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2023.11.10.fri. 球根をつつむ

雨が降り、ひんやりとしてきて、過ごしやすさから少しづつ遠ざかっていく。秋から冬に差し掛かる空気を頬に感じる。少し前まで涼しいと口にしていたのに、寒いに言葉が替わって行く頃、水耕栽培用にヒヤシンスの球根を買う。もう10年は続けていると思う。秋から春のお楽しみで開花がスムーズで1つの球根から2本茎が生え、各々に花がつき咲いたこともあれば、全くの不発に終わることもある。先日、早めに購入したものの、そのままになっていたから、今日の冷え込みと共にアルミホイルにひとつづつ包んで冷蔵庫に入れた。

子供の頃からお花は迷いなく大好きでも、屋内に人が連れ込んだ植物の存在は大袈裟にいうと生死があるから、たまに複雑な気持ちにもなる。
その たまに、は、部屋にある植物に水やりする時、切り花を買った後に水換えする時や、水換えをしていたものが萎れて捨てることになる時、そして水耕栽培のために冷蔵庫に入れる時、のタイミングが多い。

いつ、どこに、どう咲いても、生物としての寿命は、いずれ訪れるコントロールの叶わないものなわけだけれども、できたら、少しでも長く、綺麗に、穏やかに最期を迎えてほしいと願う。なんだか、人と変わらない。

植物を育てようとした時に、どのように育つのかを調べる。どんな温度が好ましいのか、日当たりはどれくらいが良いのか、土は、湿度は、水やりの頻度は、害虫がつかないようにするには、様々な条件をベストにしてあげたいと思う。育てたことはないけれど、人もきっと近しい。普段気に留めず、ただ生きているけれど、今までの人文知がおおよその、こうすると良いという方向性を持っている。適温、睡眠は何時間、食事は何食で栄養学からこんなものを食べて…
生まれたての赤子には、最適解を用意して父母が何もできない子のために全てをこなそうとする。

コンビニでおやつにチョコレートを買った日。お仕事で会った幼い女の子に、お母さんが『お腹すいたの?食べる?』と言って、間食用に用意していた竹のお弁当箱を取り出した。中には、おにぎりと茹でたお芋と苺が用意されていた。その光景をみて、蔑ろにしていいことなんて本当はどこにも無いのに、まぁいいかと済ませがちだなと気付いて、私には子どもはいないけれど、自分の娘にするようにという感覚で、自身に接することができたらと思った。

約1ヶ月後、冷蔵庫から取り出す予定のヒヤシンス。
ベストコンディションを与えてあげられたらいいな。春の開花に今から思いを馳せている。

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