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休学は時としてポジティブである[#2]

『休学』それは昔ほどネガティブな意味をもたなくなっている。以前はもしかしたら休学すると言ったら何か健康上の問題があるのかと思われることが多かったかもしれません(今の健康上の理由で休学される方ももちろんいて、そのような方のためにも良い制度だと思いますが)

しかし、今は休学を自分の人生の可能性を拡充させるため、何かに挑戦するために自ら選び取る人が増えているように感じます。大学も数年前に休学にかかる費用を下げる傾向にあると聞きます。(私の大学は年間で9万円です)


そして私も、休学することを選択しました。


私が4月から大学を休学することを選択し、決めたのはいくつか理由はあります。

それは

私が大学生活に何を求めているのか

に関わっているのかもしれません。

大学生活はしばしは『人生の夏休み』と称されることもありますが、実際ICUでの私の生活は『人生の夏休み』のようなのんびりとしてものではありません。

3年生になってそれほど多くの単位を取らなくて良くなった今、やっと余裕のある生活をしている側面はありますが、大学1,2年そして3年生になってもとにかく日々課題に追われ続け大変であるというのが本音です。たくさんの資料を読み込んで、レジュメを作成して、授業でプレゼンやディスカッションをして、レポートを出し、グループプロジェクトをする。それと同時にアルバイトにサークル活動をしています。


自分のやりたいことをやりたいだけできるこの忙しさはとても贅沢です。確かに大変ではありますが、とっても有意義な時間であるのも本当です。

そしてこの忙しさが心地よい瞬間も、忙しさに飲まれる瞬間と同様に存在しているのです。

しかし、大学3年生になったとき私は将来の進路について考えることに迫られ始め、ふと私は自分の大学生活に満足しているのだろうか?、このまま卒業した場合私は自分の大学生活をどのように形容するのだろうかと感じたのです。


口を開けば忙しい、寝言でも『忙しいから、、』とでてしまう大学生活でいいのか、と。そして不思議なことに大学3年生なったその瞬間から人は私に『将来なにしたいの?』『就活している?』そして極め付けは『ICUならやっぱり外国系?』と聞くようになります。


きっとHow are you? くらいの感覚だと思うのですが私はなんだか違和感を感じました。

将来に希望がないわけでは全くありませんが、私に将来を聞いてきたその人に私も同じように『将来何したいの?』と聞きたくなったのです。『将来』や『未来』というのは若いからあるわけではなく、将来というのは『明日』を生きる人みんなに存在するものなのだと思うのです。


大学を卒業すると就職という形で社会に遣わされていきます。(私は今のところ院進は考えていません)会社に勤めるようになったら私はきっと一生懸命再び止まることの許されない時の流れの中生きていくことになるのだろう。そしてやがて家庭を持ったとしたら(将来家庭を持てたらいいなという願望があるので)家族のために働くようになり、もし私に子供を持つことが許されたのなら、私は子供のために一生懸命に働き少なくとも20年くらいはそのような生活が続くのだろうと。


そうなると、私が私のために使うことのできる時間というのは思いのほか人生に残されていないのではないか、大学生活の次はまさか定年後? 

きっと働いていたとしても働き方はさまざまで、人生の全てが仕事であることはないと思うし、自分の選択次第でいくらでも時間は作れると思うのです。しかし、大学生、21歳の私が今『自分のため』だけに時間を割くというのはなんと贅沢な選択なのだろうかと感じたのです。 

何かを始めるときに『やりたい』という自分の願望が契機になることはもしかしたら今だけなのかもしれない 

じゃあ休学してみよう。そう思った大学3年生の夏でした。

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