見出し画像

山のふもとの裾模様

美容学校に通いはじめて丸1年。
わたしは2年生になった。

先日、着物について勉強していた時に「裾模様」という言葉を覚えた。裾模様は、着物の裾部分にのみ絵柄が入ったデザインで、既婚女性の第一礼装である「留袖」の総称でもある。
江戸時代には着物全体に柄が描かれた「総模様」だったが、やがて華やかな帯とのバランスを考え、裾のみに絵柄が施されるようになった。

秋の夕日に照る山紅葉
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓や蔦は
山のふもとの裾模様

渓の流れに散り浮く紅葉
波にゆられて離れて寄って
赤や黄色の色様々に
水の上にも織る錦

高野 辰之 作詞 "紅葉(もみじ)"

小さい頃から、何度も聞いていたもみじの歌。
この歌の描く情景が、突然いきいきとした色を伴ってわたしの頭の中に浮かんできた。

1年中緑の葉をつけている常緑樹の松。
その松が生い茂る深いグリーンのふもとを、赤や黄色に色づいた楓や蔦が飾っている。
その様子を、着物の裾模様のようだと歌っている。
なんて豊かな感性なんだろう。感動した。

こんな風に、大人になってからの勉強は、これまでの経験と新しい知識が結びついて、理解できるものごとの幅が広がる楽しさがある。


もう1つ、新しい自分を発見する楽しさがある。

わたしが通っている学校では、作りあげたものを「作品」と呼ぶ。国家試験課題の、先生に教わった通りに作った、なんのクリエイティビティもないヘアスタイルでも作品と呼ぶ。

作品の質を上げるために、わたしは努力を惜しまない。少しでも美しく仕上げたい。
ヘアスタイルを作る相手はマネキンなので、「相手をキレイにしたい」「喜ばせたい」という気持ちではない。まるでアーティストかのように「自分の作品をできる限り完璧に仕上げたい」と願う。

これは意外なことだった。
面倒くさがりで、なんでも早く終わらせたいわたしに、こんな一面があったとは。
わたしは表現することが好きで、作品を通して自分の美意識を表現しようとしているんだと気づいた。


わたしが愛するコスメやメイクは、膨大な化学と理論と技術の上に成り立っている。
学校では、資生堂で研究開発をしていた先生方が化学を教えてくれるし、サロンに立ちながら教壇に立つ実技の先生方が惜しむことなく生徒にフィードバックを与えてくれる。

この年齢で学ぶことには、それなりのしんどさもある。1番は、体力。立ちっぱなしで7時間の実技は言うまでもなくつらいが、座学でも首や肩が痛むのには閉口した。

何年か前のわたしのように、学校に行くかどうか迷っている人がいたら伝えたい。
何歳になっても遅すぎることはない。
でも、早ければ早いに越したことはない。
学ぶ意味なんて後からついてくる。
学びたいことを学ぼう。学ぶことは楽しい。

TOEICを猛烈に勉強していた頃、ある日突然、流れてきた "Under the sea"(ディズニーのリトル・マーメイドでエビのセバスチャンが海の素晴らしさをアリエルに語る英語の歌)の歌詞がすべて理解できて感動したことがあった。
それと同じように、もみじに歌われる景色に新鮮に感動したことを、わたしはずっと忘れないと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?