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【日常エッセイ】久しぶりに、どっぷり読書をした日

私は子どもの頃から、本を読むのが好きだった。

いや、本を読むのが好きというよりは、家のソファーやベッドに寝転がって、誰にも邪魔されずに没頭して本を読む、その時間が好きだったのだと思う。

本を読むこと自体が好きな人は、どんな環境でも読むと思う。時間がなくても、電車のなかでも。ただ私は本を読む時間が好きなので、じっくりと読める時間がないと、なかなか読めないのである。

それでも、ちょっとでも本を読みたいと思い、以前の職場で、読書クラブを立ち上げたことがあった。毎月課題図書を決めて、その本を読み、1か月に一度集まって感想を言い合う会だ。その会のメンバーから、「とても良かった」とおすすめされたのが『彗星物語』宮本輝 著 だ。もう自分は読まないからと、本までいただいたが、私は気になりつつも、忙しさにかまけて、放置したままにしていた。

そして仕事を辞めて、1か月間の有休消化休暇もいよいよ最後週に入った今日、満を持してその『彗星物語』を読んだ。

今日は完全に読書デーと決めて、朝からほぼパジャマ姿のまま没頭し、上下巻を約6時間かけて読破した。

宮本輝氏は、数少ない、私の好きな作家である(そこまでいろんな人の本を読むわけではないので母数は少ないが)。

大学生の頃(もう30年くらい前になる)に、友人から『青が散る』を勧められて読み、それ以降ハマッって、何冊か立て続けに読んだ時期があった。『青が散る』は、大阪を舞台にテニスに没頭する大学生の話だが、当時私たちも大学でテニスサークルに入っていたため、自分と重ね合わせる部分もあり、なんとも、小説の世界を身近に感じたものだ。

宮本輝(と、呼び捨てにしたくなるもの氏の良さではないかと私は思うのだが)のいいところは、まず、文章の上手さだ。私はリズムの良い文章が好きだ。個々の相性もあるとは思うが、波に乗っていくらでも読める文章と、なにかとつまづいて読みにくい文章がある。宮本輝氏は、一文で、無駄な表現を省きつつも、状況説明がしっかりなされた上に、ちょっとしたユーモアが含まれていいるため、読んでいて面白いし、ちゃんと状況についていける。そして小気味のいいリズムが感じられる。私も自分が文章を書く時は、何よりリズムを大切に考えるが、これまでの読書の経験のなかで、そういう文章が好きだから意識的にそうなるのだと思う。

また、関西出身の作家さんなので、登場人物の会話に関西弁が多いことや、実際の関西の地名が出てくるのも親近感がある。関西弁は、文字にしてじっくり読むと、ほんとうに愛情と愛嬌のある言葉だなと感じる。兵庫県在住の私には愛着も加わっている。

そして、とりわけ作品に出てくる主人公の層にも親近感が持てるのだ。世の中の上下層でいうと、中の中。当然上下層ほどドラマチックではない。が、「きっと自分は物語の主人公になることはないだろう」と考えているような中間層の人間(私もその一人だと思うから)の、心の機微を描き出してくれることが、何より味わい深いのだ。

『彗星物語』について紹介すると、、、

物語は、ハンガリーからの留学生の青年を受け入れる城田家の嫁、敦子を中心に進んでいく。敦子の夫は、父親から引き継いだ事業に失敗したが、実家の土地を売ってなんとか借金を返済し、家族は苦しいながらも生活はできている。そんななか夫の口約束から留学生を受け入れることになり、一騒動が起こる。もう一人中心人物は、城田家の4人兄弟の末っ子、恭太だ。まわりよりも体が弱く晩生だが、実はその子なりの良さを備えている。そして、一家の変わり者、飼い犬のフック。

ハンガリーからの留学生を受け入れるというエピソードは非日常ではあるが、家族は一般的な普通の人たちだ。特に突飛な考え方をしているわけでもないけれど、普通の生活のなかに、普通にいろんな大変なことが起こり、そのことに対して、憤たり、喜んだりしながら答えを出していく。あーそうだよな。わかるけどなー。むずかしいよなー。同じレベルでいろいろ思える。結果、個々の心は絡まりながら、読者である自分も含めてひとつになっていく。

私は実は物語の陰の主役は、夫の晋太郎という気もする。普段は穏やかなお父さんなのに、娘のしたことがどうしても許せなくて、娘をめちゃくちゃにどついてしまったり(関西弁で殴るの意)、納得のいかない教師の家に無理やり子どもを連れて直談判しちいったり。この小説が書かれたのは30年ほど前。恭太の生まれた年は私と同じ設定だったから、私が小学生の頃ということになり、併せると40年ほど前。当時はまだこういうお父さんいたような気がする。今は虐待だ、クレーマーだと取り沙汰されてしまうが、その頃と今では、情動に至る根っこの感情が違うような気がするのだ。理不尽な怒り方をする親父もいたが(義父の福造みたいに。でも福造は家族一番に愛情深い)、それでもやっぱりその人なりの確かな根っこがあったと思うのだ。日本人の根っこはどこに行ってしまったのだろう、、、ふとそんなことも考えた。

題名の彗星物語に繋がるくだりもいい。本当は誰もが主人公なのだ。

ほとんどの人間は必ず何かのコンプレックスを持っている。順風満帆に見える人でも、何か弱い部分があり、それを意識的にか、無意識的にかはわからないが、それぞれに抱えながら生きている。宮本氏は、それは当たり前のことなんだと、物語を通して教えてくれる。そして、悩み、苦しみ、沈思黙考するなかに一人一人の輝きがある。大きく輝く人は目につきやすいだろうが、普段は目につかないような小さな輝きに焦点をあて、その微細な輝きをきちんと文章化してくれている人のように感じるのだ。

あ、だから、輝さんなのか、、、。ペンネームの由来は知らないけれど、だとしたら名前のままの人だなぁなんて勝手に思った。

良い文章を読むと、私も表現をすることが好きだと改めて思う。

そして、文章の上手い人をみると、私もこんな風に伝えられたらなぁと思ったりする。

文章は、じんわりと伝わるところがいい。

読書は私にとって、いろんなことを喚起させる、やはり感性を刺激されることなのだなと改めて感じた。

今日は、久しぶりにじっくり、じんわりと良い時間だった。




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