【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第4話
第4話
ピーンと勢いよく弦を弾くような音に心臓を射抜かれ、文字通り飛び上がる。スマホが受信を告げていた。
洞窟や銀色の月明りは瞬く間に消え失せ、代わりに小さなアパートの部屋が現れた。テーブルの上には、箸を乗せた食べかけのコンビニ弁当が置いてある。ひらめいたイメージをひとまずメモしておこうとパソコンを開いたのは、そういえば食べている途中だった。
LINEの送り主は実家の母だった。
『あんた、お正月には帰ってくるんでしょう?』
たったそれだけの短い文章が、心に重く響く。
『まだわからない』
入力した文字を、思い直して消した。代わりの文字をタップしかけたが、結局なにも返信せずに画面を閉じた。ノートパソコンに向き直ったが、頭の中の世界に想いを凝らすことができず、諦めて閉じた。
箸を手にし、もう片方の手でリモコンを操作する。突然テレビが騒がしくしゃべり出し、たまらず音量を下げた。笑い声が遠ざかる。
子どもの頃から本を読むのが好きで、気づいたら自分でも物語を書いていた。小さい頃はそれを褒めてくれた母は、中学生になる頃から次第に渋い顔をするようになっていた。
理解されなくてもかまわない。反発心からそう割り切って、創作について話すことはなくなった。母から尋ねてくることもない。
本音を言えば、母には応援してもらいたい。そのためにはまず結果だ。結果さえ出せば、母を喜ばせることができる。
そんな気持ちから、つい半年前にこんな連絡をしてしまった。
『文学賞に応募した作品が、最終選考に残ったの!』
完全な勇み足だ。けれども有頂天になっていた。誰かに伝えずにいられず、思いつく相手は母だけだった。
『へぇ、すごいじゃない!』
母は最初、そうやって喜んでくれた。しかしすぐに話題は逸れ、
『あんた、そんなことよりも誰かいい人いないの?』
お決まりのパターンになった。それでも、そこまでならなんとか耐えられた。
『こないだ高崎のよっちゃんから教えてもらったんだけど、あんた、マッチングアプリっていうのやってみたらどうかって』
わたしより年下の従妹はとうに結婚し、子供も生まれている。遊びにいくのは勝手だが、そこでわたしの話題を出すな。つい感情的になり、あやうく絶縁するほどのケンカになった。
それ以来、母にはこちらから連絡していない。結局、受賞も逃した。さんざんだった。
母にはまったく悪びれる様子はない。それどころか使命感さえ持っている。このまま自分がなにもしなければ、娘が誰とも結婚せずに終わってしまうと。
確かにそうかもしれない。東京は田舎に比べて、妙齢の女性がいつまでも独身でいることに寛容だ。仕事をしてお金をもらう。自分自身を養っていれば、誰にも文句を言われない。一人暮らしは最高の自由だ。
それでも、不安がないと言えば嘘になる。わたしだって最初は、高井戸のようにだけは決してなりたくないと思っていた。けれども今は、将来の自分を想像すると彼女の姿が浮かんでくる。
誰とも恋愛せず、結婚せず、やがてたった一人で親の介護をする。それは、もう既にこの先に用意されている未来なのかもしれない。
……ああ、暗い。
せめて痛快な物語を書こう。テレビを消し、食べ終えたコンビニ弁当を脇へ押しやると、もう一度パソコンの画面を開いた。
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