休学ライフ開始[#4]
しばらく更新していませんでしたが、4月になってしまいました。
ということは、、
私の休学ライフが公式に始まったということです。
楽しんでいます、とっても。
でも、もちろん自分のした選択に少しの不安と社会のちょっとしたプレッシャーもきちんと感じているし、内定が決まった同期を見て、『来年の私にも果たしてそんな未来が待っているのか?』と思うことだってあります。
『休学は時にポジティブである』と私は前に書いたと思うのですが、そのことを確信する出来事がありました。
先輩の卒業式で久しぶりに友人と会った時、その日あった6人のうち5人が『私も24卒なんだよね〜〜』と言ってきたのです。その中の1人はやることは特に決まっていないけれど、自分探しをする、ファッションの勉強をする、また別の友人は留学に行く、音楽をやる、自分の学んでいることとは関係ない学問をやってみたい、、、などなど、理由は様々ですが、それぞれ『休学』という選択をしたのでした。
私の大学は国際的な環境で、何事にも熱を持って取り組む学生が多く様々な環境で育ってきた広い視野を持った学生の集う、いうならばユートピアのような場所です。だからこそ、世間の抱く休学のイメージよりも、肯定的なのかもしれません。
このコロナ禍を経験している学生は、思い通りにならない学生生活、自分の力不足ではない無気力感を抱きながら過ごしているのかもしれません。
その中で社会に出て頑張ろうと舵を切る者もいれば、社会に出るのは少し遅らせる代わりに何かに取り組む方向に一歩を踏み出した者もいるんだと思います。
感謝なことに私の親は、私の人生の計画を受け入れてくれて、コロナ禍でやりたいこともできなかったろうに、好きにしたらいいと理解を示してくれました。 (きっとコロナ禍ではなくとも受け入れてくれたとは思いますが、、、)
しかし、その反面親世代の人たちには『せっかくここまでストレートできたのに』や、『社会人になれば稼げる分のお金が勿体無い』とか『何を考えているのかわからない』と難色を示されることも多くありました。
そんな時間を犠牲にしてでも
私がやりたいこととは一体なんなのか。
1年間の計画はいくつかありますが、そのひとつ目。
それは、
田舎に住む祖父母と一緒に時間を過ごすことです。
今、『は?』という声がたくさん聞こえてきました。(聞こえそうな気がしています)
余談ですが、みなさんはハンス・ウィルヘルム作の『ずーっとずっとだいすきだよ』という絵本を知っているでしょうか。
これはエルフィーという犬と共に成長した主人公は毎晩必ず、エルフィーが亡くなるまで『だいすきだよ』と伝え続けたのです。そして、ある日エルフィーは亡くなりました。同じタイミングで生まれたとしても、犬の方が寿命は短く、早く死を迎えます。 しかし、主人公には慰めがあったのです。自分はエルフィーに十分愛を伝えたという事実が彼を慰めたのでした。
祖父母は私よりも先に亡くなる可能性の方が高いです。(私も明日の命の保証はありませんが)そして、老と戦いながらも、日毎にできないことが増えていくでしょう。
そして、一度社会人になれば、私のことを愛してくれたその人たちに、遠くに住む2人に会うことも難しくなるかもしれません。コロナ禍で制限された学生活を送る中で、私は祖父母のことをいつしか思い起こし、できる限り会いにいくようになりました。(もちろん毎回対策はしつつ)
いつかは人の地上での命は終わりを迎えます。しかし、亡くなるその時に私は『一緒に時間を私は十分過ごした』そう思いたいのです。
なんて自己満足なのだろうか、私は。21年間をたった数ヶ月で埋め合わせようだなんて。高慢極まりないかもしれません。もしかしたら祖父母は私がきたことでストレスを感じるかもしれないのに。
それでもいいのです。適度な距離と、『ずーっとずっとだいすきだよ』のバランスを保つのです。
祖父母には小っ恥ずかしくて私がこんな思い出きたことはまだあまり言っていません。過ごしている中できっと良いことばかりではないでしょう。老いていく2人を見て泣きたくなる日もあることは覚悟していますし、私が帰った後に寂しくならないか心配ももちろんしています。
でも、私にとって2人は『ずーっとずっと だいすき』な存在であることはどんなことがあっても変わらないのです。
そんなエモーショナルな心の移り変わりもこれからは残せて行けたらいいなと思っています。
休学生活が始まって約1週間、今はまだ心のどこかで春休みの延長のような気持ちになりますが限られた時間を大事に過ごしていきたいと思います。
(写真は友人と春休みに行った豊洲の夕焼けです)
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