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いろいろな引き出しをもつこと2



そうして、アパレルの会社に就職した。


面接したその日に内定を出してくれた。


ここから長いような短いようなアパレルとの付き合いが始まる。


結果的にいうと
アパレルの販売員は私の天職だとおもった。

百貨店の中に入っているブランドだったので
接客に関する教育は徹底されているし、
また、私が入社した会社の教育もわりかし
しっかりめにされていて、
関東の本社に研修を受けに行くこともあるくらいだった。


客層もかなりいい。

難しいところは
洋服の値段がいいお値段だというところ。

百貨店の中に入っているブランドとしては
リーズナブルなほうだったけど、

タンクトップ一枚5000円くらいしてた。


ほとんどが元々いた顧客様で成り立っており、
入社した当初の売り上げは
よかったと思う。


でも年々売り上げも下降傾向にあり、
毎日のレジ明けに苦戦をした。

店長は社割で買える自社の服を、自腹で定価購入して
入金してレジ明けをする事が多々あった。


この行動について私は
めちゃんこ無駄なことをしているなと
思っていた。

何百円何千円の入金でない時もある。
一万を超えてくることもある入金をして、わざわざレジを開けるのだ。

レジが開かない日が続くと
上から色々と言われるから入金する。

それは、それまでの店長はがしていたからということもある。

上から言われてなんぼではないか。
本当の現状をしってもらうには、
本当の売り上げを報告すべきではないのかと
思っていた。

スタッフの努力がすぐにつながるというわけでもないテルアポをしてきてもらうということは、イベントがなければなかなか難しい。

入金し続けることなんてできないのだし、
売り上げが上がらないことについての
解決にはなっていない。

社員割引がきくといっても、
平均的に一ヶ月同じ服ではなく着替えるので
社販は月に2〜3万かかる、もちろん給料から引かれる。

そんな、入金を
全国の店舗の店長が繰り返していた。
対して高くない給料の従業員の犠牲で
売り上げが成り立っていたのも事実なんだと思う。

エリアマネージャーですら、
入金をするのだから。

そこには
店舗を存続させるための入金をという意味もあるのかもしれないが、根本的なところを解決しないと
焼け石に水状態。

店舗を少なくして、集中して売り上げを取る店舗をつくるのは、策の一つだけど

各店舗の顧客様はブランドの服だけが目当てではなく、購入したいと思うスタッフから洋服を買いたい思いもある。
気持ちよく買い物をしたい。

プライスレスな部分を求めている人が多い。

いろんな理由からきっと入金は無くならないのかなと思う。

私はサブ店長だったが、自分が1番上の時は入金は
ほとんどしなかったしたとしても
社販がきかないもの。

ずっと店長になること希望していたが、
会社でも何個かあるブランドの中でも
その当時店長の退職者が少なく、
出世できない状態でもあった。

他ブランドの店長であったひとが
店長としてトレードできた時は
本当にやる気を持ってかれたけど笑

同じ社歴の同い年の
私が勤めているブランドのことを全く知らない店長だったから。

その店長は、
ヤング層をターゲットとした、ブランドの店長でありそのブランドのスタッフも若く、退職者が多いため自動的に店長にならざるおえなくなり、
店長になったパターンの1人だった。

何度もぶつかったし、ぶつかるたびに
店長が泣いていて
おぅおぅおぅ。
となったのを覚えている。

今となって考えれば
店長も辛い立場だった事はよくわかるし、理解できる。

でも、その頃の私は
今と比べれば尖ってたんだな笑


そしてコロナがきた。


コロナの時期には、
かなりの影響を受けた。

緊急事態宣言により
百貨店自体1ヶ月半休業になった。

ネット販売やインスタライブを駆使しても
きていくところがないからと
お客さんの購買意欲がそもそもわかない。


年々頑張って昇給した給料も
一気に何万も下げられて、
生活に支障がでるほどになっていた。

それまででていた、微々たる年2回のボーナスも
なくなったし、皆勤手当もなくなった。

給料は著しく少なくなり

退職者が増えた。

お店も潰れた。

何とかコロナを乗り切って
今現在もそのブランドは存在している。


結婚とともに通える距離ではなくなったから
退職せざるおえなかったが、
働ける環境であれば
その会社で働き続けていたと思う。


産休育休をとり、復帰して時短勤務をしている
スタッフもたくさんいた。

私はこのアパレルブランドで10年ほど働いた。

なんだかんだ、このブランドやお客さま百貨店の従業員と働くのが好きだった。



アパレルの会社を退職した後

通えるところに就職をした。

そこはケーキ屋さんだった。

ローカルなお店ではあったけど駅前ビルに店舗があり、一ヶ月を
ケーキ販売のお店で研修をうけた。

一度経験した職種なので
すぐになれた。


そして同じ階に
系列のカフェができ、そこのホール責任者として異動になった。

が。
異動になって携わり出したのはオープンの10日前。
バイトもろくに集まらず


オープンした月は、
不慣れさと、オペレーションがしっかり決定しないこともあり、
準備不足や教育不足などで、
かなりピリピリとしていた。

勤務だけゆーと
かなりブラックだったのではないかと思う。


オープンした月の給料はかなりのものになっていた。

上から渡された資料をもとに新人教育やフォロー、シフト作成、業務の改善。
副店長のような立場だったのもあり、
いろんいろな作業に携わった。


入社して半年くらいしたときに
体調を崩し2週間ほど入院したのを機に
退職を決めた。


そして、不妊治療に向き合う日々になる。

今の街に引っ越しが決まったのは、退職してから
半年後。

そこからもう一年以上経過した。

書ききれていないこともあるけれどこの20年近くで、たくさんの人と出会い様々な職場で働くことにより、経験値が増えた。


ので、
今の働いているところでは、
重宝されている笑


仕事のスキルの引き出しや

トークの引き出し

趣味の引き出し

様々な分野で

引き出しを持つことによって、

お客様との会話に生きてくる。

そうすれば
顧客になってくれて
店が繁盛する。

衣食住の
食に関することは
服よりも優先順位が高い人が多い。


美味しいということは前提だが
通い顧客になってもらうには
接客サービスが重要になる。


それを若い学生にしなさい
というのは酷である。

もちろんまれにめちゃくちゃできる学生もいるが、
それはほんの一握り。


なので、
このおばはんの登場なのである笑

トークスキルはある笑
そして受け流すというスキルもある笑

お客様笑顔で気持ちよく帰ってもらう。

老若男女。

若いイケイケ系の
人は苦手だけども。

まぁそこは何とか乗り切る。

自分のことをある程度話さなければ、
ほとんどの人は知らない店員に自分のことを話したいとは、思わない。

なので私は出来る限り自分のこともたくさん話すようにしている。

そうして、自分から買いたい、自分に会いにきてくれる顧客様を増やしてきた。


長々書いてきたのは

私の経験値の話で

若さゆえに受け入れられなかったことも
受け入れられたり

最初に接客をスタートした時よりしっかり考えて行動して
頑張って仕事をしてきたと言える
20年でよかったなとおもう。

ただそこにいるだけでは
どこに行っても何も得ることはできない。

今でもそれぞれの会社で最低1人は繋がりを持っているし
会うこともある。

今の会社で働く、
学生たちも年は離れているけどきっとつながっていると思う。

人という財産と
自分で考えて動く当たり前のことをこれからも続けていきたいな。

もぅ、正社員という肩書きで働く事はないかもしれないけど。


働くことは、楽しいことよりも理不尽に思うことが多いけれど、その理不尽を乗り越えて
楽しいと感じれることが多くなれば
仕事は楽しいのだとおもう。当たり前だけど笑
でもこれはなかなか難しい。

理不尽に思うことの方が圧倒的に多いから笑
私は文句を言いながら理不尽に思いながらも、
自分が思うように楽しく働けていた方だと思うし、
今のパートは楽しいしかない笑

だから、どこで働くことになっても
自分らしく楽しく
引き出しの経験値をだしながら、また増やしながら
頑張りたい。

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