【小説】コトノハのこと 第11話
第11話
その夜、夢を見た。
冬の寒い夜だった。冷たい廊下に正座する母の隣で、裸足の足をこすり合わせる。
玄関が開き、父の姿が現れた。黙ったまま差し出される外套とカバンを母が受け取る。
「お父さん、見て! 僕、学校の将棋大会で優勝したんだよ」
小さな賞状を差し出した。教科書の間に挟み、折れないように大切に持って帰ってきたものだ。
しかし父は一瞥もせず私の前を横切り、廊下の奥に向かって大股に歩いて行った。母が追いかける後ろから私もついていく。
「僕がクラスの代表だったんだ。二組の坂井はまあまあで、五組の今橋っていうやつが特に強かったんだよ」
箪笥のある西の和室で父が背広を脱ぎ、母が受け取ってハンガーにかける。
「途中まで追い込まれて危なかったんだ。でも、時間がなくなってさ」
一分将棋になった途端、相手が焦り始めたのか、指し手が狂い始めた。凡庸なミスを見逃さず、渾身の一手を繰り出した──夢中になって子細を説明しているうちに、父は母が広げる部屋着に袖を通していた。
「ね、それで勝ったんだ」
丹前の帯を締め終えた父がこちらに顔を向ける。もう一度小さな賞状を掲げると、父が言った。
「お前は男のくせにしゃべりすぎる」
そのまま部屋を出て行く。母が私にちらりと視線を投げかけたが、父を追いかけて食卓へ向かった。
手の中の賞状に目を落とす。よく見ると、色画用紙に手書きされただけのつまらないものだった。足の指先はすっかり冷たくなり、痛みすら感じない。自分はもう少年ではなく、これは夢だと気づいたら、目が覚めた。
次の日、私はただのひと言も発することができなくなっていた。
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