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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.32 第六章 風花の章

  六、風花の章

「分かんねぇよなぁ、女って」
 よく行く居酒屋でビールをあおると、カケルはぼやいた。カウンター席の隣で、蔵之助が同じくビールを飲んでいる。今日は、蔵之助と二人で飲みたかった。他の面々も着いて来ないうちに、こっそり耳打ちして飲みに誘った。今日マリが来たことで、これからの行く末を気にする一方、恋愛関係にある二人に対する好奇心も手に取るように伝わって来た。自分がマリを追っかけていった先の展開も、速攻追及されるだろう。大勢での飲みはごめんだった。
「で、マリ、何て」
 蔵之助が唐揚げをつかんで核心に切りこむ。
「役はできない。キョリを置きたい」
 カケルも負けじと唐揚げに手を伸ばす。
「まんまじゃねえか」
 蔵之助は、なあんだ、とビールをごくり、と飲んだ。
「今までの流れからいったら想像の範囲だろ」
 ため息をつきながら、カケルはひじをつく。
「でもさ、あいつ、その前に何て言ったと思う」
「なんて」
「大好き」
 さすがの蔵之助も、ビールでむせ返りそうになった。
「大好き、なんだってさ。おれのことが」
「お前……なにげに自慢してねぇか?」
 蔵之助が皮肉な笑みを浮かべる。
「自慢⁉ どこが? ほとんどフラれたようなもんだろ」
 それから、カケルは何を見るともなくつぶやいた。
「どうして、好きから距離を置きたい、になるんだ?」
 しばらく、黙って二人で酒を飲んだ。ふと、蔵之助が口を開いた。
「お前、何かおれに言ってないことあるだろう」
 どきっとしてグラスを置く。カウンターの上に、グラスの底でいくつも水の輪ができている。沙耶とも、よくこうしてカウンターで並んでビールを飲んだ。
 蔵之助は、ん? どうだ? とさぐるようにカケルの顔をのぞきこんでいる。観念して、カケルは沙耶とのことも、かいつまんで白状した。
「マジかよ、お前、それを先に言えってんだ」
 ヤンキーっぽく見えて実は正義感の強い蔵之助らしい反応だった。
「マリにもバレてるのか?」
 カケルは黙ってうなずいた。
「たぶん、そのことに気づいて、マリがおれを疑い出したことが始まりだったんだと思う。今、思えば」
「おまえなぁ……」
 蔵之助はしばらく絶句した。
「てか、話をもどすと、つまり、お前に他の女がいたってことを知っても、お前のことが好きだって言ったのか?」
「……そういうことに……なるな」
 ビールがだんだん苦くなってきた。やっぱり蔵之助に話したのが間違いだったか。
「それ、キョリおきたいどころか別れるだろ、フツー」
 それから、蔵之助は深くため息をついた。
「マリもばかだなぁ。ま、相当やられてるってわけか。一体、お前の何がそんなにいいんだろ」
「うるせえ、ほっとけ」
 二人は、またしばらく黙って酒を飲んだ。
「しかし」
 蔵之助が切り出した。
「全く分かんなかったぜ。二股かけてるなんて」
 言い返したくても、言葉がない。
「そうか」
ふいに、蔵之助はひとり、納得したようにひざをたたいた。そしておもむろに言った。
「お前は、秘密めいている」
 意外な言葉に、箸を伸ばした手が止まる。
「秘密めいていて、そこが色っぽくもあり、魅力的なんだな、きっと」
 何を言い出すのかと思ったら。
「そしてちょっと危険な香りもする。女は、そういう香りに弱い」
 ……おれの分析か。
「さっきは何がそんなにいいのかって言ってたくせに」
「ちょっと、女の気持ちになってお前のこと考えてみた」
 蔵之助は、トントン、とこめかみをたたきながら、にやりと笑った。

 これ以上、身近なとこでごたごたを起こすなよ、と、くぎをさされて、カケルはふくれっ面をした。そんなつもりは毛頭ない。人を野獣みたいに言うな、と言い返してはみたが、実際、蔵之助と別れたあとの帰り道に思ったことは、マリを抱きたい、だった。酒のせいか、自分でも驚くほど、気持ちが高まっていた。一度ははっきり拒絶されたのに、どうしてまた、こんな激しい欲情を抱いてしまうのだろう。

 あのとき。マリが、木立の中で、自分を抱きしめたとき。初めて、何か通じ合った気がしたのだ。彼女の本当の心を見た気がした。この子は、本気で自分を愛そうとしている。その必死さが、細いけれど強い腕から伝わってきた気がした。今の気持ちを精一杯ぶつけてきた彼女に対して、おれは。ただ、棒のように立ち尽くして彼女を見送っただけだ。
 今になって、自分もマリを本当に好きになりかけていたことを知る。
「遅いんだよ、全く」
 自分に向けて言い放ち、やり場のない気持ちを蹴り飛ばすように帰路をたどった。

   ***

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