【小説】烏有へお還り 第31話
第31話
『どうしてこんな風に育っちゃったのかしら』
母の呆れたような声に、由利香は顔をひきつらせた。制服の中に手を差し入れ、ぐうっと痛む腹に手を当てる。緊張したり、ストレスを感じたりするといつも腹が痛む。
『あっちの家に似たんだろ』
祖母が鼻を鳴らした。父の顔が浮かび、腹の中がカッと熱くなる。けれどもここでなにか言い返すと余計に長引いてしまうと思い、我慢した。
『運動もできないのにね』
母がため息をついた。強調された『も』という言葉が、痛む腹を鋭く刺した。
いつもそうだ。なにか一つ母を失望させると、すべてにおいて否定されてしまう。
けれども、それは自分が悪いのだから仕方がない。泣いたり傷ついた顔をすれば、そう言われて余計に叱られるだけだ。
『由利香は可愛い可愛いお姫さま』
『目がぱっちりして、お人形さんみたいね』
機嫌がいい時は、母はそうやって褒めてくれる。欲しいものは買ってくれるし、由利香にベタベタ触れてくる。
けれども由利香が思い通りにならないと、執拗に攻撃される。
幼い頃は、トラウマになるほど何時間もベランダに出されたり、押し入れに閉じ込められたりした。今はその代わりに、過去にしでかした失敗まで持ち出され、人格を否定するような言葉を並べられる。
「わたしが悪いんだ」
年の離れた弟は由利香ほど叱られない。頭もいいし運動もできる。要領もいい。
『こんな成績じゃ、恥ずかしくて近所に顔向けできないわよ』
『運動会は気が重いわ。どうせ人前で恥をかくだけだもの』
必死に勉強しても、頭が悪いのは自分のせい。運動神経が悪いのは自分のせい。
『消えてしまいたい……』
中学生の頃が一番つらかった。家にも学校にも、身の置き所がない。それでも、母に反抗することなど、到底考えられなかった。
『やっぱり、ろくでもない男を連れてきたわね』
けれども、夫を親に紹介した日の夜にそう言われて、初めて心の中でなにかが弾けた。
この人と幸せな家庭を作ってやる。わたしは母と同じにならない。子供を心から愛する、優しい母親になる。本気でそう思った。
それなのに───。
子育てをしていて、心に余裕が持てない。思い通りにいかないと心が波立つ。
『ほら、やっぱりその程度なのよ、あんたは』
母の声が、どこからともなく聞こえてくる。
要領の悪い長女を見ていると、まるで昔の自分のようで苛立つ。感情的になって、自分をコントロールできなくなる。
『あっちの家に似たんだろ、この子はなんの取柄もないもの』
祖母の声も聞こえる。
そもそも、子供を心から愛するって、どうやればいいの。
家に閉じこもって育児をしていると、忘れていたはずの過去の傷がフラッシュバックする。そのたびに、子供を道連れにしてこの世から消えたくなる。堪えるだけで精いっぱいだ。
『柚果がね、学年で十番に入ったの』
『大翔がスタメンに選ばれたの』
それなのに、子供のことで喜ばしいことがあれば、実家に電話してしまう。まるで、親を失望させるばかりだったかつての自分を取り戻そうとするように。
『あら、すごいじゃない』
母に認められると、満たされた気分になる。
『でも、公立の中学での話だからね』
『ずいぶん人数の少ないチームなんでしょう』
けれども、母の余計なひと言で、最後は嫌な気持ちで終わる。
ちゃんと育てなくちゃ。恥ずかしくないように。どこへ出しても自慢できるように。
焦って、また感情的になって、叱りすぎる。子供たちの寝顔を見ていると、涙が止まらない。
こんなわたしが、母親になんてなるべきじゃなかった───。
『大翔!』
救急車の音。人だかり。ざわめきが聞こえる。
『最近、ずっと学校へ行っていなかったんですって』
『それにしても飛び降りなんて。家庭にも問題あったんじゃない』
こんな、わたしなんかの元に生まれてきたから。
ごめんなさい……。
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