいね。なるべく柔らかく表現しています。

では、「私の場合のはなし」を始めます。

いよいよ渡米!

渡米直前まで、お金を貯めていました。
広島のディズニーストアソレイユ店では、
店長やリーダーの方々はとても親切にディズニーフィロソフィーを教えてくださいました。
広島から自分のお店から海外ディズニーで働く仲間がいるということにお店全体が興奮して下さっていて、本当に最後の最後まで温かく接してくださいました。
同時に、駅前のホテルの和食のレストランを掛け持ちし、
和食の基本を学び、着物の着方も身につけました。京都に旅行に行き、紫宸殿の見学もしたり、充実した準備をし、期待いっぱいで過ごしていました。

大阪領事館でのVISA面接も済まし、三越からWelcomeパッケージも届き、いよいよ渡米です。

届いたWelcomeパッケージ。

米国三越のプログラムとは?


米国三越のプログラムは、
「Cultural Representative program(略してC R)」と言います。

このプログラムは、Q1ビザという文化交流のビザで、ビザ発行から最大15ヶ月間の期限のついたアメリカ就労許可のビザになります。
ただしこのQ1ビザは、文化交流に従事した部門での仕事に限定されるので、ウォルトディズニーワールド(WDW)では、Cultural Representative Programに参加できるCRの米国三越、またはゲストリレーション(現在は募集停止)、EPCOTのKidcotの日本ブース(Kidcotは日本のホテルスクールなどから雇用されているイメージがあります)で働けるビザとして限定されています。
Q1ビザで例えば文化交流に関係のないアトラクションキャストなどはできません。
(Disney springsのパティナグループのレストランのモリモトでもQ1ビザで仕事ができるようですが、モリモトの場合はディズニーのCRプログラムではないため寮やイベントなどのCRプログラム限定ベネフィットが受けられません)

アメリカにはカナダなどのようにワーキングホリデーがありません。
だからアメリカで就労ビザが発給されるこのCRプログラムは日本ではとても魅力的なものなのです。

このCRプログラム参加者はどんな人がいたかというと、
1.ディズニーのことは全く無知だけど絶対アメリカ住みたい、アメリカで働きたいから申し込んだというグループ
2.ディズニーキャラクター、パーク、ディズニー映画のファンだからと申し込んだグループ
3.元東京ディズニーキャストでアメリカのパークでも働いてみたかったグループ
4.働きながらディズニーのサービスを学びたいから申し込んだというグループ
と、大きく4つに分かれていたかなと思います。


一番最後のグループ「ディズニーでサービスを学びたいから申し込んだ」は私です。かなり少数派でした。
プログラム参加者の目的はかなり幅広いと感じていましたが、
この目的次第でプログラムをどう捉えて過ごすかが180度変わります。
特に1と2の方々は仕事以外が目的なのでプログラム参加自体が既に目的達成になりますが、3と4の人は仕事自体にも目的を期待しているから視点をどう変えていくかが滞在中に必要になってきます。(後ほど説明します)

こんなにさまざまな目的で挑む人たちの集まるプログラムですが、幸いに鉄板江戸サーバーチームはみんないい子ばかりで、毎日笑って過ごしていました。
キャストイベントや寮のプールパーティーに一緒に行ったり楽しい思い出がたくさんあります。

オープニング前に着物ミニーちゃんと。


衝撃の厳しい一言

米国三越の新人研修で自己紹介の時間がありました。
私は日本人の前で英語を話すのがすごくすごく苦手です。
今だってとある外資企業で働いていますが、日本人含む会では英語で話すのは極力避けたいくらい私にとっては恥ずかしいことなんです。
(そんな方、きっと他にもいらっしゃると思います、日本人以外を前にすると普通に英語で話せるのに、日本人に英語で話しかけるっていう図が私には無理なの。なんか完璧を求められてる気がしてならないっていう固定観念で…ビビリなんです)

それなのに、入社時の研修で日本人しかいない会の中、なぜか英語で自己紹介をするように指示がありました。

当時20代前半だった私は内向的で、本当は自己紹介でこのように言いたかったのです。
「私は日本からアメリカのディズニーのサービスを勉強するためにきました。三越のプログラムを卒業したら、ディズニークルーズラインでレストランのサービスの勉強をして日本に帰りたいんです。」

これを….言いたかった。
ただ….緊張して声が震えて、頭は真っ白になり、全くうまく伝えることができませんでした。

そこで….
三越のマネージャーより、忘れることのできない厳っしい言葉をかけられます。

「あなた、よくその英語力でアメリカにきましたね。
ディズニークルーズで働くのは無理でしょうね。」


なぜ、そんなにどストレートに断言されたのかいまだに謎なのですが、当時私は若かったですし、しかも大勢のみんなの前でそのように評価されたこともとてもショックでした。
入社してすぐの自分にとっては大きな事件。

他のプログラム参加のメンバーは流暢に緊張もせずペラペラと英語で自己紹介をされているところ、私は全く持ってプレッシャーに追いやられ、Day1から完全なる失敗をしてしまったのだと思ったのです。

そっか…自分は英語は話せないから夢を叶えることができないんだ。

重いトラウマはここからどんどん膨らんでいきました。

私はなぜかマネージャーから、最初の研修期間に分配チップの%を下げられるというよくわからない査定もされていました。
(これほんと、なんでだったのかよくわからないんですよね…今はそんな理不尽なことがないことを祈ります。今後の参加者のためにぜひ頼みます、三越さん…)

ただその時のショックな感情は、のちにとてもいい経験になったのです。
なのでその厳しい言葉にはとても感謝しています。
物語に簡単に王子様が来るだけじゃ話は盛り上がりませんし、
ヴィランズがいるからキャラクターは強く逞しく勇敢に立ち向かえるようになると私は思っています!でしょ?

この発言で私は目覚めました。

そうか、私はディズニーキャストになるのではなく、三越の契約社員になったのだと思い知った出来事でした。

「ディズニーのサービスが勉強したい」と思って渡米したものの、私が受ける研修は、日本の三越のアメリカ支店の社員研修であって、ディズニーサービスの研修ではないようだ。
ディズニーのマネージャーであればそんな悲しませることをキャストには絶対言わない気がする。ディズニーのマネージャーであれば私の夢に力を貸すアドバイスをしてれるはずだ。
そっか、思っていたものと違うのかもしれない。

そうなんです。
建物はアメリカのディズニーワールドの中にはあるしディズニーのネームタグは与えられているしディズニーの寮にも住めるものの、三越という日本社会の中の社員として働くプログラムであるということがあまりプログラム参加前はわかっていなかった部分がありました。

そして、この考えが浮かびました。

絶対に私はこの三越プログラムだけで終えて日本には帰らないぞ。
私がやりたいことはディズニークルーズなんだから。
そのための1年を過ごさないといけない。
この三越レストランで収入を得ながら、仕事以外の場所でディズニーのサービスを勉強しよう!

そして、
今振り返っても、それはとっても正しい判断だったと思う。
あの時、厳しい一言を言われ疑問を持たなければ、自分の目の前に起きていることや環境を客観的に理解できなかったと思います。

私はこの15ヶ月プログラムを一生懸命、自分のディズニークルーズへの夢にフォーカスを当てるようにしたのです。

レストランはスケルトン工事中


私たちは三越レストランの25年ぶりのリニューアルオープンチーム2007年夏組でした。(そうなんです、夏っていうのがあったんです)

しかし、渡米すると….
オープンするはずのレストランは絶賛スケルトン工事中。

レストランの場所には何もない状態でした。骨組みしか見えません。
なんと、6ヶ月も遅れてのオープンとなったのです….
まさかのプログラムの半分は闇の中...

プログラムのうち半年は仕事がありませんでした。

何をしていたかというと
1Fのショップの店の玄関前に1日中たち、
笑顔で、

「いらっしゃいませ、Welcome to Japan」

と、
ロボットのように同じセリフをひたすら言い続け、傾90度、10秒間のお辞儀を繰り返しました。1日中です。夏です。

そう!ちょうどIt's a small worldの人形がお辞儀している感じでした。実写版。

バックステージでは、ひたすらプレゼント用の折り紙を折り続けていました。

半年、ゲストと触れ合う機会はほぼなかったのが現実でした….

が、その分、仕事以外の時間は、目一杯遊びました!
イベントいっぱい行きましたよ!本当に楽しかった!

そう!仕事は三越で、三越の契約社員ではありますが、ディズニーのプログラムとして提携していました。ここが大きなメリットです。
ディズニー雇用のキャストと私たち三越のキャストIDは色で区別されていて、
三越のIDはParticipant(協賛会社)と言う緑色のIDが提供されていましたが、ディズニーの寮に住むことができたり、キャストメンバー向けのイベントにも限定的に参加させていただくことが許可されていました。

EPCOTのキャラクターフィグメントと。
レストランオープン前までコスチュームがなかったため、
ヤキトリハウスコスを着続けた。

レストランの研修と台本


三越レストランでは、
あらかじめ用意した「決められた英語の台詞(台本)」やポーズ、
決められた出番のみでの台詞の発言だけが許されており、
統一し一貫したサービス提供が絶対的だったために、個人的な話をゲストとすることはあまり許されておらず、できませんでした。

例えば、
Where is the restroom?(お手洗いはどこですか)
と聞かれたら、必ず、
restroom is in this direction. (レストランはこちらです)

と手にしっかりと角度をつけてビシッと方向を示す。
という統一したジェスチャーをしなくてはいけませんでした。

個人的に、all the way down to the right, please follow me. (まっすぐ言って右ですよ、私についてきてください) とゲストに伝えた日にはマネージャーから怒られました。
(このRestroom is in this directionは毎朝朝礼で全員で行われます)


レストランの仲間はフレンドリーでみんないい子たちばかりだったのでそれなりに毎日楽しかったのですが、仕事としてはロボティカルな仕事で私にとっては不完全燃焼な仕事をしている感がありました。
広島のレストランではお客様の好きな趣味の話をしたり好きな飲み物についても提案したり、自由に話すことができた。
そうか。
あの頃、日本の広島のレストランでお客様と自由に会話してもいいよと許されている環境は本当は日本文化の中ではとても特別な空間だったのかもしれないともあらためて気づいたのです。

私は米国三越の経験について、
「WDW(ディズニー)のキャストをやっていた」とは人には話しておらず、
「米国三越で仕事をした」と話しています。
そのくらい、
私にとって、お仕事としてディズニーキャストとは自分自身を呼びたくないと考えていました。ディズニーのネームタグはあってもこの仕事はディズニーの本来のエモーショナルコネクションのあるホスピテリティのサービスではない!違う。
ザ・日本のデパートを体現できる場所が日本館としての立場なんだとも思っていました。

今思えば、三越レストランは日本の社会を忠実に再現している、ある意味本当の日本のサービスだったのかもしれません。

鉄板江戸にて。

でもね、これは私個人の体験。
きっと他の方々は楽しいプログラムを過ごされていたのだと思います。
言われるままにマニュアルに沿って仕事をすることがお好きな方もいらっしゃるでしょうし、基本そのように過ごしていれば高評価を得られる会社です。ご安心ください。
プログラムを終了してもまた再度戻ってくる方もいらっしゃいますので、仕事内容が合う方もいらっしゃるのだと思います。
クリエイティブにサービスを考えたい私には合わなかっただけなのであまり深く考えないようにしてくださいね。

いや、本当にあまり深く捉えすぎないようにしていただければと思います。この記事ではどう気持ちをDCLの面接まで準備を重ねる思考に切り替えたかにフォーカスを当てて書いているためです。

お願いね!よし!


ショックから立ち上がる!

仕事の中身に私はショックを感じていたため、割り切って、「米国三越は収入源を得る場所!」と考え始めました。
三越でお金を稼ぎながらそのお金を使ってディズニーワールドで生のサービスを自ら学びに行くと言う方向性に切り替えたのです。
これが早い段階でできてよかった!とても正しい判断だったと思います。

米国三越の仕事で得たお金はディズニーワールドのパーク内のレストランのサービスを勉強するために食事に全て使いました。
テーブルサービス、カウンターサービス、ブッフェ、いろんなタイプのレストランのサービスを見たくてとにかく食べ続けました。
パークだけではなく、ホテルのレストランもほぼ全部、サービスを受けにいきました。
アメリカのレストランでのサービスの方法、また他のテーブルをサービスするときのゲストの反応、そういうものを肌で感じる必要があると思ったのです。

完全にレストランオタク化していました。周りはドン引きしてたかもしれない。イベントも可能な限り毎回通いました。

プログラムは1年あるので、この1年というタイムリミットの中でできるだけたくさんのことを仕事以外の時間で学んでいくことにフォーカスを当てて過ごしていました。
WDWのレストランで1人で食事をし、その時に学んだことをメモしていきました。

必ずレストランのサーバーには、
「私は日本からディズニーのサービスを勉強しにきている。
だからサービスを教えてほしい。」
と話していました。

すると、
キッチンの中を見せてもらえたこともあるし、ワインを無料で飲ませてもらえたり、ワインの教則本を無料でいただけたこともありました。
名刺もたくさんいただいた。
そしてのちにディズニークルーズで働いた時にも、ゲストで遊びに来ているWDWのシェフやキャストさんは私のことを覚えてくれていて話しかけてくれたりました。
感動したサービスがあれば、なぜ感動したのかを常に考えながら過ごしていました。

可能な限り、
その学びから得た自分で考えたサービスを、三越レストランでマネージャーに気づかれないように隠れてコソコソ実践してゲストの反応を見たりしていました。←反乱者
気づかれて怒られちゃいましたけどね… 本当ごめんなさい…


フロリダのWDWの情報だけでは足りないと思い、
1人でアナハイムのディズニーランドにもいきました。
当時、やまぶきという和食レストランがパラダイスピアホテルにあったのですが、
私が1人カウンターに座り、
ディズニーのサービスを勉強したくてアナハイムに来たと話すと、
お腹がいっぱいになるまでお寿司を出して下さったのはすごくすごく忘れられない暖かい思い出です。

「これは食べると夢が叶うお寿司ですよ。どうぞ。」

あの時のやまぶきの皆さん、本当にありがとうございます。
同じ日本食のディズニーのレストランでもこんなに暖かいサービスもできるんだとものすごく感動し、勉強になったものです。
(今はこのレストランは無くなりました)

旧パラダイスピアホテルのレストラン山吹にて。
オレンジのミッキーもデザートに出してくださいました。


ルームメイトの存在


確かに私は英語は流暢に話せていなかったと思います。
ただし言葉は完璧でないものの、積極的にコミュニケーションをする力はぐんぐんと伸びていきました。
よく日本でもTOEIC満点をとっている方がいらっしゃいますが、英語の知識はあっても、それを実用的に国外で文化を理解しながらコミュニケーションができる方はそう多くないように思います。

幸運にも私は、寮のルームメイトに恵まれました。
彼女たちからいろんな国のサービスや考え方を学ぶことができました。

彼女たちのおかげで、私の日々の生活は本当に本当に楽しいものでした。
仕事の中の日本社会から抜け出して、
寮ではルームメイトのそれぞれ料理したものをテーブルを囲んで毎日話をすることがとっても楽しかった。

みんな母語は別にあり、英語のネイティブスピーカーではなかったので、独特の話し方をします。
相手が自分の英語を理解していなかったら、別の表現や例を用いて話を進めていき、より深いところまでお互いの話を少しずつ理解しながらコミュニケーションができるのです。
文化的背景の説明なしには話が進められない場合は、必ず補足の話を前置きしてから話し始めます。
ネイティブの英語を話す国の人はこういったコミュニケーションの大事な部分には気づけないことが多いと感じています。

言語力=コミュニケーション力 では決してないからです。

私はこの環境があったから、自分の話す力や情報を収集する力を伸ばすことができたと思っています。

そして彼女たちはそれぞれ明確な目標があってディズニーのプログラムに参加していました。
イタリア人のメラニアは世界で一番のソムリエになると毎日ワインを勉強していました。彼女は今イギリスでとても有名なミシュランレストランでトップソムリエになっています。
フランス人のミレンは彼女の生まれ故郷の家族に会いにいくために貯金と捜索を毎日インターネットでしていました。彼女も今は家族に会えてとても幸せそうです。
ブラジル人のマリアナは、カレッジプログラムを経て、いつかゲストリレーションズでツアーガイドをやりたいと、インターナショナルプログラムで戻ってきた子でした。彼女も毎日膨大な量のツアーガイドの手引きを勉強し、エプコットのセグウェイツアーのガイドになりました。

ほらね、みんな英語が母国語ではなく、完璧ではない。
だけれど夢をみんな叶えているんです。


こんなふうに毎日私たちは夢を見て、それを毎晩語りながら一緒に大きなダイニングテーブルを囲んで食事をしていました。
こんな素敵なルームメイトに誰もが会えるということではないかもしれません、私はとてもとても恵まれていたとも思っています。(他の三越の同期の子からはルームメイトトラブルも聞いていたので私はラッキーだったとも思いました)

仕事終わりに寮のダイニングテーブルにて、みんなで乾杯。

ゲストリレーションズで働く友達も沢山作ったので、
三越の人が参加できないサービス研修やイマジニアリングの方の講演会やバックステージツアーにも参加することができました。(ホーンテッドマンションのバックステージツアーはとっても楽しかった!ウォークスルーツアーだったの!!!)

当時、仕事の合間に欠かさずパークに行っていたから、同じ三越の同僚は私のことをディズニーについてクレイジーなオタクだと思っていたと思います。
でも、
このプログラムだけでは終えたくない。
私はディズニークルーズで働きたいんだから。
という強い信念があって行動していることだったとはあまり知らなかったのではないかと思います。

私も特に職場の渦の中で夢を叫ぶことはしませんでした。
不思議だけど、広島では自分の働く場所で自分の夢をみんなに語っていたけれど、三越では私はごく少数の人にしか語らなくなってしまっていました。

でも、日々ルームメイトのおかげで笑顔で過ごしていました。ルームメイトの前では夢を語って、お互いの夢を応援し合っていたのは大きかったです。
10年以上経った今でもルームメイトとは定期的に連絡を取り合っています。

逆に、ルームメイトとは全然交流をせず、三越の仲間だけで休日を過ごす方もいましたし、いろんなアメリカの都市に旅行三昧されてアメリカ滞在を満喫されている方もいました。
つまり、この三越のCRプログラムはそれぞれ楽しみ方があり、大変魅力的です。

まとめると米国三越のプログラムは、
特にディズニーがすごく好きという方でなくても参加されている方もたくさんいらっしゃいましたし、どんな方でも参加ができます。
他の国の人と文化交流をする寮でのシェアハウス生活や、
フロリダのパークには何度でも行き来ができるというIDもあり(ただし制限もある緑色のID)、
(他のディズニーパークは年間4枚分無料チケットがもらえます)
その人次第で様々な方向性で貴重な体験のできるプログラムなのです。


ディズニークルーズの募集がない


CRプログラムも終盤になり、私は焦っていました。
三越雇用の私は、ディズニーのWebシステムであるHUBにアクセスする権限がありませんでした。
そのため最新の情報を手に入れるためにはディズニー雇用の友達に情報にアクセスして読んでもらうか、EPCOTのキャストエリアの掲示板に情報がないかを毎日見ることしかできませんでした。

その頃、別の寮でカレッジプログラムをしている友達で、ディズニーシステムにアクセス権を持つイタリア人のステファノと仲が良かったので、
ディズニークルーズの募集が出たら教えてほしい!と彼に言い続けていましたが、なかなか募集はきません。
プログラムを終了し、帰国しなくてはいけない日がどんどん近づいてきます。
(ちなみにディズニークルーズにはこのEPCOTのCRプログラムが終わるまでに応募と合格とbackground checkを済ませておく必要があります。またその3で話しますね)


ある日、ステファノが、

大変!もうディズニークルーズの募集は締め切ったんだって!
もう説明会は先週終わってしまってて、それに説明会の参加は応募の必須事項になってる!

と言い放ちました。。。
えーーー嘘でしょお。。。

でもイタリアンなステファノは、説明会は行ったことにして強制的に応募する!と履歴書を送りました。ブラーバ!ドヤ顔。

私は、嘘をつくのは後々問題になると思い、正直に….

「自分は日本にいた頃からディズニークルーズで働くことが夢でフロリダに来ました。
説明会には参加できなかったけれども、可能であれば面接の機会をいただけないでしょうか。」

と説明をいっぱい添えて、メールを送りました。

すると、返事がありました!
履歴書はOKでした!

わあああ。。。なんてラッキーなんだろう!書類選考が通ってしまった!

そこからまた、面接までの準備が必要になります。

あーどうしよう!

さてさて!
その3は…いよいよDCLの面接です。


おわりに

夢の渡米で、いきなりショックなことに直面しましたが、その事に惑わされず自分を信じてこれたことは、やはりあの時の広島での出会いや応援があったからだったなあとあらためて今感じています。
それでいて、私なりにいかに1年のプログラムを充実なものにしようかと一生懸命だったことも思い出す。
そして、今だからこそ思うのですが、なりたい自分や叶えたい夢は周りに話すことも大事で、話すことによりたくさんのつながりを引き寄せてたくさんの知識をえられます。その知識は夢への自信にもつながるのです。

辛くってもいつも笑顔にしてくれるルームメイトたちの存在が本当に心強かったんだなあと当時の日記やメモを読み、ポカポカしてきました。

次回はDCLの面接からDCLに乗船するまでの軌跡をその3でお伝えしたいと思います。お楽しみに!

その3へ続く

サポートをお考えいただきありがとうございます。 これからも楽しい記事をかくためのモチベーションとして大切にお気持ちを受け取らせていただきます。