母の突然の入院と父と娘

なんでも突然にやってくるものだ。

その日、母は昼頃から妙にせき込んでいた。これまでもたまにそういうことがあったので、私はそこまで気にしていなかったのだが、どうやら誤嚥をしたらしく、夕方に急に呼吸状態が悪化。父が救急車を呼んだのだ。

私は、この前の記事で、「母の療養生活はのんびりしている」と書き、父とも、「これまで何度も覚悟したけど、ようやく落ち着いたね」と話していたところだった。

そして、その日も夕方実家から自分の家に帰る前に、のんびりと夕食の買い物をしているところだった。「うそやん!めっちゃ食材買ってしもうてるで!!」もうちょっと早かったら買わへんかったのに・・・など現実的なことが頭をよぎる中、実家にとんぼ返りし、とりあえず買った食材を実家の冷蔵庫に詰め込み、玄関も窓もカギを開けっぱなしの実家の戸締りをしてから、先に行った救急車(父が同乗した)を追いかけて、救急病院に駆け付けた。

幸い、病院に来たのが早かったからか、ひどい肺炎は起こしておらず、ただ病気も病気ということと、炎症の数値が上がりかけているということで、母は緊急入院となった。大部屋か個室か聞かれ、「初めての入院やし、一人の方がゆっくりできるかな」と母に話しかけ、横目でちょっと父にプレッシャーをかけ、とりあえず個室に入れてもらった。

まだまだコロナの影響ありで、母とは病室の入り口で最後の別れとなった。次は一週間後の面会まで会うことができない。それまで母には頑張ってもらうしかないが、とにかく、最悪の事態はまぬがれほっとした。

ただ、いろんなことがやってくるたびに、ちょっとしたことでも自分に問いかけられているように感じることがある。入院中の病衣やタオルをレンタルするかどうかでも、当然借りれば楽だが、やっぱりなじみの服の方がいいだろうかとか、レンタルを申し込んだら、私や父が母のことを手放したと母が思うのではとか。ほんの小さな選択においても、なんだか微妙に揺さぶられることが多い。

また、せん妄予防に手紙や写真があるといいと冊子に書いてあったので、母親あてに手紙を書いた。「また一緒にケーキを食べようね!」って、子どもに書く内容やん!と思いながらも、今の母にはこれぐらいがいいはず。病院勤務のときに、患者さんに手紙を書いてこられる家族さんは結構いらっしゃったけど、こういう気持ちなんだなと実感した。

今後、母が家に帰ってこれるのか、別の病院に転院になるのか、まだ病院からの話はない。ただ、一日目にベッドから転倒したとか、オムツが足りなくなったとか、わりと病院からは電話がかかってくるので、入院しても落ち着かない日々ではある。

そんななか、ちょっと嬉しかったのは、めったに人を褒めない父から、これまでのことを振り返って、私がいたことで早く対応できて助かったとお礼のメッセージがきたことだ。また、協力的に関わろうとしてくれていた私の夫に対しても、最初は「(介護できないやろうし)何の役にたつねん」と言っていたけど、いてくれて感謝していると(そう私も感謝している)。

私としては、今回の介護のことは自分自身の経験を積ませてもらっているので、わりと十分見返りをもらえていると思っていたが、父からそういってもらえると嬉しいものだ。そして、親に認められたい、とか、感謝されたいというような気持ちは、もうとうの昔に手放していたけれど、ほしいときにはもらえないものが、手放したらもらえることって、やっぱりあるんだなと思った。すぐに、お父さんも頑張っているよと返信。まるで戦友をたたえあっているような、父と私だと思った。


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