#11 気の利いた「手みやげ」を贈るには
『…かみさんとどうしても意見の合わないものがある。こればかりはいつになってもわかり合えないだろうな、と思われるもののひとつが手土産だ。僕は手土産という習慣が好き。かみさんはどちらかといえば、いや、はっきりと嫌いだ。……』
これは、松任谷正隆氏のエッセイ『おじさんはどう生きるか』の中の1節だ。
私のまわりにも「手みやげ上手」な人が多い。気が利くのだ。
だれかの家に伺う時はもちろん、「これ、少しばかりですが…」
習い事の初日には、「今日から、よろしくお願いいたします」
久しぶりに会うと、「ちょっと旅行したので…」
なんでもない時だって、「お菓子を作ったのよ」
といった具合だ。そのあざやかな心配りには、感服する。
そんな様子を尻目に、「手ぶらで失礼します」
と消え入る声で呟いているのが私だ。
私はそうした細やかさに欠ける。いや、そのような習慣がなかった。(というのは言い訳か?)
これまでの仕事仲間も似たようなもので、それほどこまめにモノのやり取りをしてはこなかった。
しかし、結婚してからつき合いはじめた主婦友は、違う。さり気なくタイミングよく、さらっとモノを差し出す。
これはいったい何なのか。地域性か、育った家庭環境か、はたまた個人の趣味なのか…。
ともあれ、いただく方が圧倒的に多い私は、度重なるとさすがに「お返しせねば!」と慌てて動き出す。
けれど、贈る習慣のない私は、はたと悩む。いったいなにを贈ればいいのだろう。「食べ物にするか」「実用的なものがいいのか」「珍しいものはなにか」「どの程度の価格にすべきか」……。
そしてその段階で、はじめて相手の情報量の少なさに気づく。
「どんなものが好きだったっけ」「数はどのくらいにしたらいい?」「包みはどうする? リボンかシールか」「どんなタイミングでどんな時に贈ればいいのだろう」、さらには「相手の気持ちに負担にならない程度の金額って、いくらぐらい?」などなど、状況把握も必要だ。
それには、普段の何気ない会話から相手の趣味趣向、習慣などを記憶し記録しながら、アンテナを張ってまちを歩き、話題になっている事柄にも意識を向け、引き出しを多くしておくことが大切だ。
以前、記した「#6 エレガントな彼女」をはじめとして、わが主婦友はそれがとても上手い。グッドなタイミングで、さり気なく、ささーっと行う。そこにサプライズが加わるものだから、お見事! 実にスマートだ。
「手土産なんてあげる人のエゴよ!」と、冒頭紹介した松任谷正隆氏の“かみさん”は、おっしゃるらしい。
けれど、相手の喜ぶ顔を想像し、その期待とワクワク感であれやこれやと悩みながら、自分も楽しんでいるのなら、それがエゴだっていいんじゃなぁい? ねぇ、ユーミン!
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